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小説『修羅』

最終更新日:2008年1月28日

「電車女」


 台風が来る前、湿っていて、暑くて息苦しい月曜の夜、一人の女性がホームのベンチにうずくまっていた。彼女はベンチの真ん中に座っていた。腰から九十度に上半身を折畳み、茶髪の後頭部をひざの上に乗せて、声も動きもなく苦しんでいた。仕事帰りの修羅が彼女を見つけたのは、急行から降りて、各駅停車を待っている時だった。彼女の左隣では、友達連れの女性二人が楽しそうに話している。彼女と、隣の女性たちは、三人ともノースリーブの上着にスカートというギャル系の服装をしていたから、三人とも友人だとも思えた。しかし、隣の二人はうずくまる彼女を一度も視界に入れず、ほろけた顔で語り合っていた。
 彼女の右隣には、年老いたスーツ姿の男が座っていた。彼は無表情で前を見つめており、これまた隣でうずくまる彼女を物体だとでも思っているかのようだった。
 仕事帰りの人々と学生で賑わうホームは、各駅停車を待つ人の列でうまってきた。修羅は、彼女の斜め右前、栄養ドリンクの自動販売機前に立って、汗を額から垂らしていた。
 現在は二十時前である。彼女は飲みすぎで吐き気をもよおしているのかもしれない、よくいる酔っ払いなら見過ごしていてもすむだろうが、彼女の体を折り畳んだ姿は異常だった。酔っ払いなら、苦しみをまぎらわすため、体をゆすっているだろう。彼女は頭と腕を垂れたまま、全く身動きせずに苦しんでいた。人と人の隙間を縫う通行人は横目でちらちら彼女を見た。
「死んでる」
 通りがかりの、白いTシャツ姿の若い女が冷たい声でぼそっと言った。まさしく命を失った彫像のように彼女はたたずんでいた。
 修羅は彼女の具合をたずねようかと何度も思った。誰も声をかけない。両隣とも彼女の存在を無視している。彼女に「大丈夫ですか」と声をかけて、介抱するなり、救急車を呼ぶなりしたら、修羅は彼女のかけがえのない恩人になれるかもしれなかった。本当に他人事として、誰も彼女に関わろうとしていない。独人で苦しむ、もう意識を失っているかもしれない彼女の力になれるのは自分だけかもしれないと修羅は思った。そう思ったとたん、修羅の集中力、観察力は高まった。修羅は自分の他に、彼女を気遣う人間はいないか確かめた。混み合ってきたホームを通る人の中には、彼女の前に来ると、斜め右下に目をやる者もいた。通り過ぎてからも、頭を振り向けて、尋常ならざる彼女の様子を心配した人もいくらかいたが、結局彼らはみな通り過ぎてホームの奥に行ってしまった。
 修羅はまだ躊躇していた。英雄になれるチャンスかもしれないのに、修羅は他人行儀な都会の日本人として状況を見過ごそうとしていた。修羅はいつのまにか別の心優しい誰かが彼女に声をかけること、あるいは、駅員が彼女に声をかけることを期待していた。いつもなら、六両編成の先頭車両がくるこの辺りに駅員が一人いて、「次の各駅停車は六両編成です」と声をあげて乗客を誘導しているのに、不幸にもこの日駅員はいなかった。修羅は彼女のことを駅員に知らせに行こうかとも思ったが、誰かもう連絡したかもしれないと希望的観測を抱いて、その場に立って電車を待った。
 各駅停車がやってきた。修羅は電車が来るのに合わせて、彼女が立ち上がるかもしれないと思った。だが結局彼女は立ち上がらず、両隣の人が、彼女に目もくれずに立ち上がっただけだった。
 修羅は急行から降りて、この駅で各駅停車を待っていたのだが、彼女の様子が気になったのもあったし、到着した各駅停車も混んでいたので、もう一本電車を待つことにした。
 電車を待っていた人が各駅停車に乗り終わって、降りた人が階段に吸収されると、ホームに残ったのは修羅と彼女だけだった。彼女は相も変わらず上半身を完全に折り曲げて、不動の姿勢でベンチの真ん中に独人座っていた。彼女はもしかしたら電車が来たことにさえ気づいていなかったかもしれない。あるいは、気づいたのだが苦しすぎて、動くことすらできなかったのかもしれない。そうなら人に助けを求めてもいいのに、彼女は通行人から異常なものとして観察されるだけだった。彼女は意識を失っているかもしれないし、ただ熟睡しているだけかもしれなかった。
 またホームに次の電車を待つ人がやってきた。彼らは通りがけ、また奇妙なものを見る目で彼女を盗み見た。彼女を助けようともせず、都会人の冷たさを観察していることを修羅は奇妙に思った。自分もまた通行人たちと同じように彼女に関わろうとしていないのに、通行人の冷たさを批判できるわけもないと修羅は考えた。それでも修羅は彼女に声をかけようとしなかった。
 修羅は通行人からベンチに目を移した。彼女の右隣にはネクタイを締めていない黒いスーツの男が座って新聞を読んでいた。隣に座った男の超然とした態度を眺めていると、修羅は、彼女はただの酔っ払いかもしれないと思い直した。ただ、新聞読みの男は、彼女が一本前の電車からずっとこうして不動で苦しんでいるのを知らない。隣の男に比べれば、修羅の方が彼女の苦しみの長さを知っているのだから、罪が重かった。
 もしかしたら彼女はずっと隣に座る人間から無視され続けて、ああしてベンチの上で体を折り曲げているのかもしれないと修羅は想像した。駅員も面倒なことに巻きこまれたくないと思って、こちらにやってこないのではと思ったが、さすがにそれは妄想だろうと修羅は考えた。冷静に考えれば、彼女に声をかけるのが当然だ。それが恥ずかしいというなら、駅員に連絡するのが市民としての義務だろう。ただ、「市民としての義務」という言葉が日本の二十代の間では教科書の中の言葉でしかなかった。
 次の電車が駅に来た。前の各駅停車よりもすいていた。修羅はより人の少ない乗車口に向かい、電車に乗りこんだ。電車に乗りこむと、あれほど気になっていた彼女が、急に遠い存在となった。電車の中は冷房がきいていた。ホームで感じていた嫌な気分はきれいに払拭された。修羅は結局、彼女が立ち上がったのか、同じ電車に乗ったのか、それともうずくまったままなのか確認もせず、つり革につかまって、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」を読み始めた。
 修羅は簡単に天使にも、英雄にもなれるわけではないことを体験した。自分が原因で彼女が重病に陥ったり、最悪の場合死んでしまったら、どうしようと修羅は思った。そんなことを考えてみてもどうにもならない。無慈悲で見物好きの群衆にすぎない自分は、独人で苦しむ彼女をホームにおいて、急行に乗ってしまった、人の面倒に関わることで時間を消費するより、早く家に帰る自由を求めてしまったと彼は苦悩した。
 修羅はこの日、スーパーによって、VネックのTシャツを四枚買う予定だった。スーパーの閉店時間はわからなかたので、彼はできるだけ早く帰る必要があった。よく考えれば、そんなものはいつでも買える。彼女との出逢い。ひょっとして、救助の手をさしのべたら、一生の絆を築けたかもしれない機会を修羅は逃した。そんな出逢いを夢想するのが大げさだというなら、人の役に立つ機会、誠実な愛情を示す機会を修羅はいつも通り逸したのだった。彼はゲーテの教養小説を読んでいるが、その振るまいはひどく非教養的だった。
 修羅が電車から降りると、また湿気と熱気が体にまとわりついてきた。台風は明日にも本土上陸のおそれありというニュースを修羅は思い出した。(七月二十五日)


「修羅の性」


 修羅は最近人生において葛藤が多いと感じていた。一刻も早く小説家になりたいのに、なれずに性欲に悩まされる毎日…… 修羅は自分の意志のもろさと、解消しても解消しても高まる一方の性的欲求不満に悩み、神に己の欲深さを懺悔したい気持ちにかれらた。情動を一旦なきものと思って、冷静に自分のあり方を見ると(修羅は冷静という言葉を脳内に思い浮かべたとき、霊性という言葉を連想し、冷静な思考は強い思考だと考えた)、修羅は仕事に打ちこんでいないからこそ、性欲に振り回される気がしたのだが、一方、仕事である小説創作の中に多分に性欲現象を描きこんでいたので、そのせいで、実生活においても性的願望が中心に来てしまったのではないかとも思った。
 修羅は性欲を社会生活の一部分として小説の中にとりいれようと考えていたのに、性欲について書けば書くほど、自分の実生活に性欲的モチーフが肥大してきたことを悩んだ。いっそ性的なことなど一切触れないまじめな小説を書けば、自分も冷静に、熱なく暮らせるのではと考えた。
 修羅はアリストテレスが倫理学の中で、恋愛の徳についてどう語っていたか思い出そうとしたが、すでに昔読んだ話だったので思い出せなかった。とりあえず、落ち着いて、自分の愛されたい、恥ずかしいというエゴに振り回されるよりも、相手を愛する気持ちを前面に押し出すことにした。しかし、修羅は自分の愛情を周囲に露出するのをひどくためらった。
 よくよく考えると、修羅は性欲に悩まされる人たちを小説にたくさん登場させてきたが、愛の気持ちを交換しあう恋人たちの登場はほぼ皆無に等しかった。たとえ悲劇に終わるとしても、人間と人間の心の交いあいを修羅は描けなかった。彼が描くのはいつも孤独の苦悩だった。(九月九日)


「自己不信感」


 修羅は今まで書いてきた小説の中で、登場人物たちが親密に交流している場面は描いてこなかったように感じた。セックスは描いたことがあるが、心が抜けたような性交で、信頼とか愛しあう関係とか、そんなものは一度も描いたことがなかったと気づいいた。それを希求する人物を描いたことはあったが、決まってその願いは挫折を味わい、前段階で破綻するのだった。
 修羅は現在の自分の心境では、信頼しあう人間を描く小説は書けないと思った。自分の心に信頼という考えがなかったのである。修羅の心には不安と嫉妬と恐怖と希望しかなかった。
 彼は毎日小説を読み、書いているが、その活動は社会にまったく波及していない。小説と社会と修羅がつながらければ、人生や生活に信頼をおくことは不可能ではないだろうか。たとえ今行っている昼の仕事が生活費を得るためのアルバイトと変わらないものだとしても、修羅はこの生活態度からでは人生に基本的信頼感が根づかないのではないかと考えた。どうせなら小説に関係した仕事につけばいいものを、修羅は小説とはまったく無関係な職業を選んだ。さらに修羅は京極夏彦や村上春樹を読むと言うのは許されるだろうが、ジョイスやプルーストや大江健三郎が好きだなどとカミングアウトすると、インテリだと思われて軽蔑されるのではないかと考えて、小説の趣味については隠していた。それこそまさに、好きなものについて話すことが恥ずかしい、好きなことを表明したら軽蔑されるだろうと考える、彼の自己不信感のあらわれだった。
 基本的信頼感が抱けない生活から脱却するには、社会に絡んでいく小説を書けばいい、己の仕事が社会に波及していけばいい、しかし、そうなるまで何年もかかるというなら、修羅は今すぐ仕事をかえて、文化系の職を選んだ方がいいだろうと考えた。この考えは彼を何度も襲っていたが、めんどくささと、現環境の甘えを許してくれる居心地のよさのせいで、彼はだらだらと自己不信の生活を続けていたのだった。(九月九日)


「嫉妬」


 修羅は結局文学や少女マンガを読んでいるため、自分がその主人公たちと同じように、世界のいろいろなことに対して不必要なまでに苦しむ感性を持ってしまったのではないかとあやしんだ。そこで彼は、以前取り組んでいた内観法を思い出してみた。人にしてもらったこと、してくれたこと、迷惑をかけたことを思い出すと、不思議と人を恨む気持ち、妬む気持ち、焦り、不安が消えていった。
 嫉妬心に心を燃やすことは、相手に対して迷惑なことだし、何より自分自身に対して失礼な行為だと思うようになった。つまり、自分に尊敬の念を抱いていないからこそ、ほんの些細なことで怒りにわきたってしまうのであって、自分を大事に思う心があれば、嫉妬は消えると思えた。自分自身の人生に悪いという理由で、嫉妬を軽蔑するということは、きわめてエゴイスティックな行為のように思えもするのだが、少なくとも、わけもなく胸を痛めるよりは、気持ちが落ち着くのだった。
 文学に親しんでいない、本を読まない者の方が実直に人生のすばらしさを謳歌しているのではないかと修羅は卑屈に思ったが、生きていくことのすばらしさを教えてくれる本はあるだろうし、文学の卑屈な、敗北主義の奔流から離れて、勝利とは言わないが、読者に嫉妬の無意味を説く文章を書いていこうと修羅は決意した。(九月九日)


「修羅と埴谷」


 修羅は昨夜ベッドの中で埴谷雄高の文学論を読み、おおいに力づけられた。哲学、思想を多分に文章の中にふくませつつ語る埴谷は、修羅にプルーストを思い起こさせた。埴谷自身もプルーストを20世紀最大の作家と文学論の中で言及していた(埴谷にとってはドストエフスキーの方が上にいるようだが、修羅はナボコフがドストエフスキーをさんざん罵倒しているのを読んでいたので、ドストエフスキーはどうしても好きになれなかった)。修羅は日本にもこんなすばらしい作家がいるのに、今まで彼の名前だけは知っていたが、その偉大さを発見していなかったことを悔やんだ。同時に修羅は、自分が生きていく上での強い指針を埴谷からもらったように感じた。現実の友達と親交を深めるより、偉大な書物の著者たちと対話する方がはるかに有益だというプルーストの言説を、修羅は支持したい立場にあったし、彼はそのように暮らしもしていた。しかし、現実を置き去りにして、書物の世界に浸るのは、やはりいけないことではないか、誰かに批判されるのではないかと修羅は不安に思い続けていたのだが、埴谷の文章を読んでいると、こんな文章を書く友などどこにもいないと思えてきて、書物の中に真の友人を見出そうとする自分の選択は正しいと思えたのだった。(九月十三日)


「投票のメタファーとしての小説」


 修羅は今まで、投票に行ったことがなかった。学生時代に生徒会の投票は経験している。あれは学校行事であり、休み時間に自由意志で投票にいくという形ではなかった。授業時間を使って、教室に全員着席の上で、強制的に投票させられていたのだった。自由意志による投票となった大学生時代の学長選挙では、政治的意識が低く消費社会にまみれていた修羅は、投票に行かなかった。市長選にも参院選にも衆院選にも、修羅は一度も行ったことがなかった。
 そんな修羅が投票を意識したのは、先の総選挙で野党が大敗したためである。競争を積極的に肯定する新自由主義政策を掲げる与党が大勝し、地球社会との調和を掲げる野党は敗れた。修羅は自分一人が投票したところで、政治は変わらないという無気力感にとらわれていたのだが、一国民である修羅の投票で、政治体制が変わることなどそもそもありえないのだった。むしろ政治に余り関心のない青年の一意見によってころころ政体が変わってしまっては、独裁体制である。民主主義の常識に照らせば、一票によって政治が揺らがないのは幸福なことだった。修羅は小説の孤独な創作から、政治的連帯に意識を移していった。連帯からしか社会の変革は生まれないのだった。
 投票とは政局転覆を狙うものではなく、自分はどのような政治的立場を支持しているかの、近隣外国に向けての意見表明だとすれば、修羅は棄権していた投票に今後毎回行く必要があると感じた。どの党に投票したか、公の場で公表する機会は、現代ではほとんどない。社交の場で政治や宗教の話題を出すのはマナー違反とされる時代である。投票に意思表明の重みがないとすれば、修羅は文筆活動によって、自分の政治的立場を毎日表明していくことにした。
 それはサルトル的なアンガージュマンの文学だった。現代思想にかぶれていた大学生当時は、共産主義、毛沢東を支持したサルトルなど批判の対象にすぎなかったが、今や主流文化に対抗するには、アンガージュマンの姿勢が重要となるのであった。文学の終焉を叫び、サブカルチャーを批評の対象とするのもよいが、そのサブカルチャーが地球の破壊に向かう政治体制を容認していては、クリエイターおよび批評家も地球破壊の共犯者となってしまうのだった。むしろメインでもサブでも、暴力的破壊行為、地位的差別行為に対するカウンターカルチャーとして創作活動に励むのであれば、それはアンガージュマンとなるのだった。
 ただ修羅は、己の文学活動を絶対的に正しいものと信じ、体制を容認する創作活動全てを断罪するという愚行だけは避けたかった。それは共産主義国家の常道であり、社会主義リアリズム以外の作品を書く芸術家が、発表の場を奪われ、監禁、強制労働される歴史の繰り返しとなるかもしれないのだった。己の正義を妄信することなく、潔癖症的に悪を嫌うのでもなく、表現の自由を寛容すること。創作活動イコール永遠に連続するメタファーとしての投票活動を行うこと。
 修羅は自慰に等しい投票活動を、公共の場での意思表明に組替えようとしていたのだった。(九月二十二日)


「アンガージュマンとしての文学」


 修羅は人気テレビドラマの最終回を見ていた。主演女優がキスシーンを演じているのを見て、修羅は非常に嬉しがった。彼女がキスシーンを演じるとは思っていなかったからである。大学時代恋した相手によく似た主演女優のキスシーンを見ながら、修羅は心を和ませていた。
 同時に修羅は、アンガージュマンの作家としてどのように書いていくか、世界に対してどう責任を果たしていくべきかよく考えた。南半球では、多くの人々が構造的貧窮に苦しんでいる。死の苦しみに喘ぐ人々への助力をはたさずに、こうして日本で恋愛ドラマを見ながら発泡酒を飲んでいる自分の人生を修羅は批判したくなった。同時に修羅は、ボランティアか青年海外協力隊でアフリカに行った高校時代の生徒会長が、現地で病気にかかって死んでいたことを思い出した。自分はそうした活動もせず、こうして恋に苦しんで生きているのがひどく無責任なように思えた。しかし、このような自分を批判することは、社会正義をおしつける共産主義国家みたいだからと思い、修羅は批判をやめることにした。協力に向かうかどうかは本人の自由意志に基づくべきだと修羅は考えた。そうでなければ、日本に生きる人々全員を批判するしかないだろう。
 歴史世界は日本のような豊かな社会を目指していた。高度に豊かな社会がここに実現したのだが、問題は山積みである。第一に、この平和は貧困な国家の援助によって成り立っている。貧しく戦争に苦しむ国々をほっておいて、このような平和を享楽的に謳歌していていいのかという問題がある。第二に、日本は物質的に豊かとなったが、国民の心は非常に貧しい。日本より物質的に貧しい地域の人々より、日本人は幸福感を感じている度合が少ないという調査結果が発表されている。修羅自身も自分を幸福な人間とは規定していなかった。身についてしまった知識は、自分を不幸にする余計な汚物にすぎないと修羅は考えていた。その無力感は、日本の知識人と学生運動の挫折を反映しているかのようだった。
 この二つの問題を同時に解決する方法を修羅は考えた。貧しい国をほっておいて、享楽的に生きているのに、何故幸せに対する飢餓感が強いのか。修羅は自分自身を幸せな存在だとはっきり規定したかった。自分は誰の役にも立たず、愛されたい人からも愛されず、無用な知恵を積むばかりで不幸を運命づけられた存在だという自己規定をくつがえして、修羅は世界を覆う悲惨の克服に関わる仕事をしたかった。自分自身物質的にも精神的にも幸せであって、他の人にとっても憧れのモデルとなりつつ、他の人々の幸せを促進していくような、そんなヒーローになりたいと修羅は思った。
 もうすぐ生まれてくる修羅の子どもにとって、日本列島で生きていくことが幸せなことになるのか、それとも誰かの苦しみの上に立つ豊かさを無尽蔵に消費する、不幸な生活を送ることになるのか、地球と日本列島とのかかわり方を変革できるかどうかは自分の文章にかかっていると、修羅は誇大妄想的に考えた。
 生きているのが恥ずかしくないように生きること。今の修羅は常に羞恥心を抱えて生きていた。小説を書くのも恥ずかしいことだし、大学を出ていることも恥ずかしいことだったし、小説に詳しいことも恥ずかしいことだった。その恥ずかしさを全て誇りにかえること。子どもや妻に、父親の人生は恥ずかしくないものだったと言えること。妻も子も父親を誇りに思える文章を書いていくこと。
 地球に対しての間違いがより少ないように生きていくこと。修羅はこのように書くことさえ恥ずかしいことだと感じた。常に彼の人生は恥ずかしさとの闘いだった。何故こうも生きるのが恥ずかしいことなのか。子どもをつくろうと思うことにまで恥ずかしさを感じてしまうのか。今の生活はひどく間違ったものだという世界認識をかえるために、彼は世界の認識を変える小説を書いていくことにした。それは彼自身の人生をかけた闘争であり、日本の文学と思想を救うための闘いであったし、日本列島の存在意義をかえるための闘いでもあった。(九月二十二日)


「寂しい知識人」


 連休の一日目、修羅は「チャタレイ夫人の恋人」、「アブサロム、アブサロム!」を読んだ。文学を読んでいると、修羅の心はやすらいだ。修羅はやはり近代文学が好きだった。公開しているブログでは、作品のことを「小説」といつも言ってきたが、ロレンスを読んでいると、小説を「近代文学」と表記した方が、意思表明のアピールが高いのではないかと思えるのだった。
 今まで毛嫌いしてきた文学の同人を形成した方が、自分に正直ではないかと修羅は思考した。文学好きではない現在のつきあいを全て断って、文学同人の組織に入る。そう夢見てみると、ヒトのことは忘れて、文学同人で恋する人を見つけた方が、苦労が少なそうに思えるのだった。
 修羅は食事後、大雨のなか図書館に入った。そこで社会主義についての本と、スウェーデンについての本を読んだ。修羅は、自己規定が近代文学に限定されると、時代遅れの懐古趣味の作家になってしまうと感じた。やはり彼は同時代の社会問題に積極的に対峙する、知識人的な作家になりたいのであった。よくよく考えると、知識人というのは、大学教授とか、評論家とか、知的職業の肩書きを持っているものである。大卒の、ただの企業人である修羅が、知識人と名乗って社会と対峙することは、どうみても滑稽であった。誇れるほどの知識も見識もない。こんな状態では知識人を名乗れないと思った修羅は、近所の温泉に向かうことにした。
 連休でこみあっている風呂に入っても、なかなか肩の疲れはとれないのだが、それでもストレスで荒れた肌の治療にはなっていた。風呂から上がると、修羅はまた遠のいていた寂しさをぶり返し経験した。「休憩室に座っている男たちに対して、語りかける言葉を持っているだろうか、一億二千万人以上の人々に向けて、変革を促す力強い言葉をかけられるのだろうか」と修羅は煩悶した。自分自身は寂しさを毎日表明し、ヒトに嫌われたのではないかという妄想的不平不満をこれまた毎日繰り返す自信のない、幼い存在だったからである。
 修羅はヨガの行者のように自分の心を観察した。寂しさ、辛さ、文句など、否定的な感情が出る度に、修羅はそれをすくいとって眺めた。心の観察に集中すると、寂しさとか、ヒト肌をこい求める気持ちが消失して、えらく落ちついた気持ちになれるのだった。こうして観察している間は、何故過去あのように悩み苦しんでいたのか不思議に思えるのだった。心の観察を続けているかぎり、修羅は永遠に寂しさを感じずに、一人で孤立して生きていける気がした。しかし、家に帰ってベッドに横になると、途端にまた孤独の寂しさが彼を襲うのだった。
 気づかぬうちに修羅は眠っていた。目を覚ますと夜の八時だった。修羅はこれだけ悩みが積み重なるということは、やはり圧倒的に今の生活が間違っているのだという結論に達した。「作家になることに対する努力も集中も足りない。ヒトにうつつを抜かしている場合ではない」修羅は、読書と執筆に向かう時間を増やすことにした。今の生活と苦しみから抜け出すには、文に頼るしかないのだった。どうにかしてヒトに対して無関心を確立するようにして、別の仕事に取り組む必要があるのだった。
 寂しさの解消について思い悩むのは、仕事が社会的に認められてからでよいとした。しかし、こんなことは以前からもう数百回と悩み、結論づけたことで、いつまでも堂々めぐりが続いているのだった。(九月二十四日)


「トルストイに続けて」


 修羅は自分をアンガージュマンの作家としてうちたてることにした。現在活動している小説家のほとんどは、ただビジネスや芸術として小説を書いているだけで、アンガージュマンの作家ではなかった。修羅にとってアンガージュマンの作家とは、ドストエフスキーやトルストイやサルトルやカミュやマンのことであった。それらの作家は小説を書くだけでなく、日記も評論も書き、社会に大きな影響力を持っているのだった。彼はそれらの作家の中でも、倫理を尊ぶ教師的なトルストイを好んだ。
 修羅はトルストイについては「アンナ・カレーニナ」しか読んだことがなかったが、「復活」、「クロイツェル・ソナタ」、「イワン・イリイチの死」、「光あるうちに光の中を歩め」、「戦争と平和」といった小説や、「芸術とはなにか」、「懺悔」、「人生論」など評論をも読んでみて、世界中に影響を与え続けた大作家の思想世界を歩み続けた。自然と修羅はトルストイが何度も言及する福音書の世界にも回帰していった。
 修羅はトルストイの後を継いで、個人の性的願望に基づくエロスを描く芸術や商業作品ではなく、無差別、無執着の、誰にも等しくふりそそぐアガペーを描くことにした。誰をも愛そうと思えば、遠距離恋愛で苦しむこともなくなるだろうし、嫉妬や独占欲を感じることもなくなるだろうと思えた。大切な一人の人を愛するのはもちろんのことだが、たとえ彼女が目の前から消えても、世界中の人を誰でも愛することが正しいと思えたのである。その愛の状態においては、性は性欲だけに限定されるものではなかった。性は、欲望の結果、妊娠、育児が発生する。故に、誰にも無差別に愛を降り注ぐと言っても、エロスを伴う性関係は、信頼し、一生をともにする一人の人とのみ結ばれるのだった。信頼する一人以外の者と欲望のために関係を結ぶことは、彼女に対する裏切りとなるから、子供を含めた信頼関係を尊重するなら、控えるのが正しい欲望だった。
 修羅は文学に対しても、人間関係に対しても、自信を得た。将来にまで責任をとる決意をして、関係を結んでいくこと。今までの修羅にたりなかったのは、関係に対する責任感だった。(十月十六日)


「性欲は愛を感じなくさせる」


 修羅は毎日嫉妬に悩まされるので、認知療法を試してみさえした。結局彼は固定的なパートナーを求めればいいのに、恥ずかしさと自信のなさと恐怖と緊張によって立ち往生し続けているのだった。修羅は最近読んでいたトルストイの「戦争と平和」に出てくる19世紀ロシア貴族の恋愛作法にならって、結婚しようと思い立ったときにプロポーズするだけにして、20世紀の人々のように結婚前に性交を伴う恋愛関係になる必要はないと結論づけた。自分はどちらかというと19世紀小説をこよなく愛する古風な人間であるから、愛する小説のあり方に従って、自由恋愛を求めないことにした。
 皮膚の接触を求める心は寂しさに基づくものであり、己の弱さのしるしであると修羅は断定した。また、皮膚の接触を超えて、性交を求める気持ちは、快楽を愛することであり、これもまた己の弱さのしるしであると断定した。現代では避妊が当たり前に行われ、さも性交することは二人の間の愛の確認のように考えられているが、自分の望む古代哲学的小説の仕事に集中できず快楽ばかりを求めている現在の修羅は、修行時代の未熟な人間であり、勇気もなく、恥じらいばかりで、ヒトと愛を育み合う資格さえなかった。こう考えると修羅は絶望的な気分となるのだが、婚前性交の望みを絶つことによって、嫉妬と独占欲と快楽嗜好の心理的葛藤をも絶てるのだから、そのうち自由意志と仕事に対する意欲を回復できるだろうと考えた。
 修羅のこの決意はもとをたどればアウグスティヌスにまでたどりつくものだった。人肌を求める意志を悪とみなし、結婚こそ性欲という己をくるわせる悪を善にかえる唯一の方法だという考えに修羅は同意した。欲望を果たした後の出産と育児という責任をふくめて、初めて性の営みであり、性的欲望は何十年と続く両性の間の精神的交流のスタート地点にすぎない、刹那的衝動であると彼は考えた。
 彼は教養ある紳士のように振舞いたかった。それがどんなに時代錯誤な考えでも、彼は現代に納得していないのだから、マルクス・アウレリウスのように生きたいと思った。修羅は己の精神の平安にのみ満足を見出し、刹那的な熱気に自己を囚われないようにしながら生きよう、己の体の外にある自分自身で制御できない対象に、精神の喜びの元をおかないようにしていこうと考えた。
 平安をおびた愛はエロスではなくアガペーのはずだった。彼は世にあるいかなるものにも固執せず、揺らぎない無差別の愛を発揮し続けようと思った。
 嫉妬するのは、愛を感じていないからだと修羅は考えた。《いついかなる時も大きな愛が己の心に降り注いでいることを感じることができれば、嫉妬という感情と無縁になれるだろう。東京で暮らす現代人のほとんどは、愛を感じられない体質なように思える。》
 日本の男が女に愛していると言えないのは、ただ単に恋しているだけで、性欲的な愛しか感じていないからではないかと修羅は考えた。修羅はこれから恋や恋愛状態に陥ることはやめて、ただひたすら類としての人間を愛することにした。自分はもう愛しか言えないと思うことにした。《何故今まで愛を感じず、外からいただいた愛の喜びを周囲に示すこともできずに、不平ばかり言って生きることができたのだろう》と修羅は思った。
 修羅は寂しいという幼稚な甘えに基づく、エゴイスティックな感情が出そうになったときは、自分が多くの人から受けている愛を感じることにした。たいていさびしいと言っているときは、多くの人に愛されている事実を感謝の心で受けとめていないものである。性欲の対象たる一人のヒトからだけ愛を求めるから、寂しい寂しいというのであって、どうしようもなく自分を苦しめる性欲が愛に昇華すれば、寂しさは消え、充実だけが残るのであった。
 彼はさらに性欲のかわりに、愛を周囲に広めていくことにした。ついさっきまでの自分と同じように、本当はありあまるほど受けている愛情のありがたさに気づいていない人が、都会には大勢いると思った修羅は、彼ら彼女らに愛があることを教えることが、自分の生涯の仕事だと気づいたのだった。
《受けている愛をどうして忘れるのか、それは性欲のためである。性欲の対象たるヒトからずっと愛が備給されていなければ、他の人からどれだけ愛をもらっていても、それを無きもののように感じるのは、未熟な甘えのせいだ。性欲ではなく愛を示そう。》
(十月十八日)


(2005年頃連作)
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