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小説『ベリーショート就職活動』

最終更新日:2009年5月1日



 僕は新宿駅前を歩いていた。
 道路向かい側の歩道に制服姿の女子高生が一人歩いていた。
 女子高生は鞄を路上におろすと、ブレザーとカーディガンを脱いだ。
 暑いのかなと思っていたら、ワイシャツを脱ぎ、ブラも外した。スカートをおろし、パンツまで脱いだ。
 靴と靴下も脱いで、彼女は全裸になった。
 歩いている人の何人かは立ち止まって彼女の奇行を眺めた。
 ほとんどの人はちょっと見するだけで、何事もないように素通りしていた。僕もAVの撮影かなんかと思った。
 全裸の女子高生は鞄からピストルを二丁取り出し、両手で構えた。
 彼女は笑いながら、通行人に向けて銃を撃った。
 銃声が鳴って、中年のビジネスマンが血を吹いて倒れた。
 悲鳴が上がった。
 全裸の女子高生は続けて銃を何発か撃った。
 ホスト風の男、私服の若者、ビジネスマンが弾に当たって倒れた。
 驚いた通行人たちは、駆け足で全裸の女子高生から離れていった。車の流れも止まった。
 僕はビルの陰に隠れて、顔だけ出して女子高生を眺めた。
 弾が尽きたのか、女子高生はピストルを鞄に戻した。
 彼女がしゃがむと、風にあおられて、茶色のロングヘアーがふわっと舞い上がった。
 女子高生は鞄からライフルを取り出して、立ち上がった。
 誰が呼んだのか、警察官三人がやってきた。
 女子高生は、警察官に向けてライフルを乱射した。
 警察官は拳銃を構えようとした姿勢のまま、ライフルの弾に当たって倒れた。
 遠くからまた悲鳴が聞こえてきた。
 無差別殺傷を狙ったテロなのだろうか。
 彼女は何故裸なのだろうか。
 やっぱりAVの撮影なのだろうか。
 黒いワゴン車が新宿駅前から猛スピードで突っこんできた。
 全裸の女子高生は、ワゴン車めがけてライフルを乱射した。弾が車体にあたったが、ワゴン車は止まらない。
 ワゴン車は歩道に乗り上げ、女子高生の体をひいた。
 黒いワゴン車は女子高生の体を数十メートルひきずった。そのままワゴン車は道路の向こうに走り去っていった。
 道路の真ん中に女子高生の遺体が残った。
 彼女に銃で撃たれた人はみな、男性だった。
 僕は就職面接の時間が迫っていたので、急ぎ足で現場を後にした。





 第一志望の会社の就職面接に行ったら、業務用冷蔵庫のある部屋に通された。
「この中で恋愛経験のない方、いらっしゃったら手をあげてくださーい」
 ぶ厚い眼鏡をかけたおっさんが、にやつきながら言った。
「セクハラじゃないですよー。強制でもないですよー。こういう時手をあげると、社会人としてポイント高いですよー」
 何名かが恥ずかしげに手を挙げた。僕も気弱に手を挙げた。
 一人、角度九十度でずばっと、潔く手を挙げている女の子がいた。
 彼女は美人だった。
 嘘をついているのかもしれないと思った。
「今手を挙げた方、冷蔵庫の中に入ってください。強制ではないですよー」
 おかしいと思ったのは僕だけなのか、リクルートスーツ姿の男女が、だまって業務用冷蔵庫の中に入っていく。
 先程の潔い彼女も、元気な足取りで冷蔵庫に入った。
 僕も彼女の後を追った。
「はい、ここまでね。後の方、残念でしたが、今日はお帰りください」
 冷蔵庫の外でブーイングが起きた。
「じゃ冷蔵庫内の、恋に遅れた皆様、ドア閉めますねー」
 おっさんが、ばかでかいドアを閉めた。
 ケーキが透明のケースに入って、大量に積まれている。
 何段も積み重なったケースの隙間に、学生たちが整列した。
 五分たつ。十分、二十分と何の変化もないまま、時間が過ぎた。
 寒さと不安だけが増した。呆れてケーキを食べ出す奴もいた。
 元気に手をあげた彼女が、ドアを開けようとした。外から鍵をかけられたのか、ドアは開かなかった。
 僕はドアに走って、彼女と一緒に扉をひっぱった。
 やはり開かない。
「燃やしましょう」
 彼女が明るい声で言った。
「ケーキはよく燃えます。冷蔵庫ごと炎に包んで外に出ましょう」
「何言ってるんですか? 僕たちまで燃えちゃいますよ」
 彼女はバッグからライターを取り出し、ショートケーキに火を放った。
 冷蔵庫の中でも、ケーキはよく燃えた。
「みんなで燃やしちゃいましょう」
 彼女は楽しげな様子で、どんどん火をつけていく。一酸化中毒の症状か、息苦しくなってきた。
「みんな死んじゃうって!」
「会社ですよ。死人を出しはしないでしょう」
 咳をしている人も多いのに、彼女は火をつけ続けている。
 冷蔵庫の扉が開いた。
 さっきのおっさんがいた。
「はい、みんな出てくださーい」
 全員駆け足で冷蔵庫から出た。
「本日の合格者は、そこの火つけて回ってた方、一名のみです。どうもお疲れ様でした」
 みんな大ブーイングだ。
「面接はないのかよ」
 僕もぶちきれた。
「文句があるなら他の会社を探してくださーい。自己責任の時代でーす」
 こんな会社、ネットでさらしてやると思いながら、外に出た。
 ビルの入り口で合格者の彼女を見つけた。
「次の面接に進む気ですか?」
「次はね、友達一人もいない人だけ残されて、ライオンとシマウマがいる檻の中に監禁されるみたい。シマウマさんと一緒にがんばってみるね」
 彼女は満面の笑みで、やる気満々だった。





 就職の面接に遅刻しそうだったので、スーツに着替えて、走った。
 駅の改札を通ったら、ホームに電車が来たと気づいた。
 ベルが鳴っている。階段を駆け上って、満員電車に飛びこんだ。
 電車の中に入ると同時に扉がしまった。
 周りを見ると女の人ばかりだった。慌てていたから、女性専用車両に飛び乗ってしまったのだ。
 四方を通勤通学途中の女性に囲まれている。ちょっとでも動いたら、痴漢と間違われそうだ。
 そういえば、ここはいつもと同じ、真ん中あたりの車両だ。女性専用車両は先頭にしかないはずなのに、なんかおかしい。
 電車が動き出すと、僕の周りにいた女性たちが、コートを脱ぎ始めた。数人同時に脱ぎ始めたから、奇妙に思ったら、みんな床の上にコートを脱ぎ捨てた。暖房ききすぎで暑いのかなと思っていたら、みんな上着も脱ぎ始めた。
 心臓をばくばくさせながら観察していたら、色とりどりの下着が目に入ってきた。スカート、下着、ブーツ、パンスト、ソックスまでみんな脱いだ。
 何だこれは! AVの撮影現場に紛れこんでしまったのだろうか。
 僕を取り囲む女性たちだけじゃない。車両全員の女性が、服を脱いで全裸になっている。
 みんな無言で、すまし顔だ。これは絶対AVだ。
 東京のど真ん中、通勤ラッシュの時間帯に、こんなことして予算、大丈夫だろうか。苦情は来ないのだろうか。
 どこかに男優やカメラはないのかと見回してみたが、男は僕しかいなかった。さすがに全裸の女性に取り囲まれていると、目のやり場に困る。やっぱり空気を読んで、僕も全裸になった方が気楽だろうか。
 全裸の女性たちが、鞄から銃を取り出した。拳銃、ライフル、バズーカ、バルカン砲など、様々な武器が全裸女性の手に取られた。
 電車が次の駅についた。停まる瞬間左右に大きく揺れたので、僕の肩が隣の女性に触れてしまった。
「すいません」と小さな声で言った。
 隣の女性は笑いながら、ピストルに弾をこめていた。
 僕の前の扉が開いた。
 コートを羽織った女性がどんどん電車の中に入ってくる。おりる人はいない。僕は車内の奥に押しこまれた。
 発車のベルが鳴った。
 乗降口に一人、ハゲ頭のおっさんビジネスマンが立っていた。おっさんは車内を見回し、唾を飲みこんだ。
 扉の周りにいた全裸の女性たちが、おっさんの体に銃口を向けた。
 ベルが鳴り終わった後、何発もの銃声が響いた。
 おっさんの体から血が飛び出た。電車の扉が閉まった。血まみれのおっさんが、ホームの床に倒れていく様子が見えた。
 電車は出発した。先程乗り込んだ女性たちも、コートを脱ぎ、上着を脱ぎ、全裸になった。お決まりのように、鞄から銃火器を取り出した。
「あのぅ……これって映画か何かの撮影ですかね?」
 隣にいたスーパーモデルみたいなスタイルの長身女性に聞いてみた。彼女ももちろん全裸だ。
 彼女が持っているマシンガンの銃口が僕の胸に当たった。僕は鞄から手を離し、両手をあげた。
「それって、実弾入ってるんすか?」
 彼女は笑っている。
 気づけば、周りの女性たちが持つ武器全てが、僕の体に向けられていた。
 電車が次の駅についた。僕は両手をあげたまま、かに足歩きで電車の外に出ようとした。
 何体もの裸が僕の体に触れた。服を身につけた新入りさんには、邪険そうに見られた。
 銃口を向けられたまま、僕はホームの外に脱出した。
 発車を告げるベルが鳴りやんだ。
 撃たれると思った。
 咄嗟に左側にジャンプした。
 銃弾が僕の立っていた場所にぶちまかれた。ホームの向こう側に並んでいたビジネスマンたちに銃弾が当たった。
 血が溢れて、人が倒れた。悲鳴が起きた。
 電車の扉は閉まったが、銃弾は撃たれ続けた。
 窓から銃弾が飛び出てくる。
 僕は電車の進行方向と逆に向けて、必死で走った。
 全裸の女性で満ちた満員電車が視界の遠くに消えた。
 就職希望企業の資料が入った鞄を、車内に忘れたことに気づいた。
 鞄を忘れたら、もうどうしようもない。
 僕は下りの電車に乗った。
 今日はもう部屋に帰って寝ることにした。





 実家がある田舎の企業の面接を受けることにした。
 新幹線を利用すると交通費代がかかるので、普通電車で田舎まで乗り継いだ。途中、トンネルの中に停車駅があってびっくりした。
「時間調整のため、ここで五分ほど停車します。しばらくお待ち下さい」
 車内アナウンスが鳴ると、多くの人が電車からホームに出た。僕もトンネル内の駅がどうなっているのか気になって、電車をおりた。
 ホームはとっても肌寒かった。ホームに灯るライト以外は真っ暗だ。昼なのに真夜中みたいだった。
 向こうから、セーラー服を来た少女が走ってきた。
 今時セーラー服なんて、やっぱり田舎だなと思っていたら、彼女は少女でなく、薄毛のおっさんだった。
 背の低いおっさんが、セーラー服を着てこちらに突進してくる。おっさんは笑っている。
 トンネル内に吹く風のせいで、おっさんのスカートがめくれた。スカートの中にゴスロリ調のふりふりパンティーが見えた。
 おっさんは僕の手前で止まり、背負っていたリュックをホームにおろした。
 おっさんの鞄の中には、赤い薔薇の花がたくさん入っている。
 おっさんは薔薇を何本か手につかむと、「キエ〜〜〜〜〜〜!!」という気合を発した。
 ダーツの要領で、おっさんが薔薇の花を電車の中に投げ始めた。
 薔薇の花はダーツ並みのスピードで車内の乗客に突き刺さった。
 矢継ぎ早に投げられる薔薇は、みな乗客の左胸を射抜いていた。
 薔薇が胸に突き刺さった乗客たちは、床に崩れ落ちていった。
「キエ〜〜〜〜〜〜!!」
 おっさんが何本もの薔薇の束をまとめて同時投げした。薔薇は車内に入った瞬間、四方に拡散し、逃げようとした人の背中を射抜いていった。
 これは何かのアクション映画の撮影だろうか。セーラー服を着たおっさんは、有名アクションスターなのだろうか。
 おっさんに声をかけようか迷っていたら、隣の電車から、フラメンコの音が聞こえてきた。ギターが激しくかきならされ、手拍子とかけ声が続いた。
 僕の前にある電車の車両連結扉が開いた。赤いドレスを着た女性が、手を叩きながら前の車両に踏みこんできた。
「オレ! オレオレオレ!」
 ラテン系外国人の彼女に続いて、バック演奏担当、日本の男性陣が続いた。
 さっきまで威勢のよかったおっさんは、歯をくいしばってフラメンコダンサーをにらみつけている。
 ジャカジャン! とギターの決めフレーズが入ったら、赤いドレスのダンサーが決めポーズを作って、おっさんを睨み返した。
 一瞬あたりが静寂に包まれた。手拍子が始まり、ギターの低音がゆっくり鳴り始めた。「もうすぐ発車します。ご乗車をお急ぎ下さい」
 電車のベルも鳴り始めた。
 おっさんが薔薇の入ったリュックを持って、電車に飛び乗った。僕もおっさんの後に続いて車両に戻った。ドアが閉まり、電車が出発した。
 フラメンコダンサーは、ロングスカートの奥から、白い薔薇の花を取り出した。
「うが〜〜〜!」
 おっさんがダンサーに向けて、赤い薔薇を何本も投げつけた。
 白い薔薇を手に持った彼女は、踊りまくり、決めポーズを作りまくって対抗した。
 彼女が踊ると、赤い薔薇が横にそれていった。バック演奏陣に薔薇が突きささった。みんなあっけなく血を流して倒れていった。
「そこのガキ。俺を応援してくれ!」
 おっさんが脂汗を垂らしながら、俺を見た。
「何言ってんだこの変態」
「このままじゃやられてしまう。君の力を貸してくれ」
 僕は手を差し伸べてきたおっさんの手を払った。
「汗まみれの手で触るなっつうの」
 涙目のおっさんが、赤い薔薇が入ったリュックを僕に渡した。
「後は君に任せた。わたし、普通の少女に戻ります!」
 おっさんはあいてる席に座って、寝たふりを始めた。
 フラメンコのダンサーは、おっさんがどこに行ってしまったのか、わからない様子で戸惑っていた。
「そこそこ、そこにキモいのいるよ」
 僕が話しかけたら、彼女は僕を見てにやっと笑った。演奏のボルテージが一気に高まった。
 ダンサーが白い薔薇を構えて投げようとした。
「俺じゃないっての!」
 僕は赤い薔薇のリュックを持ったまま、隣の車両に向けて走った。後ろからフラメンコギターと手拍子が追いかけてくる。
「はいこれ、プレゼント」
 僕は薔薇がつまったリュックを、三味線を抱えた旅の芸者集団に渡した。
「いんか? いんか? ありがとの」
 日本酒のカップ酒を飲んで盛り上がっていた着物姿のおばさんたちが、喜んだ。
 僕は一番奥の座席に座り、眠ったふりをした。
 フラメンコ音楽の移動が前方で止まった。
 しばらくすると、三味線の高らかな連続音と民謡のうねりが、スパニッシュギターをさえぎって、聞こえてきた。
 薄目をあけてみた。おばさんたちは立ち上がって構えていた。
 僕の向かいに座っている少女は、携帯電話にイヤフォンをつないで、音楽を聴きながら眠っていた。





 日曜、彼女とサーカスを観に行った。
 スーパーイリュージョンとか、みんなに話題で人気のサーカスではない。近所の公民館でやる、しょぼいサーカスだ。
 サーカスと宣伝しているにも関わらず、ステージではマジシャンが一人でマジックをやり続けていた。団員はアシスタントの女性ピエロくらいだ。
 まあチケットが安いから、文句も言えない。隣に座る彼女がまんざらでもなさそうなので、僕はだまって拍手だけしていた。
「それでは続いて、人体トンネルのマジックです」
 ステージの袖からバニーガール姿の少女が出てきた。まだ中学生くらいにしか見えなかった。僕のボルテージが高まった。
「彼女の体の中に腕を差し伸べてみたい方、いらっしゃいませんか?」
 誰も手を挙げなかった。マジシャンのいやらしい目と、僕の目があった。
「はい。じゃあそこのお兄さん。ステージにあがっちゃってください」
 会場から拍手が起きた。僕は腰をあげた。
「君なの? マジで?」
 隣に座る彼女が驚いて笑った。僕は不満げな顔を作ってステージにあがった。
 バニーガール姿の少女は、ステージに作られた特設寝台の上で、仰向けになった。
「お兄さん、トンネルちゃんの口の中に手を入れてみてください」
 この子はトンネルちゃんというのか。マジシャンは、「マジシャンのマジしゃんで〜す」と自己紹介していたし、どういうセンスしてるんだろうと疑問に思った。
 トンネルちゃんが大きく口を開けた。くりっとした目が、彼女の側に立つ僕を見た。
「さ、恐れることなく、ぐいっとどうぞ」
 僕は手のひらを、ゆっくり少女の口の中に入れてみた。
 口の中は温かかった。
 僕の指は、トンネルちゃんの歯にも舌にも当たらなかった。
「はい、どんどん胃カメラみたいにおろしていってください」
 マジシャンが僕の背中を手で押した。
 僕は少女の口の中に腕を押しこんでしまった。
 喉に腕が当たるんじゃないかと思っていたら、何にも触れなかった。
 とても温かい空洞の中に、腕を包まれている気分になった。
 僕の腕は仰向けに寝ている彼女の口に垂直に押しこまれていた。
 僕は彼女の喉や首を突き破って、寝台の内部にある空洞に腕を入れたのだろうか。そんな気はしない。僕の腕は、生き物だけが持つぬくもりを感じていた。
「腕の付け根まで、ぐぅ〜といっちゃってー!」
 マジシャンが甲高い声で叫び、僕の背中をどんと叩いた。僕は転びそうになった。右腕がすっぽり、彼女の体というか寝台の内部に入ってしまった。
 トンネルちゃんの顔を見た。楽しげに微笑んでいる。会場では、どよめきがおこっていた。
「はい、じゃあお兄さん、トンネルちゃんから最後にプレゼントがあるそうですよ。手のひらで探って下さい」
 僕は握っていた手を離し、あたりを探ってみた。何もない。
「痛!」指の先が棘のようなものに触れた。
「おやおや大丈夫ですか? ゆっくり触ってくださいね」
 突起物のあった方にゆっくり手を伸ばした。葉っぱみたいな感触の物体が手に触れた。
「何か、手で掴むことができましたか?」
 僕はうなずいた。
「それ、ゆっくり引っ張って下さい。優しくね」
 僕は積み重なる葉を手にとって、ゆっくり上に持ち上げた。
 腕を少女の口から引き上げた。僕の右手は、赤い薔薇の花びらをつかんでいた。会場から拍手が起きた。
 葉っぱだと思っていたものは、花びらだった。薔薇の茎には、棘がたくさんついていた。こんなもの、体の中にあって、トンネルちゃんは大丈夫なのだろうか。  
 僕は薔薇の花を持って、席に戻った。
「ねえ、中どうなってたの?」
 彼女がせがんできた。
「秘密だよ」
 僕は薔薇の花を撫でた。
「はい、じゃあ次、そこのお父さん」
 着古したセーターを着た中年のお父さんがステージに上がった。お父さんはマジシャンが喋り出す前に、とんねるちゃんの口の中に腕をつっこんだ。
「ちょっとお父さん! マナー違反は駄目ですよ!」
 マジシャンが血相を変えて叫んだ。
 お父さんの腕は、セーターごと彼女の口の中にすっぽり入った。客席から見ていると、寝台の下の方に、直角に腕が入ったように見えた。
「すげえ! 何だこの感覚?」
 お父さんが口にしてすぐ、彼の頭、胸、胴体が、トンネルちゃんの口の中に吸いこまれていった。
 最後にお父さんの紳士靴がトンネルちゃんの口の中に入っていくのが見えた。
「あ〜あ、まだ準備中だったのに……」
 マジシャンが肩を落とすと、すぐにステージの幕が下ろされた。
 音楽が鳴って、サーカスが終わった。女性ピエロが全員を慌てて外に追い出した。
 僕は赤い薔薇の花を持ったまま、満足げな様子の彼女と一緒に、家に帰った。





 面接時間に遅れそうだったので、タクシーに乗ることにした。
 手をあげて呼び止めると、黒塗りのタクシーが急停止した。乱暴な運転だなと思ったが、急いでいたので、乗ることにした。
 タクシーの座席は本革ばりで、運転手は長髪のイケメンだった。こんな若い人がタクシー運転手やってるなんて、珍しいなと思った。
 行き先を告げると、エンジンがスポーツカーみたいな音を上げて、発車した。
 タクシーはわずかな車間をぬって、他の車をどんどん追い越していった。「急いでください」と頼んだわけじゃないけれど、これなら早くつけそうだ。
 赤信号でもないのにタクシーが急停止した。前を見ると、歩道に手をあげて、タクシーを見ているコート姿のお姉さんがいた。
 後部座席の自動ドアが開いた。
「運転手さん、まだついてないはずだけど……」
「奥に移動してもらえますか?」
 運転手の声は映画俳優みたいに重低音で、ハードボイルドだった。
 さっきのお姉さんが、タクシーに乗車してきた。僕は奥に移動した。
 お姉さんは先客の僕に驚く様子もなく、挨拶もせず、普通に乗った。
 お姉さんがシートベルトをしめたので、僕もつられて、シートベルトをしめた。
「どちらまで?」
「新世界まで」
 タクシーがまた急発進した。
 スクランブル交差点で、タクシーは左折した。僕が今日面接を受ける会社のビルは、逆方向にあった。
「ちょっと運転手さん、そっち左折されると困るんだけど」
 運転手は何も答えない。
「急いでるんだけど。僕の方が先に乗ったんですよ」
「新世界まで、もうすぐです」
 隣のお姉さんが携帯電話をいじりながら呟いた。
 隣のお姉さんがシートベルトを外し、コートを脱ぎ始めた。コートの下は、赤いカットソーとミニスカートだった。
「失礼」
 お姉さんがカットソーも脱いだ。ノーブラだったので、胸が見えた。僕は慌てて目を窓の外にそらした。
 タクシーが首都高速に入っていこうとしていた。
 首都高速なんて使ったら、タクシー料金が上がるんじゃないか。だいたい料金の支払いは割り勘になるんだろうか。
 お姉さんはスカートとパンツも脱いで、全裸になっていた。何だろうこれ? 素人相手のドッキリ番組だろうか。
 タクシーは首都高でも飛ばした。東京都内から埼玉の方へ上がっていく。新世界は埼玉県内にあるのだろうか。
 後ろからパトカーのサイレンが聞こえてきた。振り返ると、僕らの後ろにパトカーが三台走っていた。
「前の車、とまりなさい」
 スピーカーを使って警察官が警告してきた。
「運転手さん、もっとスピード出して」
 お姉さんも後ろを見ていた。
 さらにタクシーのスピードが上がった。パトカーもスピードを出してついてきた。
「何か武器ないの?」
 お姉さんが質問したら、運転手が助手席に手を伸ばした。
「はい、ちゃっちいのですけど」
 運転手がお姉さんに銃を渡した。
 車の天井が開いた。風が飛びこんでくる。
 お姉さんは立ち上がり、パトカーに向けて銃をかまえた。
 銃弾が撃たれた。
 パトカーのタイヤに命中したのだろう、先頭のパトカーが急スピンした。後ろのパトカーまで巻きこまれた。パトカー三台が首都高の外に落下していった。
 犯罪者なのかこいつら。
 やばい。おりた方がいい。
 僕まで仲間だと思われたら、就職どころではない。
 でもここは首都高だ。下道におりたら、すぐに脱出することにした。
 僕の真後ろで、にぶい音がした。タクシー後ろの窓に銃弾が突き刺さっていた。
 強化ガラスなのだろうか。窓ガラスは割れず、くいこんだ銃弾を中心にひびが走っているだけだった。
 黒いワゴン車が、猛スピードでこちらに接近していた。窓から乗り出したサングラスの男が、スナイパーライフルを持って構えている。
「出てきたか」
 運転手が口にした。
 今まで気づかなかったが、運転手もいつのまにか全裸になっていた。
 隣の全裸のお姉さんが、立ち上がり、黒いワゴン車に向けて何発も撃ちこんだ。
 スナイパーが撃ち返してくる。
 お姉さんの腕に弾が当たった。
 お姉さんの血が僕の顔にふりかかった。
 お姉さんが席につくと、運転手が補充の弾丸を渡した。
 弾をつめているうちに、黒いワゴン車がタクシーの横にぴったりはりついた。
 サングラスのスナイパーが、ライフルの銃口を後部座席に向けている。だめだ、僕までグルだと思われている。
 運転手が急ブレーキをかけた。
 タクシーが高速道路のはしっこに停止した。黒いワゴン車も前方で停まった。
「おりて」
 全裸のお姉さんが撃たれた右腕を押さえながら言った。
 黒いワゴン車から、スーツ姿の男たちが三人出てきた。
 タクシーの運転手が、全裸のまま、タクシーからおりた。
「あなたは逃げたらいい」
「僕も仲間だって思われてるんじゃないですか?」
「あなたはスーツを着ているから大丈夫。ごめんなさいね。急いでたんでしょ?」
「いえ、こっちこそ、お役に立てず、すいません」
 僕は一礼して、タクシーを出た。そういえば、料金払うのを忘れていた。
「すいません。おいくらですか?」
 スーツ姿の男たちの方に向かう、全裸の運転手に声をかけた。
 運転手は前を向いたまま、右手をあげて、手をふった。
 タダでいいというサインだろうか。考えあぐねているうちに、運転手とスーツの男たちが乱闘を始めた。
 僕は走って首都高からおりた。料金所前では、見つからないよう植木の間をぬって逃げた。
 時計を見たら、もう面接の開始時間を過ぎていた。





「では次の方々、面接室にお入り下さい」
 案内役の社員に呼ばれた。僕、隣の男、その隣の女性の三名が立ち上がった。
 案内役の社員を先頭にして、待合室から出て廊下を歩いた。
「面接室」と張り紙された部屋は素通りした。
 面接官はトイレに向かった。
「あのう、お手洗いですか?」
 先頭を歩く責任上、僕が聞いてみた。
「そう言われれば、そうですけど、何か?」
 社員が前を向いたまま答えた。
「はい、つきました」
 社員がトイレの前に立ってこちらを振り返った。
「ここ、トイレじゃないですか」
「ええ、トイレですけど」
 僕らは困惑した。
「早く入って下さい。時間がおしてますので」
「別に、もよおしてないですけど」
 隣の男が不満げに言った。
「次の方、早くお入り下さい」
 女子トイレの奥から、おばさんの声がした。
「もしかして、面接室ってトイレですか?」
「ええ、そうですよ。作り物じゃない、皆さんの真実の姿が拝めるでしょ」
 女の子が女子トイレの中に入っていた。僕ともう一人も、しぶしぶ男子トイレに入った。
 トイレはごく普通の男子トイレだった。洗面室があり、立ってするトイレが五個、座ってする個室トイレが四個あった。
 四個ある個室トイレのうち、一番奥と真ん中の二部屋は、ドアがしまっていた。
 しまっているドアには鍵がかかっていた。誰か入っているのだ。
 こういう場合、どうするのだろうと思っていたら、もう一人の彼がしまっている個室のドアをノックした。
「こっちじゃないですよ。隣に入ってください」と老人の声がした。
 彼は「失礼しました」と言って、一番手前の個室に入り、ドアを閉めた。
 僕は一番奥の個室のドアをノックしてみた。
「だからこっちじゃないてば。隣に入って座ってくださいな」
 今度はオカマみたいな艶かしい声がした。
 僕は個室に入り、ドアの鍵をしめた。
 習慣で、ズボンとパンツをおろし、様式便器に座った。別に便意はなかったが、なんか落ち着いた。
 隣の方では、すでに面接が始まっていた。三名の集団面接かと思っていたら、トイレでの個別面接だったようだ。
「それじゃお名前から」
 僕は大学名と名前を大きな声で言った。
「そんな大きな声出さなくていいですよ。トイレなんだから気楽にね」
 面接官が言った後、じょろじょろという音が聞こえてきた。
 もしかして、放尿したんじゃないのか。面接中なのに、何て自由なんだ。
 というかトイレで面接って、なんて変な会社だろう。
 インターネットにもそんな情報出ていなかったぞと思いながら、僕も放尿してみた。
「あ、あなたは出しちゃだめだよ」
 面接官に放尿音を聞かれたのだろうか。とがめられた。 
「奥に紙コップおいてあるでしょ。そこに出してね」
 壁の方を見ると、積み重なったトイレットペーパーの横に紙コップがおいてあった。横に線が何本か引かれており、「ここまで」と注意書きもされている。
「尿検査か何かですか」
「そうそう。人の話は信用ならないけど、尿は嘘をつかないからね」
 僕は立ち上がって、コップに尿を出した。
「出し終わったら、同じ場所においといてください。面接終わったらとりにきますから」
 女子トイレでも、こんなことやってるのだろうか。
「じゃあ質問よろしいですか」
 僕は便器に座りなおし、戦闘態勢に入った。面接に行こうとすると、いつも遅刻したり、邪魔が入るので、今日こそは決めてやろうと思った。
「あなたのお父さんの夢は何ですか?」
「え? 僕の夢じゃないんですか?」
「あなたの夢なんて知ったことじゃないんですよ。ビジネスだからね」
「どうして僕の父の夢を知りたいんですか?」
「いや、うち年輩男性層をターゲットにしてるでしょ。マーケティングに役立てようと思ってね」
「これは僕の面接じゃないんですか? マーケティングなんですか」
「持ちつ持たれつってよく言うじゃないの。いいから早く、教えてよ。お腹痛くなっちゃうじゃない」
 また変な会社に来てしまった。
 ちゃんと情報収集してきたのに、何で実際面接に行くと、こんな面接官ばかり出てくるのだろう。会社の外に出ている情報なんて、全部嘘なのだろうか。
「そんなこと面接中に聞いてたら、会社のイメージダウンにつながるんじゃないですか」
「みんなあなたみたいにうがった質問なんかしないで、ちゃんとお父さんの夢答えてくれるよ。はあ、立派なお父さんなんだねって、双方満足しながら、マーケティング情報をリサーチしてるわけよ」
 ぶりぶりぶりと隣で音がした。
 もう片方の面接官が大便をしたようだ。
「とりあえず、こんなトイレで面接するような会社、僕から願い下げです」
「そんなこと言って大丈夫なの? 急に不況になったんだよ。うちみたいな自由な大企業、そうそうないよ」
「いいです。お断りします」
 隣でウオッシュレットのシャワー音が聞こえた。
 僕はトイレのドアを開けて外に出た。
 手を掴まれた。はげちょびんで蝶ネクタイをしたおやじが僕の手を掴んでいた。ズボンもパンツもおりていた。
「行かないで」
 僕の面接官だった男の声だ。
「すいませんが、次の会社の面接があるんで、失礼します」
 彼の手を振り払って、トイレの外に出た。
 女子トイレの前で、一緒に案内された女性が膝を抱えて泣いていた。
「どうしたの? 中で嫌なことされた?」
「落ちちゃったかもしれません。ここ第一志望だったのに」
 僕は彼女の肩を手で叩いて、エレベーターに向かった。





 森林保全事業をやっているエコ企業のインターンシップで、奥多摩の森林に出かけた。
 社員は三名のみで、インターンシップ中の大学生が十名ばかりいた。
 学生たちとは何日か一緒に仕事をしていたから、バイト仲間と森に出かけるような気分だった。
 今日の仕事は、森林の生態系を実地見学することだ。社員も息抜きになるのだろう。みんなでお菓子を食べながら、カラオケしつつ、車用バスで奥多摩まで来た。
 現地についたころには、みんな歌いすぎで喉がからからだった。
 森林の空気を吸うと、体がリフレッシュされて気持ちいい。
 僕らは社員の誘導で、森の奥深くまで案内された。
 この森に何種類くらいの動物が生息しているのかという説明を聞いている最中、チェーンソーのうなり声が聞こえてきた。
 かなり近くで鳴っている。林業の人が仕事中なのだろうか。
「なんか木を伐採してる音がしますね。ここ、うちの会社の保有地なのになあ。ちょっと見て来ましょう」
 一番偉い部長がそう言った。エコ志向のベンチャー企業なので、部長はまだ三十代前半だった。
 みんな気になったので、全員でチェーンソーの音がする方へ歩いていった。
「いいよ、いいよ、最高! すごいいいよ」
 男の声と、カメラの撮影音がした。
 チェーンソーを持っていたのは、白い水着姿の女性だった。可愛くて、胸も大きかった。
 男性のカメラマンとスタッフも数名いる。日焼けしたカメラマンは、何故か下半身ブリーフ一枚で写真を撮っていた。
 水着姿の彼女が、木にチェーンソーを当てた。チェーンソーがうなり声をあげて、木に食いこんでいく。
「いいねいいね、その太いのばっさりいっちゃってよ。ほら、もっとさすってあげちゃって」
 カメラマンが煽ると、彼女も楽しげな顔をしてチェーンソーを動かした。
「ちょっと! 何してるんですか」
 部長が走って撮影を止めにいった。
「ここ、うちの会社の保有地ですけど、誰かに許可とってやってるんですか」
「そうでしたかすいません、気づかなくて」
 カメラマンが悪びれる様子もなく答えた。水着の女の子は、まだチェーンソーを木に当てていた。
「俺、あの子ネットで見たことあるぜ。名前忘れたけど、グラビアアイドルだよ彼女」
 就職浪人中のインターンシップ仲間が教えてくれた。
 僕は彼女のことを知らなかったが、そう言われれば、アイドルに見えなくもなかった。
「あなたも、チェーンソー止めてください」
 部長が呆れて怒った。
 彼女はチェーンソーを振り上げて、部長の体めがけてぶん投げた。
 部長はよけようとしたが、無理だった。部長の胴体にチェーンソーが食いこんだ。インターンシップ中の女子が悲鳴をあげた。
「ちょっと! どうしちゃったの?」
 カメラマンが慌てた。
「森は誰のものでもありません。森は森のものです!」
 グラビアアイドルがアニメ声で主張した。
「やばいよ。この人、死んでんじゃねえの?」
 カメラマンが血を流しながら倒れている部長を眺めた。
「見てたのは、君たちだけか。しょうがないな……マネージャーさん、どうしましょうか?」
 カメラマンに呼ばれて、スーツ姿の男が前に出てきた。
「しょうがないですね。プロモーション考えると、ここでみなさんに死んでもらった方がいいんじゃないですか」 
「口を封じるにはまず股間からって言いますもんね。やっちゃいますか」
 白ブリーフのカメラマンが、部長の側で振動しているチェーンソーを手に取った。
「それじゃ全員、森の精となれや」
 チェーンソーを持ってカメラマンが走ってきた。僕らはわけもわからず走って逃げた。
 必死で走っていると、後ろで「どりゃー!」というかけ声がした。一際大きいチェーンソーのエンジン音が響いた後、女性の断末魔が聞こえた。
 走るのをやめて、振り返ってみた。僕のアシスタントコーチ役だった、入社二年目のお姉さんが血をふいて倒れていた。
 カメラマンが僕を見て笑った。獲物を見つけたライオンに、狙われた感じがした。
 僕は必死で走った。後ろにどんどんチェーンソーの音が迫ってくる。
「死ねクソガキ」
 僕のすぐ横をチェーンソーがかすめた。カメラマンがチェーンソーを投げつけてきたのだ。
 これはチャンスだ。僕は木と木の間に挟まったチェーンソーを手に取って構えた。
 カメラマンが僕の前まで来た。
「お前にやれるのか?」
 カメラマンは不敵に笑いながら、白ブリーフの腰を低く落とした。
 僕はチェーンソーを持って、カメラマンめがけてダッシュした。カメラマンもカンフーの構えをしながら、僕の方に突進してきた。
 このまま僕は人を殺すことになるのだろうか。
 これは正当防衛として、許されるのだろうか。
 裁判では、僕は被告の側につくのだろうか。
「カメラマンさ〜ん」
 後ろから水着姿のグラビアアイドルが、手を振って走ってきた。僕は動きを止めた。
「マネージャーがお昼休憩ですって〜早くこないと、から揚げ弁当なくなっちゃいますよ」
「うそ? 俺またのり弁なんてやだよ」
 カメラマンはグラビアアイドルと一緒に走って、元の方向に戻っていった。
 チェーンソーのうなり声がうるさかったので、僕は電源のスイッチを切った。
 この後、取り調べだ、裁判だと巻きこまれたら、就職活動に支障が出るので、僕は今日のことを忘れることにした。
 電車に乗って一人で東京都内まで帰った。昼飯は、奥多摩駅でから揚げ弁当を買って食べた。





 就職試験に有利と言われる面接指導の有名校で、授業を受けることにした。
 初回は無料体験入学だ。
 不況の時代、なんとか内定をとろうとしている学生が多く出席していた。
 授業の講師はこの学校一番人気という、熱血指導で知られる元広告マンだった。
 授業中は、グループを作って、面接模擬練習とか、エントリーシートの添削とか、社会人の礼儀作法とかを勉強した。
 どれも本やネットで知ることができる情報だが、グループ形式でディスカッションしながら勉強したから、少しは身になった気がした。
「おし! 今日は焼肉じゃ!」
 チャイムが鳴ったら、熱血講師が絶叫した。
「俺のおごりじゃ! みんな行くぞ」
 教室が一気に盛り上がった。
 こういう豪快さも社会では必要とされるのだろうと思った。
 新宿駅前の焼肉店に、十四、五人で入った。おごってもらえるとわかっても、辞退して帰る人はけっこういた。
 ピッチャーに入った生ビールが運ばれ、続いて上質カルビが何皿も運ばれてきた。
「みんな食べろ! 就活するには、焼肉が必要じゃ」
 人気講師ともなると、給料が飛躍的にあがるのだろう。講師自ら何枚も上質カルビを食べ続けた。
 僕は最近ベジタリアンなので、キムチをつまんだ。
「ところでさ、君、あの噂知ってる? 全員全裸の女性専用車両があるって話」
 僕の隣に座った気弱そうな男子が話しかけてきた。彼の小皿にはホルモン焼きが大量に用意されていた。
「なんか全員全裸で銃を持っててさ、男が乗ろうとすると、射殺されるって言うんだよね」
「それ都市伝説? ニュースとかになってんの?」
「ニュースになるわけないじゃん。マスコミのニュースにはさ、本当にやばい情報はのらないわけよ。ネットだとこの話で、すげえ盛り上がってるけどね」
 僕はうさんくさい話だと思った。
「動画あるけど、見る?」
 見たいと言ったわけでもないのに、彼が携帯電話を取り出した。人気講師の周りの席では、ビールピッチャーの一気飲みコールが始まっていた。
「ほら、これ再生してみて」
 再生ボタンを押してみた。森の中でチェーンソーを振り回す水着アイドルの動画が再生された。
「何? これお前の趣味?」
「うわ、ごめん間違えた。こっちこっち」
 彼が手早くボタンを連打して、もう一度携帯電話を僕に渡した。
 再生ボタンを押すと「正義」という文字が液晶画面いっぱいに現れた。
 駅のホームの映像になった。満員電車が到着する。カメラの前で停まった車両には、全裸の女性しか乗っていなかった。
 コート姿の女性たちが車両の中に入っていく。降りる全裸女性はいない。彼女たちは手に大小の銃火器を持っていた。
 はげちょびんのスーツおじさんが車両に入ろうとした。銃撃音が鳴り響いた。おじさんが蜂の巣状態になって、ホームに倒れた。
 ベルが鳴り、列車が発車した。液晶画面には再び「正義」という文字が、太字で映し出された。
「な、すごいだろそれ」
「映画の撮影か何かだろこれ」
「いや、本当にあったんだって」
 僕は信用しなかった。
 焼肉屋では盛り上がりが続いていたが、僕は忘れ物をしたことに気づいたので、学校まで戻ることにした。
 学校のビルまで走って戻った。無人のはずなのに、教室のフロアにライトがついてる。出る時に消灯したはずだけどと思いながら、エレベーターを上った。
 教室に入ると、全裸の女性でいっぱいだった。みんな床の上に座り、焼肉を食べていた。
 服を着た僕は場違いだった。全員が入り口に立つ僕を冷静な顔で見つめた。
 彼女たちは焼肉をつかむ箸をおいて、立ち上がった。
 部屋の隅に銃が並べられているのが見えた。
 彼女たちが銃をとりに行こうとした瞬間、僕は教室のドアを閉めて、非常階段を駆け下りた。
 教室がある階から、銃撃の爆音が響いた。僕は後ろを振り返らず、必死で逃げた。
 自転車に乗って、自分の部屋まで帰った。
「正義」の動画を見せてくれた男とは、グループディスカッション中に携帯番号を交換していた。僕は彼に電話をかけてみた。酔っ払った声で彼が出た。
「突然帰ってどうしたんだよ。今、熱血講師と一緒にキャバクラきてるんだ。おいでよ、さっき延長したばかりだから」
「お前が言ってた全裸の女性集団、学校に戻ったら、いたよ」
「は?」
「教室で焼肉食ってた。俺を見たら、銃を撃ってきたんで、急いで逃げたんだ」
「何言ってんのお前? あんなのネット上のお遊びに決まってるじゃん」
 電話が切れた。僕は彼女たちの姿を、携帯のカメラで撮影しておけばよかったと後悔した。





 就職活動中にも関わらず、事故にあって入院してしまった。
 横断歩道を歩いていたら、黒いワゴン車が猛スピードで突っこんできたのだ。
 黒いワゴン車はそのまま逃走した。僕は全治三週間の骨折をおい、入院した。
 退院まで、就職活動は中断だ。携帯電話でエントリーだけしておくことにした。
 退院後、松葉杖をついて面接に行ったら、どん引きされるかもしれないが、希望だけは持っておくことにした。
 病院の部屋の窓からは、薔薇の園が見えた。真っ赤な薔薇の花が庭一面に咲いている。
 薔薇園の手入れをしているおっさんは、何故かセーラー服を着ていた。頭もはげあがっているのに、何故セーラー服を着ているのだろう。彼が薔薇園で作業している姿をよく見ていたが、誰も気味悪がっていなかった。
 病院なんだから、噂がたってもおかしくないのに、セーラー服のおじさんはみんなに受け入れられていた。僕も薔薇を入念に手入れしているおじさんのことを好ましく思っていた。
 松葉杖をついて外を歩けるようになった。僕は薔薇園に行って、おじさんに質問したいと思った。「何でいつもセーラー服を着ているんですか?」と。
 子どもみたいなぶしつけな質問だ。
 面接官は、大学生に無邪気な質問をしてくることがある。まるで、無粋な質問に受け答えできることが、社会人の証であるかのように。成人の僕が、大人に向けて、素朴な疑問を口にすることも、許される気がした。
 毎日おじさんが薔薇園に現れる午後二時頃、僕は松葉杖をついて、病院の外に出た。
 歩道を歩いて、薔薇園に向かう。前方の曲がり角から、リュックをかついだセーラー服のおじさんが現れた。
 おじさんのすごいところは、毎日違う制服を着てくることだ。今日はセーラー服に赤いミニスカートをはいて、ルーズソックスをはいていた。
「こんにちは。いつもお世話様です」
 おじさんとすれ違った看護婦さんが挨拶した。おじさんは頭を下げて、丁寧に挨拶を返していた。
 看護婦さんが、おじさんを気味悪がっている様子はなかった。やっぱり何かおかしい。
 僕は薔薇園の近くまで来ると、ベンチに腰かけて、おじさんの様子を見守った。
 おじさんは雑草をむしり始めた。作業は手馴れたものだった。
 僕はベンチから立ち上がり、薔薇園の中に入った。おじさんが僕に気づいて会釈をした。
「こんにちは。いつも窓から薔薇園を見てたんです。素敵な薔薇園ですね」
「そうですか。そりゃよかった。薔薇も見られて喜ぶでしょう」
「ここには赤い薔薇しかないんですか?」
「前は白い薔薇を植えてたんですけどね。今は赤いのだけだ」
 おじさんは空を見上げて、昔を懐かしむような表情をした。
「一つ聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「私が知っていることなら、答えますよ」
「おじさんは、何故セーラー服を着ているんですか?」
 おじさんの顔が凍りついた。
 おじさんはリュックのある場所に戻り、スコップを取り出した。こちらには戻ってこず、薔薇園の外れで、土を掘り始めた。
「何を掘ってるんですか?」
 おじさんのところまで歩いて尋ねた。
「種をまこうとしてるんだよ」
 おじさんの声はさっきまでと違って、ひどく冷たかった。
 プライベートな趣味の質問をしたから、怒ってしまったのだろうか。
「薔薇はちょうどいい武器になるからな」
「美しいものには棘があるって言いますね」
「棘だけじゃない。毒も加えてるんだよ」
 おじさんがにやっと笑った。
「こっちに来てごらん」
 おじさんと一緒にリュックの側まで言った。リュックの中には薔薇を手入れする道具がたくさん詰めこまれていた。
「ほら、これだ」
 おじさんが薬品の入ったボトルを取り出した。
「薔薇の肥料ですか?」
「猛毒だ。人間を即死させることができる」
 おじさんは、水の入ったじょうろの中に薬品をたらした。
「毎日こうして育ててるんだよ」
 おじさんが毒入りの水を薔薇にまいた。
 僕は息をのんだ。薔薇園前の通りでは、家族連れが散歩していた。
「何のために毒をまいてるんです?」
「だから言ったろ。武器にするためだ」
「病院の人たちは、知ってるんですか?」
「みんな知っていることだ。俺たちは復讐するために、この病院を建てたんだよ」
「何言ってるんですか? 誰に復讐するんですか?」
「君も被害者の一人だ。軽くてよかったな」
 水をまき終えると、おじさんが後片づけを始めた。
「それじゃあね。早く退院しなよ」
「ちょっと待ってください。おじさんは、なんでセーラー服を着ているんですか?」
 おじさんの表情が暗くなった。
「答えてください。大人でしょ?」
「世の中に、答えの出ない質問がたくさんあることを君は知らないのか?」
 おじさんは寂しそうな顔をして、歩いて帰っていった。
 僕は仕方なく、松葉杖をついて病室に戻った。


十一


 彼女からマフラーをもらった。
「ね、これプレゼント。素敵でしょ?」
 彼女の顔が、僕に何かをねだる時の表情になった。
「何かお返し欲しいの?」
「何もいらない。ただ、プリン食べるの許して欲しいの」
 僕の彼女は大のプリン好きだ。毎日一回はプリンを食べていたが、最近ダイエットすると言って、プリンを断食していた。
「別に僕が禁止したわけじゃないじゃん。自分で食べるのやめるって決めてたんでしょ」
「こんなの見たらね、もう我慢できなくなっちゃった」
 彼女がビラを出してきた。「一日限り、超特大ジャンボプリン試食会」とビラに書いてあった。一戸建て並みに巨大なプリンの写真が映っている。確かにこんなの見てしまったら、プリン好きにはたまらないだろう。
「ね、見てみたいでしょ」
「君は食べたいんだろ」
「行ってみようよ」
 というわけで、僕の運転でジャンボプリン試食会場まで向かった。
 会場につくと、青空の下にジャンボプリンがそびえ立っていた。二階建ての一軒家かとみまがう巨大さだ。
「いらっしゃいませ」
 女性のピエロが出迎えた。
「さ、こちらへどうぞ」
 ジャンボプリンの近くにテーブルと椅子が並べられており、大勢のお客さんがプリンを食べていた。
「あそこで食べてるの、ジャンボプリンの一部ですか?」彼女が質問する。
「あれは、同じ原料で作ってるミニミニジャンポプリンです」とピエロ。
 ミニミニジャンボプリンって、普通の大きさのプリンだろと思ったが、口には出さなかった。
「は〜い、ようこそ、ジャンポプリンの新世界へ」
 マジシャンの格好をした男が挨拶してきた。
「マジシャンのマジしゃんです」
 僕も彼女もきょとんとした。蹴飛ばしてやろうかと思った。
「見学料は二千円です」
「見学って何するんですか?」
「ジャンボプリンの近くまで行くことができます」
 ジャンポプリンは目の前にあるのに、これ以上近くによっても意味ないだろうと思った。が、彼女の眼は輝いていた。
「あのう、ジャンボプリンって食べることできないんですか?」彼女が尋ねる。
「三十分三十万円で試食できますよ」
「マジで? そんな高いの?」
「世界に一つのジャンポプリンですからな」
 マジシャンは誇らしげだ。
 彼女がいじらしげな顔で僕を見つめた。
「まさか、三十万円出せって言うんじゃないだろうな」
「十五万だけでいいよ」
「もったいないよ」
「一つしかないんだよジャンポプリン。なくなる前に食べたいでしょ」
「三十分以内に完食して下さったら、無料でいいですよ」
 マジシャンが、説明書きの看板を見せた。看板の下には、三十分で完食したという女の子の写真が映っていた。
「こんなでかいの。三十分で食った人、いるんだ」
「ええ、トンネルみたいな胃袋を持ってる女の子でしたな」
「私もいけるかも!」
「無理無理。できるわけないじゃん」
「やってみなきゃわからないでしょうが」
 その後二十分口論して、ようやく挑戦しない方向で落ち着いた。
 帰ろうとした時、ジャンボプリンの中から熱帯魚のプリントシャツを着た人が出てきた。プリンの壁を突き破って出てきたので、彼の体はプリンまみれだった。
「はあ、楽しかった。ジャンボプリンツアー」
 男が顔周りについたプリンを食べながら言った。
「何何? ジャンボプリン見学って、ジャンボプリンの中入れるの? お菓子の家みたい。中に入りたいな」彼女がせかす。
「見学料っていくらでしたっけ?」
「たったの二千円です」
 僕は二千円をマジシャンに渡した。
「二名様ですので、四千円になります」
 僕はもう二千円支払った。
「このシャツを着てって下さい」
 マジシャンから、熱帯魚のプリントが入ったシャツを渡された。
「何でこれつける必要あんの?」
「ジャンボプリンの中はいわば熱帯夜だからです。シャツ代は千円になります」
 僕はまた財布を取り出した。
「二名様で二千円になるんでしょ」
「ありがとうございます。ではごゆっくりどうぞ」
 僕らは熱帯魚のプリントシャツを着て、ジャンボプリンの裏側にある、小さな穴から中に入った。
 プリンの中は、細い通路になっており、プリンでできたこたつ、冷蔵庫、テレビ、トイレ、洗濯機などがおいてあった。
「すごいね。こんなおうち、住みたい」
 彼女がプリンの冷蔵庫をあけた。
「うわ、プリンで満杯」
 冷蔵庫の中には所狭しとプリンが整列していた。冷凍庫を開けると、プリン味のアイスが入っていた。
「これさ、冷蔵庫ごと食べられるんじゃない?」
 彼女が冷蔵庫にかぶりついた。
「やっぱりそうだ。めっちゃおいしい! カスタードプリンだよ」
「カウントスタート。残り時間、三十分です」というアナウンスが聞こえた。
 時計の秒針が鳴るカチカチカチという音も聞こえ始めた。
「お前がプリン食ったから、カウント始まったんじゃないの?」
「マジで? これ三十分で全部食べないと、三十万取られちゃうの?」
「ぼったくりじゃんここ。抗議しに出ようよ」
「そんなこと言ってる時間あったら、二人で早くプリン食べちゃお」
 彼女が勢いよくプリンの冷蔵庫を食べている。僕はキッチンの壁を叩いた。プリンだからか、手にカスタードがついた。
「残り二十九分です。見学中に三十分完食トライが始まった場合、トライ不成功の際は、ジャンボプリンが崩壊しますので、お急ぎ下さい」アナウンスが鳴る。
 僕は頭を抱えた。
「崩壊だって」
「崩壊してもプリンだから死ぬことはないんじゃない? もしかしたら三十万円とられないかもしれないし」
 彼女はプリンを食べることに夢中だった。僕も仕方なく食べ始めた。
 大きいからおいしくないかもと思っていたが、食べ始めると意外にいけた。
 キッチンの家具を二人で食べている間に三十分終わってしまった。
 ジャンボプリンは崩壊しなかった。
 僕らは無傷のリビング、寝室を急ぎ足で歩き、外に出た。
「見学希望のお客さまが大変多いので、今日は崩壊できません。お金だけ払っていってください」
 僕はマジシャンに向けて首をふった。
「お金がなければこのクレジット申込用紙にご記入下さい」
「見学中に食べ始めたら、こういうことになるなんて一切聞いてなかったよ」
 僕は逃げ切るつもりでいた。
「そんな片意地はらずに。さあさ、おいていってくださいよ、お金」
 警察を呼ぶ呼ばないの話になり、結局キッチン家具破損代一万円を払うことで和解した。
 僕と彼女は全員無料配布のミニミニジャンボプリンを受け取り、駐車場に向かった。
「あ、熱帯魚のシャツまだ着てるじゃん」
 シートベルトをしめている時に彼女が気づいた。僕らは慌てて熱帯魚のプリントシャツを脱いで、シートベルトをしめなおした。


十二


「ユウくん、起きなさい」
 誰かの声が聞こえる。朝になったのだろうか。
「ユウくん、ほら。今日は旅立ちの日でしょ。早く起きましょう」
 確かに今日は最終面接があるけれど、旅立ちの日と表現するほど大げさなものじゃない。
 僕はゆっくりとまぶたを開いた。
 窓から朝日がさしている。僕が眠るベッドの脇に見知らぬ女性が座っていた。美人の顔立ちをしている中年のおばさんだ。
「やっと起きたのね」
 おばさんと言うのもはばかられる美人の女性がそう言った。彼女はエプロンをつけている。
 僕は誰かの家に泊まったのだろうか。この女の人を見かけるのははじめてだ。
「おはようございます」
「そんな他人行儀に言わないで。泣けてくるじゃない」
 女性が顔をゆるませる。
「さ、ご飯の準備できたから、下におきりてきて」
 僕は彼女が誰なのか、思い出せなかったが、流れに従うことにした。
 ベッドから立ち上がると、僕は見知らぬ服を着ていることに気づいた。いつものスウェットじゃなく、荒い綿でできた、ぼろぼろの寝巻きを着ていた。
 この家のパジャマなのだろうか。辺りを見回しても、僕の持ち物らしきものは見当たらない。
 携帯電話も、鍵もない。というか家電が部屋に一切なかった。
 廊下に出て、木製の階段をおりた。
 リビングのテーブルには、料理の皿がたくさん並べられていた。朝からヘビーだなと思った。
 リビングにテレビもエアコンもおいていなかった。先程の女性が立っているキッチンの方を見ても、冷蔵庫も電子レンジも見当たらない。
 自然派志向の家なのかなと思いつつ、席についた。
「今日は旅立ちの日だからね、腕をふるって作ったの」
 彼女がスープを運んできた。鳥の丸焼き、サラダ、魚の切り身、パンの盛り合わせ、野菜や肉がたっぷり入っている鍋が、並べられている。
「それじゃ、精霊に感謝の祈りを捧げましょう」
 彼女が目をつむって、何事かを呟いている。
「ユウくん、おまじない言わないと」
「いやすいません、わからなくって。そういうの」
「何言ってるのユウくん。さっきから様子が変よ」
「すいません。僕の名前、ユウじゃないんですけど」
「もしかして、魔物にやられたの?」
 彼女は血相を変えて立ち上がり、家から出て行った。
 しばらくして、彼女が神父さんをつれて戻ってきた。神父さんの手には、金色に光る十字架が握られていた。
「おお、ユウくん! 今日は旅立ちの日であるというのに、そんな姿になって」
「神父様、やっぱりユウくんに、魔物の呪いがかかっているのですか」
「お母さん、お待ちくだされ、今、呪いを払って見せますぞ」
 神父さんが、僕の顔に金の十字架を突きつけてきた。
「さあ、出てこい。出てくるのだ」
 僕は思わず笑ってしまった。
「こしゃくな。この悪魔めが」
 めんどくさくなりそうなので、僕は気を失ったふりをした。神父さんが奇声をあげて、踊り始めた。
「やりましたぞ、お母さん。魔物は勇者の体から立ち去りました」
「勇者なんて。神父さん、そんな」
「勇者でしょう。彼は立派な勇者になりますぞ」
 神父さんはお金を受け取って、家から出て行った。
 僕が目をさますと、お母さんと呼ばれていた彼女が近くに寄ってきた。
「大丈夫だった?」
「うん。何とか」
「さ、早く着替えて。王様のところに挨拶に行かないと」
「王様に挨拶? 何言ってるの? さっきから」
「またそんなこと言って。もうまだ子どもなんだから。私が着替えさせてあげるね」
 大学三年生ながら、女の人に着替えさせてもらった。
 ファンタジーRPGでよく見る、冒険者の格好にさせられた。
「はい、これ、お父さまのものだけれど、使ってね」
 本革でできたぺらぺらの剣と盾をもらった。
「それじゃあ王様によろしくね。何かあったら、いつでも戻ってきていいのよ」
 泣いている彼女に見送られて家の外に出た。
 周辺にも民家があるが、どれもおんぼろだった。
「おおユウくん、今日ついに、冒険の旅に出るんじゃな」 
 杖をついたおじいさんがよってきた。
「つうか今日、午後から最終面接の予定なんすけどね」
「最終面接じゃと? 何かの試験か?」
「ええ。いちおう第一志望のところなんですが」
「勇者への道は長く険しいぞ。まずは王様のところに行くことじゃな」
 僕は街の一番奥にあるお城に向かった。城の兵士が全員敬礼してくる。僕は何か偉い立場なんだろうか。
「ユウくんのおなり」
 赤じゅうたんが敷かれた広間に通された。赤じゅうたんの先に王座があり、王様が座っていた。王様の両隣には、うちわを持った女性が控えていた。
「よくぞまいったユウくん、今日が旅立ちの日であるな。そちが魔物を倒してくれること、心から願っておるぞ」
「王様さ、軍隊とか持ってないんですか? 僕みたいな若いやつに魔物退治まかしちゃって、大丈夫なんですか?」
「わが軍隊は何度も魔物の制圧を試みたが、ことごとく敗戦した。希望をたくせるのは、伝説の勇者の血をひくというユウくん一人だけじゃ!」
 僕は頭をふって、城の外に出た。本革の剣と盾で、どうやって魔物を退治しろというのだろうか。
 僕は武器屋によってみた。
「おう、ユウくんじゃねえか。今日が旅立ちの日か」
「おっさんさ、いい武器売ってくれない?」
「この剣なんてどうだ? 一万出せば売ってやるぜ」
「お金持ってないけど」
「じゃあ帰りな」
「お金、どうやって手に入れたらいいの?」
「街の外に出たら魔物がうようよいるからさ、そいつら殺して、有り金全部ぶんどりゃいいよ」
 何その言い方、と思ったが、武器屋から出た。
 街の中には戦士や魔法使いの格好をした若者が大勢歩いていた。就職活動中の学生のようにも見える。
「あ、もしかして、伝説の勇者の末裔って、あなたですか?」
 気弱そうな眼鏡の男が声をかけてきた。彼は僕のよりマシそうな革の剣と盾を持っている。
「そうだけど、君誰?」
「お会いできて光栄です。僕、魔物退治の仕事をしているタナカっていいます。よかったら、一緒に冒険の旅に出かけませんか?」
 いかにも非力そうだったけど、一人で行くより安心かと思って、タナカを連れて行くことにした。
 街は城壁で取り囲まれている。外に出る門のところに、見張りの兵士が立っていた。
「おおユウくん。ついに旅立たれるのですか」
「おつかれね」
 兵士が門を開けてくれた。僕とタナカは街の外に出た。


十三


 街の外には平原が広がっていた。僕はとにかく、魔物と呼ばれている連中がどんなやつらなのか、見てみたかった。
 そして、最終面接の前に東京に帰りたかった。
「タナカはさ、魔物を退治したことあるの?」
「ええ、何回か」
 タナカみたいなのでも退治できるなら、たいして強い魔物ではないかもしれない。
「魔物って、どんな悪さしてるの?」
「とにかくとんでもなく危険なやつらです。王様の軍隊が世界征服の過程で、魔物を見つけました。我が国につれてきたら、やつら全員暴れ出したのです。本当ひどい連中ですよ。見るだけでキモいです」
 魔物の具体的イメージはつかめなかったけど、厄介な存在らしいことはわかった。
 平原を歩いていたら、向こうに女子高生の格好をした女の子が二人歩いていた。
 ひょっとして彼女たちも、東京から、こちらの世界に迷いこんできたのではないか。僕は嬉しくなった。
「ユウくん、いました。魔物です」
「え、どこ?」
 女子高生が魔物に襲われちゃまずい!
 僕は彼女たちの安全を確保するためにも、魔物と対決する気になった。
「あそこです。こっそり近づきましょう」
 タナカが女子高生の方に歩み寄っていく。僕には女子高生二人組みの姿しか見えない。
「タナカ、そっちにはさ、女の子たちしかいないけど、どういうこと?」
「しっ。気づかれますよ。ここは僕に任せてください」
 タナカが女子高生に向けて駆け出した。女子高生はタナカの姿を見て、悲鳴をあげ、逃げ出した。
「待てコラ。お前ら、成敗してやる」
 女子高生を追いかけるタナカの姿は変質者にしか見えなかった。
「いたぞ! そっちだ」
 遠くから屈強な体をした戦士の集団が走ってきた。彼らも女子高生を狙っているようだ。
「ちょっと待ってください」
 僕は戦士の集団の前に立ちふさがった。
「あなたは勇者ユウくんではないですか。今、ちょうど魔物を見つけたところです。一緒に戦いましょう」
「魔物って、女子高生じゃないですか?」
「ジョシコウセイ? それが魔物の名前なのですか? とりあえず先に失礼」
 戦士の集団は僕を振り切って、走り出した。
 僕もしょうがなく彼らを追いかけた。
 女子高生たちは、本革の剣と盾をふるうタナカにブランドもののバッグで抵抗していた。
 戦士の集団が駆けつけると、彼女たちは地面に押さえつけられた。
「よし、成敗開始だ」
 戦士の集団は、女子高生の制服を脱がし始めた。
「ちょっと何するんだ。やめろ」
 僕がやめさせようとしたら、戦士の一人に刃物を突きつけられた。
「ユウくん! どうしたのですか? 魔物の味方などして。魔物に呪いをかけられたのですか?」
 女子高生は全裸にされた。
 このまま酷い惨劇を目撃するのかと思っていたら、銃声が聞こえた。
 女子高生をおさえつけていた戦士が血をふいて倒れていた。全裸の女子高生二人は、両手にサブマシンガンを持っていた。
 サブマシンガンが乱射され、戦士たちは全員戦死した。 
 タナカは尿をもらしながら、地面の上に倒れていた。サブマシンガンの銃口が、タナカに向けられた。
「ちょっと待って」
 僕は慌ててタナカの前に走っていった。
「僕は君たちが魔物なんかじゃないとわかっている。君たちはひょっとしたら、東京からこの世界に来たんじゃないか?」
 彼女たちの顔つきが変わった。
「僕も昨日まで東京にいたんだ。今日の午後から最終面接があるから、早く帰らなきゃいけないんだけどね。君たちも、偶然こっちの世界にやって来たんだろ」
 女子高生の一人が鞄から携帯電話を取り出し、誰かと通話した。
「ユウくん、魔物と喋れるんですか?」
 タナカが泣きながら訴えた。
「何言ってるんだ。彼女たちも、人間だろ」
 平原の向こうから、自動車のエンジン音が聞こえてきた。
 ファンタジー世界に似つかわしくない、黒塗りのタクシーが僕らの前で停まった。
 後部座席の自動ドアが開いた。
 後部座席の奥には、全裸の女性が座っていた。
 女子高生が乗るように僕を促した。
「タナカ、お別れだ」
「ユウくん、魔物の乗り物ですよ!」
「うちの母さんと王様によろしく伝えてくれ。魔物とは仲良くするようにな」
 僕はタクシーに乗りこんだ。運転席には長髪のイケメンが座っていた。こちらの男性も全裸だった。
「どちらまで?」
 僕は最終面接の会場になっている企業の本社ビルを告げた。
 タクシーがエンジン音を吹かせて、出発した。
「新世界に来たかいがあったわね」
 隣に座る全裸の女性が微笑んだ。


十四


 夜、部屋でRPGゲームをやっていたら、携帯に電話がかかってきた。
「最終面接に進んでいただけますか?」
 この前トイレで面接を受けた企業からの連絡だった。
「あの日、トイレで面接を受けたみなさんのうち、合格したのは、あなただけです。大変期待しておりますので、ぜひお越し下さい」
 僕が面接を終えてトイレから出た時、奥のトイレで面接を受けていた男はいなかった。
 トイレから出ると、女子トイレの前で、女の子が泣いていた。
 他人にしてみれば、よっぽど過酷な面接だったのだろう。
 それでも僕は通ったのだ。次も楽勝だと思った。
 最終面接も本社ビルで行われた。
 待合室に通されると、二十名ほどの男女が座っていた。みなリクルートスーツを着て、緊張した面持ちをしている。
 最初の面接にいた人と、今この会場にいる人に、あまり違いは感じられなかった。
 待合室の隣からは、フラメンコギターの音が聞こえてきた。
「オレ、オレオレオレ」と男性のかけ声もあがっている。
 会社の中でフラメンコなんてして、許されるのだろうか。志望しておきながら言うのもなんだが、本当に自由な会社だ。 
 集合時間を過ぎた。眼鏡をかけたおっさんが部屋に入ってきた。
「すいません。みなさんに質問でーす。現在、友達が一人もいない人、いますか〜?」
 何故そんなことを聞くのだろう?
 既に面接試験は始まっているのだろうか。
 友達が一人もいないなんて、社会人にとってプラスになるはずがない。
 僕は質問の意図を理解しかねた。
 周りを見ると、僕意外の全員が手をあげていた。どうしたことだろう。みんな、友達がいないのだろうか。
 ここで僕以外の全員が次に進むか、僕だけが通過するのか。
 大きなリスクをとって勝負する気はなかった。
 僕も手をあげた。
「はーい。それじゃ、今手をあげられた方、こちらの会場に来てくださーい」
 全員が席をたった。
 何だこれは?
 僕以外の全員が、面接試験の質問内容を知っていたのだろうか。
 奇妙だった。ここにいる全員が、友達一人もいないとは思えない。
 かといって全員が、質問の正解を知った上で、手を挙げていたと考えるのは早とちりだろう。過半数が手をあげていたから、つられて自分も手を挙げたら、全員正解してしまったというところだろう。
 廊下にはポスターが貼られていた。
 水着姿のアイドルが、チェーンソーで木をきりながら、笑っている。この企業のイメージガールというからお笑い草だ。
 廊下を歩いた先に、でっかい檻のある部屋に通された。
 檻の中には、ライオンとしまうまがいた。
「それじゃ、みなさん。この檻の中に入っちゃって下さい」
 眼鏡おやじが檻の扉を開けた。眠っていたライオンが頭をあげた。
 みんな躊躇して、なかなか檻の中に入らなかった。
 一人、女性が凛とした足取りで檻の中に入った。
 勇敢な彼女に続いて、何名かが檻の中に入った。
「怖い人は無理に入らなくていいですよー。命の保障はありませんからね」
 僕はいちかばちかで檻の中に入ってみた。
 僕を最後に扉が閉められた。
「檻に入れなかった小心者のみなさん、お疲れ様でした。今日はもう結構です」
 入れなかった人たちは、重たい足取りで部屋から出て行った。
「それじゃ、私は席を外しますんで、そのまましばらくお待ちくださーい」
 眼鏡おやじも部屋を出た。部屋の中には、檻の中に閉じこめられたライオン、しまうま、就職活動中の男女十名が残った。
 最初に檻の中に入った女性が、しまうまの毛並みを撫でていた。しまうまのことが愛おしそうな様子が、見ていて伝わってきた。


十五


 さて、どうしたものか。これも試験のうちだろう。この状況でどう振舞うか、監視カメラでチェックされているに違いない。
 僕らはこれから、毎日試され続ける環境に飛び出すことこになる。ここでうまく切り抜けなければ、社会で成功をつかむことは難しいだろう。
 一人の男が、ライオンにちょっかいを出した。
 ライオンが男をにらみつけた。臨戦態勢だ。
「ライオンを刺激するのまずいんじゃない? あなただけじゃなく、みんなの命がかかってるんだからさ」
 別の男が文句を言った。
 そうだ、この場でミスをしたら、面接に落ちるだけじゃなく、死人も出る。
 ライオンを刺激した男は何を思ったのか、ライオンに携帯電話を投げつけた。
 ライオンが立ち上がり、男に噛みついた。
 悲鳴があがった。床に男の血があふれ出た。
 ライオンは元の場所に戻った。ライオンの警戒はさらに増していた。
「彼のおかげで一つわかったね。ここでは死人も出る。注意しないと、全員食い殺されちゃうかもね」
 しまうまをなでながら、最初に檻に入った女性が言った。
「死人が出るなんて、おかしくないか。ここは大企業だろ。就職希望の学生殺して平気なのかよ」
 檻の一番奥で腰かけている男が反論した。
「企業が殺したわけじゃない。試験中に、偶然、本人の過失で死んでしまった」
「そんなの通用しないだろ。普通試験中に人が死ぬかよ。ライオンがいる檻の中に閉じこめるなんて、理不尽だよ」
「ここくらいの規模の会社なら、やろうと思えば何でもできるんだよ。マスコミも、政治家も、警察も握ってるし、彼が死んだことなんて、不慮の事故で終わりになる」
「俺たちが真実を言ったとしたら?」
 僕が声をあげた。
 みんなの注目が僕に集まった。ライオンとしまうまにまで視線を向けられた。
「とりあえず、今はこの檻から無事抜けられるようチャレンジしましょう」最初の女性が言った。
 彼女はライオンの側に歩み寄った。ライオンが警戒態勢を強める。今にもかぶりついてきそうな勢いだ。
「はい、これどうぞ」
 彼女がスーツのポケットから小さなプリンを取り出し、ライオンに与えた。
 ライオンがプリンをむしゃぶりついた。
 彼女はライオンのたてがみを撫でて、あやした。
「怖がられると嫌だよね。いじられるとかみつきたくなるよね。本当は優しくて、強いのにね」
 ライオンは嫌がるそぶりを見せず、彼女に体を寄せた。
 しまうまがライオンと彼女の側に寄ってきた。
 自分もあやして欲しいのだろう、しまうまがライオンの隣に座りこんだ。
 部屋の扉が開いて、眼鏡おやじが戻ってきた。
「はい、お疲れさまでした。それでは、最終面接への通過者を発表します。そこのライオンあやしてるあなた、一名のみ合格で〜す」
 檻の鍵が開けられた。みんなしぶしぶ檻から出た。
 檻の中には、ライオンとしまうまと、ライオンに殺された男の死体が転がっていた。
「あの男のこと、どうするつもりですか?」
 僕は眼鏡おやじに聞いてみた。
「さあ、私は案内役に過ぎませんので、詳細は分かりかねます」
 おやじは笑顔だった。
「僕がネットなどでさらしたら、御社の信用に傷がつくんじゃないですか?」
「いくらでも自由にやっちゃってください。当社は学生一人の力など信用しておりませんので」
 僕らはエレベーターに促されたが、最初の女性だけが、奥の部屋に案内された。
 別れ際、僕は彼女の鞄の中を見た。
 彼女の鞄には、赤い薔薇が敷き詰められていた。
 薔薇の間に、拳銃が一丁、潜められているのを確かに見た。


十六


 タクシーは平原を走りぬけた。
「これ、食べといて」
 全裸の女性からプリンとスプーンを渡された。パッケージに「ミニミニジャンボプリン」と書かれている。
「早く食べといて。シートベルトもしめてよ。そろそろ着く頃だから」 
 彼女も食べ始めたので、僕もシートベルトをしめてから、プリンを食べた。
 僕がプリンを食べ終わらないうちに、タクシーが海に突っこんだ。
 海の中に、巨大な熱帯魚がいた。
 熱帯魚の口にタクシーが突っこむ。
 長いトンネルを潜り抜けたと思ったら、タクシーが巨大なプリンの壁にぶち当たった。
 急ブレーキがかかる。
 僕は目をつむった。
 ドンドンと扉を叩く音がする。
 目を開けると、マジシャンの格好をした男が扉の脇に立っている。窓が自動で開いた。
「おつかれっす」マジシャンが奥の全裸女に言った。
「セーラー服のおじさんは、準備できてるのかしら?」
「大丈夫っす。通信もつながってますし。この人は?」
「向こうで見つけてきたの。もう行くわね」
「お気をつけて!」
 タクシーが急発進した。
 後ろを振り返ると、巨大なプリンの横でマジシャンと女性のピエロが手を振っていた。巨大プリンの真ん中には、このタクシーが開けたのだろう、空洞ができていた。
 就職活動中、知り合った友達がしていた話を思い出した。都市伝説だが、全裸の女を乗せて走るタクシーがあるという。
 そのタクシーは首都高で、黒いワゴン車と銃撃戦をしながら、カーチェイスしたそうだ。
 銃弾で穴を開けられて、タイヤ四輪全てパンクした黒いワゴン車が、首都高のはずれに乗り捨てられていたという噂も聞いたことがあった。
 僕が乗っているのは、ひょっとして噂のタクシーではないのか。
 タクシーは何台も車を追い越して、猛スピードで走り抜けた。
 最終面接会場である、志望企業の本社ビルが見えてきた。
 タクシーは、本社ビル隣のホテル前で停車した。
 運転手と女性は、タクシーの中でコートを羽織り、外に出た。僕も慌ててシートベルトを外し、本革の剣と盾を持って、外に出た。
 ホテルで受付を済まし、最上階にあるスイートルームに入った。
 スイートルームには、小さい女の子がバニーガールの格好をして待っていた。
「彼女の名前、トンネルちゃん」
 女の子がおじぎをした。
「はい、これどうぞ」
 トンネルちゃんが、着替えの服を運転手と女性に渡した。 
 運転手は特殊部隊の戦闘員みたいな格好に着替えた。
 女性はリクルートスーツを着こんだ。見た目が若かったので、リクルートスーツを着ると、僕と同じ就職活動中の女性に見えなくもなかった。
「この子にもスーツ用意してあげて」
「スーツね、わかった。お兄さん、私の口の中に手を入れてもらえますか?」
 僕は首をひねった。
「スーツ、お兄さんの部屋から取り寄せますんで、どうぞ突っこんじゃってください」
 僕はおそるおそるトンネルちゃんの口の中に手を入れた。すると、洋服の生地が僕の手に当たった。
 布を掴んで引っ張りぬくと、僕の部屋にかけておいたスーツがハンガーごと口から出てきた。
「はい、急いで着てくださいね。そろそろ最終面接の時間ぽいから」
 僕は部屋のクローゼットにあったワイシャツを着てから、自分のスーツを身につけた。
「あのう、鞄もないなあ、なんて」
「いいですよ、手を入れてください」
「ごめんね」
 トンネルちゃんの口の中に手を入れて、部屋においていた鞄も取ることができた。
「じゃ、俺は先に行って、セーラー服のおじさんと待機してるから」
 武器を持って戦闘服に身を包んだ運転手が言った。
「気をつけてね」
 運転手がトンネルちゃんの口の中に、頭からすっぽり入っていった。
「私たちは、正面から入りましょう」
「僕は最終面接の予定だからいいですけど、あなたは?」
「大丈夫、私も選考通ってるから」
 トンネルちゃんをスイートルームに残して、僕らは企業の本社ビルに向かった。
 彼女たちが何を企んでるかわからないけれど、とりあえず、最終面接に無事間に合ったので、ほっとした。
「面接の待合室で質問されたら、どんな質問でも手をあげてね。あと、中に入ったら、私とは他人のふりして、行動すること」
 彼女の言う通り、「友達一人もいない人」という質問に手をあげたら、ライオンとしまうまのいる、檻のある部屋に案内された。
「それじゃ、みなさん。この檻の中に入っちゃって下さい」
 眼鏡おやじが檻の扉を開けた。
 僕はこんな危険なとこ、いくら将来がかかっているとはいえ、入りたくないなと思った。
 就職活動中の学生に扮した彼女が、僕の隣に寄ってきた。
「あなた、怖かったら、外に残ってて」
 僕は無言でうなずいた。
 彼女が檻の中に入った。
 他の学生たちも、何名か彼女に続いた。
「怖い人は無理に入らなくていいですよー。命の保障はありませんからね」
 眼鏡おやじが言う。僕は外に残った。
 最後の一人が入ったところで、眼鏡おやじが檻の鍵をしめた。 
「檻に入れなかった小心者のみなさん、お疲れ様でした。今日はもう結構です」
 なんだ、これで試験落ちちゃったのか。
 僕はがっかりしたが、仕方ない。命が大事だ。
 部屋から廊下に出た。みんなまっすぐエレベーターに向かったが、僕はトイレに寄ることにした。
「ちょっとちょっと!」
 廊下の曲がり角に、はげかかった薄毛のおじさんが顔を出して、手招きしている。
 おじさんの方に小走りで近づいた。おじさんはセーラー服を着ていた。
「こっちこっち」
 おじさんについて、奥の部屋に入った。
 部屋の中に、全裸の女性が武器を持って整列していた。床には銃火器と一緒に赤い薔薇も大量に並べられていた。
「これから何するつもりですか?」
 僕はセーラー服のおじさんに聞いてみた。
「花火を打ち上げるんだよ」
 おじさんが微笑んだ。
「何で僕、ここに呼んだんですか?」
 こういう変態集団と一緒にされては困ると思った。
「善悪がどう転倒しているのか、君は知っていたから、連れてきた」
 僕はそんなことより、トイレに行きたいと思った。大なのだ。


十七


 骨折が無事治り、退院した。
 松葉杖がしばらくいるかと思ったが、僕は自分自身の脚で、歩けるようになっていた。
 僕は早速就職活動を再開した。
 就職活動中、最大のニュースと言えば、学生人気一番だった某大手企業の本社ビルで、火災事件が起きたことだった。
 本社ビルで火災が起きて、同企業の役員以下数名が現在も行方不明のままだった。
 ネット上に飛び交う情報によると、事件当時、火災が起きた階からは、銃弾が飛び交う音が聞こえてきたという。事件前後に全裸の女性集団が、ビルの周りに出没したという情報もあった。
 武装した全裸の女性が女性専用車両に乗っている「正義」という動画が、ネット上に出回っていたので、その動画との関連性も指摘された。
 同企業のイメージアイドルが所属している芸能事務所周りにも黒い噂がたった。企業ポスターまで勤めていたグラビアアイドルは、事件発生直後、芸能界を引退していた。
 その企業の面接中には、死人も出たという噂も、就職活動掲示板に書きこまれた。
 けれど、どれもネット上の不確かな噂に過ぎない。マスコミは原因不明の火事が起きて、役員たちが行方不明になったと伝えただけだった。
 事件前後に、毎日部屋から眺めていた薔薇園から、薔薇の花がきれいになくなっていた。セーラー服を着たおじさんの姿も見なくなった。
 おじさんは、薔薇に致死性の毒をこめていた。あの薔薇は、武器として使われでもしたのだろうか。
 薔薇園の消失、セーラー服おじさんの失踪と、ネットをにぎわす事件との関連性はあるのだろうか。わからない。
 まあ就職活動中の僕にとってみれば、どうでもいい話だ。
 二ヶ月の活動の果てに、僕もようやく内定をとることができた。
 就職活動で情報交換をしている間に友達もたくさんできた。特に某掲示板で「ユウくん」と知り合えたことは、収穫だった。
 ユウくんは、例の企業で火災が起きた当日、本社ビルで最終面接を受けるところだったという。事件の話を聞こうとすると、ユウくんは話をそらして、語ろうとしなかった。
 そんなユウくんから、「内定取った」と携帯のメールが届いた。
 僕は喜んで、「今度会おう」と返信した。
「一緒に会って欲しい人がいるんだけど」とユウくんからすぐメールの返事が来た。
 僕も「誰?」と三文字だけうって、返信した。
「すごい武器を持ってる女の人」とメールが来た。
 すごい武器か。
 僕は薔薇の手入れをしていたセーラー服のおじさんのことを思い出しながら、「いいよ」と返事を出した。

(了)


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