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『リアリズムの虚構性に観念論の真実性が侵入し続ける対立の場… 小説』

最終更新日:2008年11月9日
…小説の書きだしをどうするか、これは時に最も大きな問題だが、うまくいく時には非常にスムーズに解決する問題でもある。だいたいうまくいく時というのは、大方書く物語が決まっているものだ。今回は、書く物語が決まっていないのに、何故かすらすらと行が進んでしまった。何故か。作者が書きだしに気をつかっていないからだ、注意を払わなければどんなことでもすんなり進んでいく。小説という虚構を維持しようと不必要に注意を払うと、一文書くのさえ悩みに悩むことになり、精神的に消耗し、脳が疲れ果てる。何故みな書きだしにこんなにも注意を払うのだろう…

…私はマルセルを読む。荘重でとことん文学している耽美の文章。特にエンターテイメント小説を読んだ後にマルセルに触れると、そのあまりの知的繊細さ、傷ついてしまったら二度と立ち直れないのではないかと思える可憐さに驚いてしまう。コーヒーを飲みつつ、マルセルのページに触れる。もはや文学が死んだ後、それでも生き残っている二十世紀(二重世紀、二銃世紀、二重性器)の花。私はかっこつきの「芸術作品」という迷宮に迷いこむ。芸術、この古めかしくてすでに死んでいる言葉。半分死にながらゾンビのように生き続けているしぶとい言葉。ゾンビが生きている? ゾンビとは死者であるはずだが…

…書き始めようとして書き始められない躊躇。決定できないままに、すでに小説は書きだされてしまっている。作者がトーンを決定しないうちに、意図せざるトーンで文章はすでに始まってしまっている。一つ終わった文章は次の文章を呼びこみ、さらに別の文章がそこに続き、作者も気づかぬうちに、一つの段落を形成する。次の段落では「文学作品」を読む別の登場人物が現れ、別の物語が進行している。あまりに書きだしが決定できなかったため、別の場所から、フィクションが勃興してきたのだ。
 虚構。幽霊に過ぎない登場人物が、さも現実を体験しているかのように作者は物語をつづる。幽霊の彼女は作者次第でどうにでもなる、レイプされうるし、私生児を産みうるし、殺されて灰になりうるし、幸せをつかみうる。レズビアンでもいいし、両性具有でもいい、性器が切り取られていてもいい。一度登場人物を生み出したら、作者は幽霊たる登場人物の人生に対して大きな責任をおう。幽霊の人生とは実に奇妙な言葉だ。人生がすでに終わったもの、現実には触れえない存在の人生について責任を負うといって、その責任とは一体何なのか。何に対して作者の責任が賭けられているのか。幽霊たる登場人物に向けてだろうか、それとも幽霊の人生を読み、影響される読者の人生に向けて?
 作者は創作物の親というべき存在だ。子どもの人生に対して親はどこまで責任を負うのか。どこまで義務を負うのか。過保護の作者とDVの作者とどちらを選ぶ? どちらも拒否する? …子どもが幽霊だったとしたら? 子どもが私生児だったとしたら? 作者は幽霊を生めるのか、幽霊の元となる死体をまず埋めるのか?…

…マルセルさえ読んでいたら、私は一生幸せだ。他にどんな本もいらない。「求められた時は失われて」という一冊の「真実」の人生につきあう私。しかし、マルセルだけに浸っていては、思考がとまってしまう、文学史の営みがとまってしまう。「真実の人生」、「芸術作品」という言葉を無批判に使っているマルセルの言葉に私は注意をはらう、異議申し立てをする。 
 マルセルに対する曖昧でせつない関係。昔からの恋人のような私のマルセル。読書の結果、マルセルは私のものとなる。所有化。彼は私の心の友となる。私についてマルセルは書いている。「私とはマルセルだ」作者との自己同一化。しかし、マルセルと私は決定的に異なる存在でもある。時空の隔て。私はプルーストを所有できない。私は「求められた時は失われて」の翻訳本を所有している。多くの人、世界中でそれこそ数え切れない読書家が自分なりの「求められた時」を所有し、愛読している、彼ら彼女ら一人一人にマルセルの一部が共有され、文学の小さなサークルができている。「これは私だ」「これは私のことについて書かれている本だ」という幸福な出会い。読書の喜び。等しく、等しからざる存在、愛読書の作者との出会い。私の精神は二十世紀初頭のパリとコンブレーに飛び、第一次世界大戦をも経験する…

…よく気づけば、今日この日は終戦記念日であった。韓国にとっては解放記念日、中国では何と呼ばれているかニュース報道されないのでよくわからない。日本にとって今日の日は終戦記念日であり、敗戦記念日ではない。お盆に終戦記念日。たくさんの幽霊たちが日本国土に現れる。アジア中に、先の大戦の犠牲者、殺戮者、侵略者、被侵略者たちの幽霊が出現する…

…私は一体誰に向けて書いているのか。私自身に? 私自身に私は文章を書くことができない。一分前の私と現在の私は同一の人間ではない。一分前の私は私とは絶対的に異なるもの、幽霊であり、一分前の私にとって未来の私は幻影でしかない。論理的には可能な推論である。故に私は私に向けて言葉を送れない。最愛の人に向けて私は文章を送っているだろうか。送ることはできる。送れるが、この文章は最愛の人に限定されて書かれた文章ではない。それにそもそも、最愛の人に限定して書かれた文章などはじめから存在不可能だ。最愛の人に向けて、そう意図して文章を書くことはできるが、最愛の人だけがその文章を読むわけではない。彼女の友達や、三年後の彼女や、彼女の子ども(私との? 私ではない別の誰かの? 彼女とは別の卵子を使った私と彼女の子ども?)がその文章を読むかもしれない。私が彼女に向けて書いた文章は、決して限定されえず、常に開かれている。それでも、「他の誰のためでもなく、ただひたすらあなたのために書いた」と彼女に伝えることはできる。それが偽善的な、性欲を裏にひそめた都合のいい嘘だとしても、メッセージは配信される。そもそも言葉は伝わらない。伝わらないからこそ言葉があり、人は書く。書いた言葉は、ばらまかれ、いたるところで性交する…

…犬が彼女を舐めた。共通の知人の部屋。飼い犬が彼女の素足を舐める。犬は私の手をも舐める。私は犬と一緒にいたい。犬は私の側によると、すぐ私の手を舐めまくる。私は犬に舐められたくないが、彼に触っていたい。愛撫したい。私が嫌がって手をひっこめると、犬はすぐどこかに行ってしまう。彼は人間の肌を舐め回すことを求める。私は舐められたくないが、触っていたい。彼ののどを手のひらで撫で、背中をさすってかわいがりたい。されど犬は舌で、私の素肌にふれたがる。嫌がると、犬は彼女の方に向かい、無抵抗の彼女の素足を舐めまくる。何故彼は皮膚が露出した部分だけ舐めるのだろう。不思議だ。しかし、自分が犬だと想像すれば、謎はすぐに解決する。私は洋服ごしに、彼女の足に口づけをしないだろう。私は露出している彼女の皮膚に口づけるだろう。犬も同じことだ。
 何故あの犬はあんなにも舐めたがったのだろうか。スキンシップのためか、愛情を確認するためか。言葉ではわかりあえないからか。
 ここで私は躊躇する。自分の思考に歯止めをかける。犬は話すことができないから舐める。人間は話すことができるからすぐに人を舐めない。これは人間性、動物性に対する誤解ではないだろうか、人間は動物より優れている、言葉を操ることができるのは人類だけだという大きな誤謬ではないだろうか。犬は犬同士で語り合う。人間だけが気づかないだけで、他の種とも彼らは活発にコミュニケーションをとっているかもしれない。そう、現に私と犬はコミュニケーションの土壌にいる。
「犬のように、無邪気に女性を愛撫できたらどんなに幸福なことだろう。私にはできない。何故だ、理性があるからか、良識があるからか、恥ずかしいからか。私は自分の性欲を抑圧し、礼儀よく振舞おうとする。ああ、舐めたいという欲望がかなえられないものなら、せめて犬の背中を撫でたい」
 動物とて恥ずかしがる。動物も考え理性的判断を行う。動物も煩悶するし、性欲を抑圧する。人間の方が高度で優れた文化を持っている? 確かに人類は大量虐殺し大量破壊する、大量消費し大量廃棄する文化を持っている。自分たちで制御できないほどの理不尽な技術を持て余している。
 結局私は犬と触れ合うコミュニケーションに満足できず、彼女を舐めまわす犬に嫉妬までして、性的ストレス、コミュニケーション抑圧による対犬関係ストレスを抱えることになった。負荷が加わった件について書くことで、私はストレスを拡散したことになる。書くこともまたコミュニケーションだ。中にたまっていた表現したいものを吐き出した。「人は書くことができるが犬は書くことができない。故に人の方が優れている」書くことの話すことに対する優位。しかし、私は直接コミュニケーションできないことでたまったストレスを、書くことで代理補償したかったのだ。書くことの話すことに対する劣位。書くことは、直接的合一の代理補償にすぎない。書くことを話すことより優位とみると、人は動物より優れているという答えが出てくる。書くことを話すことより劣位とみると、人は動物とそんなかわらない存在だと思える。

書くことと、話すこと、どちらが優位にあるか。小説の登場人物フェンネルが愛するJDという哲学者は、話すこともまた書くことだと言って両者の差異を無効にした。いや、書くことにも無数の差異があり、話すことにも無数の差異があり、二つは純粋に分けるのが不可能なほど混交していると言った…

…私は小説家の中で一番マルセルが好きだ。マルセルは私の人生の中で永遠に最高の地位を占め続けることだろう。私にとっての小説の独占。ただ、私の小説観をマルセルだけに限定させることは避けなければならない。個人的に好きだという感情は抱けないが、マルセル以上に重要だと思う作家、それこそ人間の思考に決定的な痕跡を残した作家として、私はジェイムズも愛する。ジェイムズの作品では、何より「オデュッセウス」が一番だと文学史から評価されているが、圧倒的に「フィン」の方が重要だと私は感じるし、私の愛する哲学者JDも「フィン」をプラトンから続く西洋史の終着点として過大評価している。ただ、私は「オデュッセウス」も「フィン」も好きではない。「求められた時は失われて」は古典的美しさをたたえているが、「オデュッセウス」と「フィン」は前衛の極致となっている。結局私は古典主義が好きで、前衛を嫌悪する古代人なのだろうか。
「求められた時は失われて」は圧倒的に古典というわけではない、古典と前衛が融合している。ジェイムズの作品にも当然のごとく古典と前衛が混合的に同居している。マルセルとジェイムズのどちらが好きか? あのような偉大な業績を前にしては、こっちが好きだが、あっちは嫌いだなどという個人的好悪感情の告白は何の意味もないだろう、二つのどちらかを嫌悪する態度表明はとりたくない、「両方とも好むがどちらかと言えばこちらの方が好きかな」という程度の微細な態度表明で許されるならば、私は「マルセルの方が個人的には好みです。何故なら…」とささやかな愛の告白を行うことだろう…





小説の原稿を書いては中断し、書いては中断し…
いいものが書けたと思っては、冷静になると嫌になり…
しかし、こうした煩悶と反省の繰り返しを超えて、
生き残ったものが作品となるのだろう… 排除と確立のシステム…
なんかこの中絶につぐ中絶の、プロット乱れまくり、スタイル乱交の状態が、ポストモダンチックだし、これでもう小説でいいのかも。


★★★


文壇や文芸誌の権威というものが崩壊し、サロンというものが存在しなくなった現在、最も注目すべき文化サロンは、巨大掲示板サイトの文学掲示板である。
みながパソコンに向かい、孤独に文学を営んでいる。小説を書くものだけが文芸誌を買っている、書くものと読むものの逆転現象… 書く読者、読む作家、二項対立の解消、溶解、混合状態にあって、まがりなりにも、文学について語り合うスノッブたちの現場を見たいと思えば、文学掲示板に立ち寄ることをすすめる。
私はたまたま、電車男みたいな小説を書こうと思いついた。電車男は読者理論、作者の死を一般化、大衆化、キッチュ化、消費作品化した点で、優れた作品であろう。私が書こうとしたのは、一人で作る電車男、さも大勢の人間が掲示板に書きなぐった結果一つのテクストができたかのようにみせる、作者一人の手による虚構の作品だった。

虚構の参考にしようと、普段は読まない巨大掲示板を見てみる。軽快なのりで、くだらない議論がわきおこっているだろうと思ったが、文学掲示板の住人たちは結構スノッブな議論をしている。どこにも見出せない文化サロンをそこに見出した気がした。創作文芸掲示板では、途端に思考の濃度が下がる。創作文芸掲示板の住人たちは、小説を書けることを確信している点で、文学掲示板の住人たちより小説観が遅れている。

村上春樹は小学生みたいな文章を書く、ディカプリオが出ているランボーの映画は絶対見ないなどという、文学版住人たちの、一般に受けている現象を受け入れず、罵倒するスノッブな姿勢は、現代でもこういう文化がありうるのかと奇妙な安堵感、驚きを私に与えてくれる。ただ、こんな言葉が今でも通用するのかわからないが、「大衆文化」を批判する彼ら文化エリートの身振りは、ポストコロニアル、カルチュラルスタディーズの見地からすれば批判の対象となる。

受けている文化を頭ごなしに軽蔑するのでもなく、ヨーロッパの知の伝統に根づく立派な文芸作品を愛するのでもなく、文化の組換え作業を行うこと。それが現代に必要とされる知の営みだろう。





…ジェイムズは近代文学、モダニズム最後の傑作を描いた。「オデュッセイア」と「フィン」の言語実験から生まれた成果から、それを模倣して、数々の現代文学作品が生まれる。もちろんジェイムズが、現代文学のオリジナルの起源としてただ一つ設定されるわけではない。ジェイムズとて数々の過去の作品の成果を消化吸収している、むしろ一番ヨーロッパの古典の過去を作品内に宿しているのが「フィン」だと言えるだろう。ジェイムズはヨーロッパでおきた文学の極限までたどりついた。ジェイムズから先を目指す現代文学、もしも歴史が直線的に発展するものならば…
…私のJDは、私がマルセルを偏愛するように、ジェイムズを偏愛している。JDにとってジェイムズが行った言語行為は、哲学の可能性を示す啓示だったのだ。JDはジェイムズの「フィン」以降の作家、ベケットやロブ=グリエ、ビュトール、クロード・シモンの業績について言をなさない。ジェイムズがヨーロッパの思想史に示した一つの規範、規範かつ解体であり、臨界点の最終宣告でもある一つの言語実験をJDは高く評価する。ジェイムズの「フィン」によって近代文学は終焉かつ最高の到達点を迎えたから、そこから後作られた先はジェイムズが示した「ヨーロッパの解体」という規範を超えた成果をあげていないから、JDは黙殺しているのだろうか。JDはカフカ、バタイユ、ブランショ、アルトー、ジュネなどジェイムズと同時代の、JDより先輩の文学作品は思考の題材として取りあげるが、同時代の現代文学は取りあげない。何故だろう? 戦後文学はジェイムズの示した戦略を超える技法を生み出していないのだろうか。いや、そうでもない。これは私の錯覚、憶測にすぎない。
 ジェイムズは一八八二年から一九四一年まで生きている。「フィン」は「オデュッセイア」が発表された一九二二年から「進行中の作品」の名のもと、逐次発表され続け、一九三三年に作品名の公表と同時に、最終版が発表されている。このジェイムズの人生という出来事を起点に、JDが他の作家、他の作品をどう取り上げたか見てみよう。この推理小説のような検証作業によって、果たして本当にJDがジェイムズ以降の現代文学の成果を黙殺していたかどうかがわかる。もちろんJDは作品発表と同時にジェイムズを読んではおらず、遅れて発見している。
例えば、ジェイムズやマルセルと並ぶ今世紀の思想史的事件、カフカは一九八三年から一九二四年まで生きた。これは「フィン」の発表より古い。ただ、カフカの全貌があらわれ、世界的に評価されたのはブロートによる全集出版の一九五八年であった。
 フランス現代思想の源泉の一つとなったバタイユは、一八八七年から一九六二年まで生きた。彼の主な著作活動は第二次世界大戦前後、「フィン」の発表よりも後に成されている。バタイユの盟友、ブランショは一九〇七年から二〇〇三年まで生きている(ちなみにJD本人は一九三〇年から二〇〇四年まで生きており、主用著作は六〇年代後半から発表されている。カフカ、バタイユ、ブランショとも彼より先に生まれている)。ブランショの主要著作は第二次世界大戦以降から現代まで発表され続けており、ブランショ晩年の作品についてJDが論評することもあった。明らかにブランショはジェイムズ以後の作家であり、この時点ですでにJDはジェイムズ以後の作家、現代文学を黙殺しているという私の仮説は崩壊する。より解体作業を進めてみよう。私の仮説を援護する声として「ブランショは思想家かつ小説家であり、むしろJDは思想家としてのブランショを読んだのではないか」が聞こえてくる。しかし、バタイユも、まあカフカもジェイムズもマルセルも完全な小説家ではなく、第一級の思想家でもある。後で取り上げるアルトーもジュネも小説だけを書いたわけではない。また、別の声が聞こえてくる。「ブランショはJDの先輩だ。JDより後に生まれた作家の作品を、JDは評価していないではないか。結局彼は根っからの古典主義者なのだ」。このような検証が一体何になるというのか。ナチスに賛同した知識人探しみたいで、実に興味本位な作業だ。
 ジェイムズの「フィン」以降の文学的成果をJDは取るに足らないものとして黙殺しているのではないかという問いは、「フィン」以降の作品もJDは取り上げているという結論にいたりそうだ。検証の過程で、第二の問いが浮かび上がってきた。JDは何故自分より前の生まれの人間の、評価が高い古典作品ばかり取り上げるのかという問題。
 アルトーは、一八九六年から一九四八年まで、無論デリダの先輩である。ジュネは一九一〇年から八〇年まで。両者ともJDより前の生まれである。今度は反対に、JDが取り上げなかったが、一般的には評価されている作家の生年を見てみよう。ベケットは一九〇六年生まれ、クロード・シモンは一九一三年、ロブ=グリエは一九二二年、いずれもJDの生まれた一九三〇年より前の生まれだが、JDは取り上げない。逆に、JDより後の生まれの人間で、JDが本格的に考察した作家はいただろうか。たとえいたとしても、そんなのはごくまれである。隠れたテーマが浮かび上がってきた。何故JDは、自分より先に生まれた作家を考察の対象としたのか? 遺産相続? 幽霊の検証? 打ち立てられた規範の検証? 文学史、哲学史解体のため? 自分より先にある強固な存在を組み直すため?…

…犬と一晩一緒に過ごしたからか目が荒れた。彼女もまた目が荒れた。二人で同じ目医者に行く。私はよくまぶたが赤くはれる。今回はとりわけひどい。疲れと睡眠不足と食生活の不規則および貧困と、小説の作りすぎが、私の左まぶたを赤く腫れさせたのだろう。私は昔から皮膚が湿疹におかされやすかったので、皮膚科によく通っていた。子どもの頃は顔に出なかったのだが、花粉症になったからか、目が悪くなったからか、よくまぶたや頬が赤く腫れるようになった。今日初めて眼科に皮膚科の薬をもらいにいく。皮膚科に行って「目の周りが腫れているんですが」というと、「ああ、眼科の薬をあげる」と言われる。今はまぶただけが強烈に腫れあがっている。なら眼科に行けばいいだろう。
 眼科の女医に過去の病歴を聞かれる。「アトピーがありました」と答える。「これもアトピーでしょうね」と医者が言う。私はは小さい頃からずっとアトピーだったが、大学の頃、皮膚科の医者に「もうアトピーではないですね。湿疹です」と言われた。確かに大学生となってからは、指や手足の関節まわりが真っ赤になることは少なくなり、軽くかぶれるくらいだった。アトピーではないと医者に言われた途端私は、自分はアトピーではないと認識した。皮膚科の待合室に貼ってあるアトピー患者の症状例は確かに自分のものと比べると壮絶で痛々しい。わざわざ最悪の例を並べているのかもしれないが、自分はアトピーでも軽症の方で、湿疹だと言われれば湿疹かもしれないと思った。医者の権威ある言葉に従って、私はそれから自分がアトピーだと言うことはなくなり、むしろ、昔はアトピーでしたと人に言うようになった。アトピーかもしれないのに、アトピーを過去のものにした私が、数年ぶりに、医師に「これもアトピーでしょうね」と言われた。今回も私は病歴を聞かれて、過去形で「アトピーがありました」と言っただけだ。現在はもうアトピーを克服したと思っていたのに、私はまぶたにアトピーを持っていたことになる。私はむしろ眼科医にアトピーと言われることを期待していたかもしれない。アトピーと診断されれば、薬が出るからだ。私は久々にアトピーと診断されることをうっすらと望んでいたのだ。最近の皮膚科は、アトピーに過敏になっている。ステロイド反対運動や、治療法、命名法の問題で、そう簡単にはアトピー性皮膚炎という診断を出さないようになったのかもしれない。
「私たちは眼科なので、ステロイドの入っている薬しか出せません」と眼科医が言う。皮膚科では「眼科の薬を出すよ」と言われたから眼科に行ったら、さも皮膚科ではないので、ステロイド入りの薬しか出せませんと言われたかのようである。
「ステロイドが入っているの大丈夫な方も、嫌われる方もいますよね。絶対だめだと反対される方もいらっしゃいますし、そこは患者さんの判断に任せていますが…」と延々と弁解の言葉が続きそうである。
「ステロイド入りで…」私はうなずいた。もとからあまりに赤みが強いため、強い薬を使って早く症状をおさめようと思っていたところだ。
「そうですか。じゃあ出しておきますね」
 私は診察料を払った後、調剤薬局に向かった。子どもの頃、田舎の皮膚科では、医院内で薬をもらっていたのに、大学で東京に来てからは、いつも診断を下す医師と薬を販売する薬局が別だった。必ず医院のすぐ近くに薬局があった。薬局と医院が分業すると、患者側は二度払うことによる費用負担増を感じるし、いくら近所にあるといっても移動の手間がかかる。医療期間側からすれば、薬剤の在庫管理の簡便化、必要人員の削減などメリットがあるだろうが、患者側には分業のメリットがあまり感じられない。しかし、目に使うステロイド入り軟膏の値段は二百八十円だったので、予想外の安さにほっとした。現在ときたま通っている皮膚科は不必要に六本くらい軟膏を処方してくれる。薬局に行くと、診察代よりも費用がかかってしまうこともあるし、そんなにたくさん軟膏いらないと思うのだが、何故か本数が多い。今度行く時ははっきり自分の意志を示そうと思う。そうだ、自分の意志をはっきり示せば、たいていの煩悶は解決する。
 眼科医がさんざんステロイド入りだからと気をつかってくれた軟膏は、皮膚科で処方された軟膏と同じものだった。体用の軟膏より、細く小い白のチューブ。
「ああ、確かに腫れていますね。手で直接とらないで、どこかに一旦出してから、指でとって塗ってください」と薬剤師が言った。指の雑菌がチューブ内に感染することを注意してくれたのだ。そんな注意ははじめて受けた。医療はこまやかになったものだ。
 医師と薬剤師に厳重に注意を施されつつ渡されたこの小さな軟膏は、皮膚科でもらった時は、「目のまわりに塗るようなので、弱い薬」として渡されたものだった。一度顔のまわりが荒れて「今何か塗ってますか?」と聞かれた時、「目のまわりに塗る用の薬を使っています」と答えたら、「あれは薄い皮膚用の弱いやつだから、それには効かないよ」と言われた。ステロイドも入っていない弱い薬だと思っていたのに、眼科ではステロイド入りの強力な薬として処方された。皮膚科と眼科という専門の違いから生じたことだろうか。ただ、皮膚科に行った時は「眼科の薬」として渡され、眼科に行った時は皮膚科の薬として渡される。目のまわりの皮膚の炎症は眼科の対象なのか、皮膚科の対象なのか、どちらの対象でもないのか、どちらの対象でもあるのか。どちらの対象でもあるのなら、何故両方とも「私たちの管轄ではないけれど」という態度で患者を扱うのか。これはどちらの対象でもないのだろう。しかし、どちらも薬は処方できる。皮膚科にとっては、体に塗る薬の方が強い成分のため、目の周り用の薬は小さな存在として扱われる。一方眼科では、皮膚に塗る薬は皮膚科のものだという考えがあるのか、やたら慎重な言い回しになる。皮膚科に行ったら「眼科に行って」と言われたのに、眼科に行ったら「皮膚科に行って」と言われないから、これはたらいまわしではない。お互い所属がはっきりしない仕事をおしつけあっているわけではない。ちゃんと処方されるが、いかんせん取扱が専門外という調子になってしまう…

…専門外。文学なのか哲学なのか。エッセイなのか随筆なのか。詩なのか散文なのか。リアリズムなのか観念小説なのか。小説の専門家と哲学の専門家が小説を書く場合、二人の小説は大きく異なった容貌を示す。小説の専門家二人が小説を書いても違いは出るが、小説の専門家ではない人間が書いた場合と比べると違いは小さい。もちろん一人の人間が小説を書くと、同じ人間が書いても毎回毎回完全に異なる作品ができることは確かだ。門外漢の人間が専門外の領域に飛びこむ場合、往々にして斬新な作品ができる。専門の人間が、凝り固まった専門領域の有り方を解体しようと振舞う場合もある。いつでもどこでも、何にも属さない存在であること。それは難しいことだが、領域を開拓する起爆剤になる…

…JDは何故同時代の作品を取り扱わないのか。彼は過去にできてしまった規範を崩し、再構築するため、古典ばかりを分析の対象としているのだ。JDは古典の権威を無効にする。徹底的に批判しつくす。JDの身振りを見ている限り、古典教養など古臭くて意味がないのではないかと思えてしまう。されどJDはひたすら、専門的に哲学や文学の最高峰と評価されている思考を脱構築の対象とする。何度切り崩してみても、専門的権威というのは不死鳥のごとく蘇るからだろうか。幽霊ではなく、復活する権威。うつろな残像ではなく完全なる復活。JDは確固とした構造物を幽霊に戻す。不死鳥の体は灰になり、流れさり、二度と復活してこないだろう…毎年毎年たくさんの小説が生産される。出版されるだけでなく、ネット上でたくさんの小説が公表される。新人賞への応募原稿も相当のものだ。この大量生産体制が二十一世紀の文学史を形成していく。過去の遺産を継承したもの、全く新しいものを文学史に持ちこんだもの、もちろん全く新しいものとか、純粋に何も文学史を継承していない斬新な作品というのはありえないが…ジェイムズが「フィン」で実現したヨーロッパの解体を継承する作家はいるだろうか。世界中での文学活動は継承実践していると言えるが、ジェイムズほどの強度で、ヨーロッパに激震を与えたものはいるだろうか。ジェイムズは極限までたどりついた。文学をわずかしか知らない者でも、ある程度の本好きならジェイムズの名や彼の著作について一度は聞いたことがあるだろう、全く異なるスタイルを持っているのに、ドストエフスキーとトルストイのように、「マルセルと並ぶ二十世紀最大のモダニズム作家」と形容される彼…ジェイムズはヨーロッパ文学を破壊した。完全に破壊しつくし、新しい地平を切り開いたはずなのに、何故か古風なリアリズムを踏襲した作品はたくさん発表されるし、ジェイムズの作品を楽しむものは少ないし、あたかもジェイムズが刻みこんだ解体作業の痕跡は忘却されたかのようだ。ジェイムズが文学を終わらせたはずなのに、まだまだ普通の文学は続いている。歴史の組換えは行われたのに、不死鳥のごとく当たり前の小説が復活して栄える、書かれる、読まれる、買われる、売られる。
 文学史を解体するよりも、文学史を肯定した方がいいのではないか。文学史はそのものにおいて、自己を破壊する特異な歴史経験であった。文学史の自己解体は世界に向けて表明されているのに、何故か当たり前の小説は大量生産、大量消費、大量廃棄のサイクルを続けている。こう言う私とて、「フィン」の文章を楽しみ、解釈しつくしたわけではない。私は「フィン」を理解できない。「フィン」は単純な理解など拒んでいる。小説という観念に対する過去の理解を捨てて、新しい読み方をするように「フィン」は促している。そのくせ「フィン」の中にはヨーロッパ古典が史上最大限息づいている。

…私はマルセルが好きだ。何回告白してもいい……

 デリダの最近の仕事を読む。灰についての論考。何故デリダを読む気になったのか。大江健三郎は、消費文化、東京の都会生活を描いた小説より、真面目な小説を書くと言っている。これは村上春樹、W村上的なものに対する「戦後文学」の対決宣言である(対する村上春樹は、「戦後文学」の語法を全部無にする戦い、文学の言葉を再建築する戦いを行ったのだった)。ソンタグと大江との対話などでも、大江は享楽的になっていく文化に対抗して、真面目な、真剣な文学を書くと言っている。大江の姿勢は、サイード、ソンタグ、チョムスキー、ゴーディマ、グラス、古くはサルトルなど、政治的な知識人の流れに位置づけられる。彼らはビートルズが隆盛し、消費文化が花開く60年代以前に青春を過ごした知識人である。80年代バブルの中で青春を味わい、小学生の頃から漫才ブーム以後のテレビとファミコンに浸かっていた、阿部和重以後の私たちは、大江らのようにアンガージュマンの姿勢を示しつつ、エンターテイメントとはとことん無縁な、アカデミックな活動を真っ当できるのだろうか。そう思っていたら、デリダの仕事が気になった。
 西洋の知に根づく形而上学を徹底的に批判したのがデリダらポストモダンの思想家たちである。ビートルズ、ストーンズの隆盛という消費文化の第二次勃興(第一次はジャズ・エイジ)と、フランスの構造主義、ポスト構造主義の思考の動きは同時代で進行している。軽い入門書で現代思想を読むと、もうアカデミズムは終わったのではないか、ヒッピー風の格好でラブ&ピースを叫び、ニューアカを気取った方がスタイリッシュではないかと思えてしまう。しかし、デリダもドゥルーズも哲学の論理的思考の営みを投げ出したわけではない。何故あれほど徹底的に形而上学を批判したのに、論理的思考の営みを続けているのか、マンガやアニメや消費社会の分析など軽いものに向かわず、作家や哲学者の文章と対話し続けているのか、それが気になってデリダの灰についての本を買った。
 読んでわかった、デリダは哲学を組換えようとしている。今までの哲学にあった異議申し立てすべき部分に徹底的にかみついている。「知は終わった」と言ってみて、軽い存在に転向してみても、相変わらず旧態依然とした学問実践は大学内で重々しく続いている。また、本や哲学を好まない享楽的な人々も、実は旧態依然とした知を温存させる役割を果たしている。彼らは哲学の中にある異議申し立てすべき部分に気づいていない。彼女らは旧態依然とした知の重み、知の傲慢を放置させたまま、本棚と切り離された生活を送っている。友達が学者だなどというと「すげえ」と驚く。学者の仕事の内実を理解しようとせず、ただ賛嘆するのみ。この行為によって知のあやまった権威はあやまちのままますます高まってしまう。
 知、学問は何度徹底的に批判し、解体をこころみたところで、容易に崩れ去るものではない。解体作業を続けること、哲学史を組換えること。自分の仕事を哲学史の一番端にのせること。灰、他者、幽霊、私生児など、異端の存在を排除するシステムを問題化し、異議申し立てし続けること。妥協しない知の営み。これをデリダから読み取った。
 消費文化に誘惑されない、商業主義に陥らない真面目一本やりの過去形の戦後文学を素朴にやり続けること。それは何だか同時代性から離れていく気がした、たとえ同時代の問題を抱えこむけなげな姿勢を見せていても。
 過去の遺産を無批判に尊ぶのでなく、時代遅れな部分は徹底的に分析批判し、知の歴史を組みかえること。
 エンターテイメントではなく、文学をやるというのは、一番上の階層にある知、ハイブロウの知を組換える作業を行うということである。何度解体してあげても、知は不死鳥のごとく復活してくる。二度と復活できぬよう、灰と骨を手に入れること。永続的な異議申し立ての作業から、新しい文学、文学史の最先端があらわれてくる。

(Fin)



後書きかつ最終回かつ途中経過の報告



 金曜日、土日はマンガ喫茶で小説を書くぞと書いたが、結局、真夜中に犬に素肌をなめられ、大江健三郎と世界的知識人たちの往復書簡を読んだため、土曜は書くことができなかった。日曜もマンガ喫茶に行こうと新宿に向かったのだが、結局デリダの本を買って終わった。土曜は大江風に行こうと思ったが、日曜はデリダの戦闘方法を継承しようと思った。その結果、先ほどから始まった新しい小説。普通に書いていると、一昔前の、バルトに影響された文化人みたいな文章になってしまうため、途中から分析の精密さをあげて、灰、幽霊といった90年代デリダの語彙をとりいれてみた。デリダの最後の思考をすすめて、知、言葉の最高峰、近代文学史を解体すること。
「リアリズムの虚構性に観念論が侵入し続ける思想の対立の場」
小説の書きだしをどうするか、これは時に最も大きな問題だが、うまくいく時には非常にスムーズに解決する問題でもある。だいたいうまくいく時というのは、大方書く物語が決まっているものだ。今回は、書く物語が決まっていないのに、何故かすらすらと行が進んでしまった。何故か。作者が書きだしに気をつかっていないからだ、注意を払わなければどんなことでもすんなり進んでいく。小説という虚構を維持しようと不必要に注意を払うと、一文書くのさえ悩みに悩むことになり、精神的に消耗し、脳は疲れる。何故みな書きだしにこんなに注意を払うのだろう。
 私はプルーストを読む。荘重でとことん文学している耽美の文章。特にエンターテイメント小説を読んだ後にプルーストに触れると、そのあまりの知的繊細さ、傷ついてしまったら二度と立ち直れないのではないかと思える可憐さに驚いてしまう。コーヒーを飲みつつ、プルーストのページに触れる。もはや文学が死んだ後、それでも生き残っている20世紀の花。私はかっこつきの「芸術作品」という迷宮に迷いこむ。
 書き始めようとして書き始められない躊躇。決定できないままに、すでに小説は書きだされてしまっている。作者が意図せざるトーンで文章はすでに始まっている。一つ終わった文章は次の文章を呼びこみ、さらに別の文章がそこに続き、作者も気づかぬうちに、一つの段落を形成している。さらには別の登場人物が現れ、別の物語が進行している。あまりに書きだしが決定できなかったため、別の場所から、フィクションが勃興してきた。虚構。幽霊に過ぎない登場人物が、さも現実を体験しているかのように物語をつづる作者。幽霊の彼女は作者次第でどうにでもなる、レイプされうるし、私生児を産みうるし、殺されて灰になりうるし、幸せをつかみうる。一度登場人物を生み出したら、作者は幽霊の人生に対して大きな責任をおいうる。幽霊の人生とは奇妙な言葉だ。幽霊はもう死んでいる。人生が終わったもの、ない存在の人生について責任を負うといって、その責任とは何か。何に対して賭けられているのか。幽霊たる登場人物なのか、それとも幽霊の人生を読み、影響される読者の人生に対してなのか。創作物に対して持つ作者の責任、倫理。
 作者は創作物の親というべき存在。子どもの人生に対して親はどこまで責任を負うのか。どこまで義務を負うのか。子どもが幽霊だったとしたら? 子どもが私生児だったとしたら?
 プルーストさえ読んでいたら、私は一生幸せだ。他にどんな本もいらない。「失われた時を求めて」という一冊の「真実」の人生につきあう私。しかし、それでは思考はとまってしまう、文学史がとまってしまう。「真実の人生」、「芸術作品」という言葉を無批判に使っているプルーストの言葉に私は注意をはらう、異議申し立てをする。
 プルーストに対する曖昧でせつない関係。昔からの恋人のような私のプルースト。
 続きはまた後で。ここに手紙、郵便物、著作権、プライバシー、靖国、ヒロシマ、従軍慰安婦の問題を入れていく。そう言えば今日は終戦記念日。日本が負けたことを詠嘆するのでなく、皇軍が侵入していたアジア各国ごめんなさいという気持ち。お盆にアジア各国の幽霊を弔ってもいいだろう。


(Fin Fin Fin)


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