小説『お笑いと殺人のコンフリクション』
最終更新日:2009年6月28日
一 十二月三十日 中野←→熱海
十二月三十日、東海道新幹線熱海駅のホームで人身事故が起きた。年末の帰省客で混雑する日であるにも関わらず、東海道新幹線は、上下線とも一時間以上運休停止になった。
運転手によると、女性は熱海駅ホーム内の線路を歩いて新幹線に向かってきたという。不慮の事故ではなく、自殺ではないかという憶測が成り立っている。三十日夜のニュースの時点では、事故死した女性の身元は不詳だった。
熱海駅は当該新幹線の停車駅でなく、通過駅だった。僕も就職活動していた頃、東海道新幹線のホーム通過を体験した時がある。人が大勢待っているホームを、新幹線が猛スピードで通過する。普段よりもスピードを落としているのだろうが、こんな高速で動く物体を身近で見たのは、生まれて初めてだった。
殺されると思った。高速で走り去り、姿形も定かでなくなっている新幹線は、妖怪に見えた。僕の体は猛スピードで走り去る怪物に吸い寄せられそうだった。ホームのアスファルトにしっかりと脚をつけていないと、確実に怪物に吸収される。僕は通過する新幹線を全身で感じながら、死を意識していた。
あのような高速で動く乗り物にひかれたら、人間の姿かたちなど溶解してしまうのではないか。事故死した女性の身元はわからないままではないのか。
新幹線で自殺する女性というのは、初耳だった。自殺志望の彼女は、何時間前からホームで新幹線を待っていたのだろう。一台くらいは、新幹線を通過させていただろうか。特急電車とは格が違う。人間が作り出したとは到底想像できない、神のようなスピードを出す機械だ。
先程起きたばかりの事件報道を聞いてすぐ、頭の中に新幹線の運転席の映像が浮かび上がってきた。女性をひき殺してしまう運転手の一人称視点で、3Dゲームのようだった。
僕は新幹線の運転手となっている。熱海駅のホームに入ったら、女性が線路の上に立っている。女性はこちらに向かってくる。女性の年齢、髪形、服装、容姿、顔の表情、全て確かな情報はないが、僕の想像によって、彼女のイメージが組み立てられる。
ここから先を書くと、悪趣味になるから、やめておこう。
高校の頃、乗っていた電車が、駅のホームで人をひいたことがあった。僕は同級生と一緒に、先頭車両に乗っていた。成人男性をひいた後、電車は数十分停車していた。同級生の一人は、窓から顔を乗り出し、死体の様子を確認していた。
鉄道会社は、自殺者の遺族に運休の被害額を請求するという。首都圏では、ラッシュの時間帯ともなると、百万単位で請求されるという。帰省ラッシュの新幹線に飛びこんで自殺した彼女の身元が判明したとして、遺族に請求されるのだろうか。その場合、過去最高額が請求されるのではないか。
そういうシステムが恐ろしいと思った。自殺した人は、そういうシステムに傷ついて、自殺したのではないだろうか。自ら死を選んだというより、誰のせいでもない、システムが彼女に死を与えたのではないか。
彼女は何故十二月三十日を死の日として選んだのか。年末、帰る家があり、かつ新幹線に乗ることができる人々への復讐だろうか。何日前から、今日この日死のうと選択していたのだろうか。あるいは突然、死は何の前ぶれもなく、彼女の元へ訪れてきたのだろうか。
前日の十二月二十九日、東北、山形、上越新幹線で、三時間近く新幹線が運休していた。運休の原因は、システムトラブルだという。狭いホームに無理矢理、大量の増発列車を入れると、システムはこんがらがる。二十九日のシステムトラブルには行政から鉄道会社に指導が入ったと言うし、指定席を取ったのに数時間待たされた帰省客はいらついたことだろう。
その翌日、女性の新幹線自殺が起きた。新幹線に向けて歩いていたと言うのだから、新幹線飛びこみ自殺ではない。彼女は新幹線自殺した。その彼女は、前日システムトラブルで新幹線が運休していたのを知っていただろうか。
復旧を待つ乗客は疲れきっていた。彼らはシステムトラブルの時と同じように、鉄道会社に不平を言っていただろうか。迷惑をこうむったと、いらついていただろうか。
彼女が自殺したのと同日、六本木ヒルズで、刃物を持っていた男が逮捕された。男は解雇された派遣社員であり、不満を持って六本木ヒルズに現れた。男に脅された人はいたが、殺されたり、傷つけられた人はいなかった。
二人のニュースは、年末年始で沸き立つ日本に暗い影を落とした。テレビは一過的にニュースを流す。数日後、二人が語られる機会は壊滅するだろう。お笑い番組が流れて、二人の事件は、記憶の底から消え去っていくだろう。
二人のことを記憶にとどめておくために、ここにこうして書いておいた。けれど、僕も二人のことを忘れてしまうだろう。
ライプニッツは、モナドが世界の窓だと言ったが、現代において、テレビが世界の窓となる。テレビ画面は、世界中のニュース映像を映し出す。視聴者は安全が確保された自宅に置かれたテレビという窓から、世界を眺める。
解雇された派遣社員は、住む場所も働き先もなく、路上で寝泊りしている。その様子をテレビという窓から眺める一部上場企業正社員の家庭は、安泰だ。テレビという窓のこちら側と向こう側は、電波によって隔離されているのだろうか。
視聴者は客観的かつ普遍的な場所に身をおいて、世界の惨事を眺めているわけではない。テレビニュースには、製作者の主観が混ざりこんでいる。製作者がどんなに客観的なニュース作りを目指していても、人間が作るものなのだから、ニュースには作者の主観が混ざりこむ。テレビから世界を眺めている視聴者は、テレビから送られる情報によって、絶えず影響を受けている。
世界に客観的で安定な場所などない。観察をすれば、観察対象から必ず影響を被ることになる。
現代人にとってモナドの役割を担っているのは、テレビだけではない。携帯電話、パソコンの液晶画面も、世界を映し出す窓になる。インターネットという情報空間が、携帯電話やパソコンの窓を通して、ユーザーの脳になだれこんでくる。テレビと違い、インターネットは、ユーザー側も自由に情報を発信できる。インターネットという新しい空間の誕生によって、世界の相互干渉性は増した。
こうした時代にあって、何故小説を書くのだろう。何を目的に、小説を書くのだろう。読者に影響を与えるためだろうか。世界史に干渉するためだろうか。僕が小説を書いたことで、世界にどれほどの影響があるだろうか。
打ち終わった文章のタイトルを「システムから与えられた自殺」とした。ブログのカテゴリーは、「国内ニュース」だ。本来ならブログは、小説家としての自分を宣伝する場所であるから、一分程度で読める超短編小説や、小説に関する記事を書く予定だった。しかし、芸能人や新聞の一面を飾るようなトップニュースを書くと、途端にアクセス数があがるため、僕はよく芸能時事ネタのを記事にしていた。
ブログ管理ページの「本文」欄末尾にカーソルがあった。タイトル欄にカーソルを移動するため、僕はマウスを動かすことにした。いつもなら手を動かしてすぐ、画面のカーソルが移動するのに、カーソルは動かなかった。
マウスがおいてあるテーブルの右側に視線を移した。ノートパソコンのキーボード付近に、僕の両手がおかれているはずなのだが、僕の両手はどこにも見当たらなかった。
僕は首を斜め下に動かして、腕の付け根を確認してみようと思った。いつもなら、首がなめらかに動き出し、僕の腕と胴体が見えるはずが、首が動き出す感覚もなかった。
体を動かそうと頭の中で意識してみても、一切体が動かない。
ノートパソコンの奥にある液晶テレビでは、年末のお笑い番組が放送されていた。パソコンの液晶画面は、ブログ管理画面のままだったが、しばらくして、スクリーンセイバーの動画が映し出された。真っ暗になった液晶画面に赤い円球が映っている。円球は拡大と縮小を繰り返しながら、黒い画面の中を上下左右に動いていた。
液晶画面の黒い部分は鏡のごとく、僕の室内を映し出していた。二人掛けソファーの上に、僕の体はなかった。ソファーの真ん中、僕が座っていた位置には、観葉植物の小鉢が置かれていた。この小鉢は、妻が半年ほど前に買ってきたもので、いつもはステレオコンポのスピーカーの上に置かれていた。
液晶画面に映るソファーの奥には、本棚とリビング入り口のドアが見える。ドアの横に、コートを着た三十歳前後の女性が立っていた。疲労が肌に出ていたが、美しく整った生真面目そうな顔立ち、黒髪のストレートヘアー、コートの白い色、年齢など全て、新幹線人身事故のニュースを見て、僕が想像した被害者女性にそっくりだった。
新幹線の運転手となって、線路の上に立つ女性を想像して見た時、猛スピードで進む新幹線に歩み寄ってきたのは、今パソコンの液晶画面に映っている彼女だった。
彼女は驚きの表情を浮かべながら、僕の部屋の隅々まで見回した。何故この部屋に自分がいるのか、彼女は理解できていない様子だった。
彼女は腕をかざし、手のひらを上下にひっくり返した。指を一本ずつおりたたみ、握りこぶしをつくった後、指を広げていった。手の動きをまじまじと見つめる彼女の様子は、初めて動き出したロボットのようだった。
彼女がパソコンの方に歩み寄ってきた。パソコンの液晶画面に映る彼女の体が拡大する。
彼女はソファーの手前で立ち止まった。パソコンの黒い液晶画面を見つめている。彼女は気づいたのだ、自分が拡大縮小を繰り返しながら浮遊する赤い球と一緒に、パソコンの液晶画面に映っていることに。
彼女は両手で自分の顔に触れた。頬の肌を手のひらで撫で、液晶画面に映っているのが、確かに自分自身であることを確認していた。
スクリーンセイバーが解除されたら、彼女について書いた僕のブログ記事が画面に映し出されてしまう。彼女が人身事故の被害者であるかどうかはわからない。全て僕の脳が生み出している夢の映像かもしれない。しかし、彼女に僕の記事を見られるのは、嫌だった。その嫌さは、自分にとって嫌という自己中心的な感情ではなかった。彼女に申し訳ないことをしたという後悔の感情が、僕の脳の中に生まれていた。
驚嘆の表情を浮かべていた彼女の顔が、突然力強く、落ち着いた顔つきに変わった。彼女は体を反転させて、リビングの入り口ドアに早足で歩いた。リビングのドアが開け閉めされると、彼女の姿が見えなくなった。玄関ドアの開閉音が聞こえてきた。
ノートパソコンのエンジンが振動音を上げた。スクリーンセイバーの動画が消えて、画面が真っ暗になった。ずっと触っていなかったから、省電力モードになったのだ。
部屋の中に変化するものはなくなった。液晶テレビだけが、けたたましいテレビ番組の音と映像を、室内に撒き散らしていた。
二 十二月三十日 中野←→パレスチナ・ガザ地区
娘のうぃと一緒に、中野サンモール商店街にある花屋に観葉植物を買いに行った。以前買った植物は、水をこまめに与えていなかったせいか、葉も黄色く変色し、枯れそうだった。前の観葉植物を見捨てるわけではなかったけれど、命が亡くなる前に、別の命を継ぎ足そうと思った。
中野駅北口から中野サンモール商店街に入った。中野ブロードウェイの手前に、目的の花屋があった。
花屋の入り口には、「裏々主」と楷書で書かれた看板があった。裏のそのまた裏の主と書いて「リリス」と読む。中央線文化の秘境である中野らしい店名に似つかわしく、「裏々主」店内には、世界中の珍しい花や植物が飾られていた。
店の中に入ると、半年前と同じく、外国人の店員さんが出迎えてくれた。南欧か、南米か、中東の出身か、出自はよくわからなかったけれど、彫りが深く、小顔の美人店員さんだった。エプロンを身につけているが、中に着ている黒いカシミアのセーターと、ロングスカートは、高価なブランド品に見えた。
「うぃちゃん、店員さんに、こんにちはよ」
手をつないでいる娘に挨拶を促した。
「こんにちは」
娘は照れくさそうに下を向きながら、店員さんに挨拶をした。
「こんにちは。お名前、うぃちゃんて言うの? 素敵な名前ね。私の国ではウィという言葉はね、肯定をあらわすのよ」
店員さんがかがんで、うぃに向けて語りかけた。店員さんの声はアルト歌手のように低音でよく響いた。日本語の発音は完璧だった。
「フランスのご出身なんですか?」
私が尋ねると、店員さんは私の方を見上げて、少女のようににっこりと微笑んだ。
「今日はどんなお花を?」
「マンションの室内においておけるような、観葉植物を買いに来たんです」
「どうぞこちらへ。うぃちゃんもおいで」
混んでいる店内を店員さんに誘導されて、奥にある観葉植物売り場に行った。お客さんはたくさんいるが、広い店内に店員は彼女しかいなかった。
観葉植物売り場には、花のない植物の小鉢がたくさん置かれていた。ここの店の魅力は、植物を入れる小鉢にアール・ヌーヴォー調のデザインがされていることだった。
「おすすめはこちらよ。ちょうどお二人にぴったり」
店員さんが細長い指で指し示した方には、二つの小鉢が並んでいた。別々の小鉢から伸びている植物の茎と葉が、鉢から五センチほど先で絡み合っていた。一方の茎は太く長く、もう一方の茎は小ぶりだった。
「まるで母と娘のようでしょう。ねえうぃちゃん、お母さんがうぃちゃんを抱いてるみたいに見えるね」
店員さんに言われて、うぃも楽しげな様子ではしゃいだ。
「偶然こういう風に育ったんですか?」
「この植物は中東で育つ品種でね、ごく稀に近くの同種とからみあうんです。成長してもほどけることがない、珍しい品種なの。こんなに綺麗にまとまっているのは、なかなかないんですよ」
「でも、お高いんですよね?」
「今日は特別、サービスで差し上げます」
「そんな、悪いですよ」
私はこのお店のお得意さんでもないのに、何故無料にしてくれるのか疑った。
「いいんですよ、どうぞ持っていって。うぃちゃんみたいな可愛い娘さんが若いお母さんと来た時、その親子に譲ろうと思っていたんですから」
「ママ、これにしよ」
うぃが私のコートの袖を引っ張った。
二つも無料でもらうのは申し訳なかったので、アンティーク調の水さしポットを購入した。絡み合った植物の小鉢二つと、ポットを黒い上質紙でできた袋に入れてもらった。
中野ブロードウェイ地下のスーパーで食料品を買いこんだ後、中野駅南口からバスに乗って、マンションまで帰った。帰りは珍しくみぞれが降っていた。明日、夫の実家に帰る時、悪天候で新幹線が止まらなければいいのにと思った。
マンションについて、階段を上がっていくと、白いコートを着た女性とすれ違った。
「こんにちは」
娘ができる前は、マンションの住人とすれ違っても、挨拶はしなかったが、娘が言葉を覚えてからは、娘と一緒に挨拶するようになった。女性は軽く会釈だけして、早足で階段をおりていった。何か私たちに顔を見られるのを、嫌がっているような表情だった。
三階にたどりついて、ふと、先ほどすれ違った女性のことが気になった。最上階の三階には四部屋しかない。両隣の部屋の二人の顔は知っていたから、すれ違った女性は、残り一部屋の住人だろうか。あるいは、どこかの部屋のお客さんだろうか。彼女の焦っていた様子が、心にひっかかった。
玄関に鍵をさした後、ドアノブを引いたが、ドアは開かなかった。鍵がかかっていなかったのだ。夫は家にいる時も、いない時も、防犯のため鍵をかけているはずなのにと思いながら、もう一度鍵をさして回し、ロックを解除した。
「ただいま」娘と二人で、リビングの奥まで届くように声をあげた。「お帰り」という夫の答えは返ってこなかった。眠っているのか、ゲームでもしているのかと思いながら、リビングの扉を開けた。
リビングルームに夫はいなかった。テレビがついていた。ノートパソコンの画面は真っ暗になっていた。
「パパいないね」うぃが不安げに言う。
「ちょっと見てきて」
うぃはリビングを駆け足で出て、寝室に向かった。
花屋でもらった紙袋をテーブルの上においた。ノートパソコンのまん前、ソファーの上に観葉植物の小鉢がおかれていた。何故こんな場所におかれているのか疑問に思いながら、小鉢をウッド調のステレオスピーカーの上に戻した。
「パパいないよ」
うぃが駆け足でリビングに戻ってきた。
「どっか遊びに行ったのかね」
携帯電話を確かめてみたが、夫からのメールはなかった。着信履歴から夫の番号を探して、電話をかけてみた。
三回コール音が鳴って、留守電自動応答メッセージが流れた。通話を切るボタンを押した。
スーパーの買い物袋から食品を取り出して冷蔵庫に入れた後、買ってきた観葉植物の小鉢を、以前からある小鉢の隣に並べた。枯れかけた小鉢の隣に、二つの茎と葉が絡み合った小鉢のうち、背の低い赤ちゃん小鉢をおいた。三つの植物は、親子三人のように見えなくもなかった。
購入したばかりのアンティーク調ポットを使って、三つの小鉢に水を恵んだ。ポットの口先は細く小さかったから、スピーカーの上に置かれている小さな鉢に水を注いでも、機械や配線に水がこぼれることはなかった。
テレビでは、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区空爆のニュースが放送されていた。
「今回の空爆による死傷者は三百五十人を越えています。イスラエル政府は、空爆はテロリストに対する攻撃だと主張していますが、民間人の子どもなどにも多数の死傷者が出ており、フランス政府は空爆をやめるようイスラエル政府に高尚を続けています」
ニュース原稿を読み上げる女性アナウンサーの声と一緒に、液晶テレビには、タンカで運ばれるパレスチナ市民男性の姿が映し出された。画面に映る痛々しい傷口を幼いうぃに見せるのははばかられたが、うぃはテレビに目を向けず、かくれんぼ遊びをするように、夫を探し続けていた。
「空爆は当然です。テロ行為は許せるものではありません」とイスラエル市民の女性が、街頭インタビューに答えていた。
「何故市街地にミサイルを落とすのか。生まれたばかりの赤ん坊もなくなっている。私たちは年越しをすることさえ、イスラエルに許されていない」ガザ地区在住のパレスチナ市民が訴える映像が続いた。
昨日夫が、毎日更新しているブログに、イスラエル空爆の記事を書いていたのを思い出した。
「現代というか世界史の問題は全て、イスラエル・パレスチナの対立に集約されている。イスラエルとパレスチナの対立構造の背景には、ナチスによるユダヤ人虐殺、アウシュビッツで起きた、人間性剥奪の歴史がある。ナチスによる迫害からさらに遡れば、ヨーロッパであったユダヤ人迫害の長い歴史にたどりつくし、イスラム教とキリスト教の対立、バビロン捕囚の昔まで遡ることができる。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教共通の聖地で、石油の利権も絡めた殺し合いが何十年と続いていることは、非常に嘆かわしいことだ。何故自爆テロが起きるのか。自爆テロは、テロ行為である空爆に対する報復だ。軍事基地ではなく、市民が多く暮らす市街地に爆弾を落とすことは、戦争ではなくテロだ」細かい言い回しなど忘れたが、確か夫はこんなことをブログに書いていたはずだ。
私はいつも通り、夫が書いた記事を、ブログ更新の数時間後に読んでいた。夫がこのように毎日ブログを更新していると知ったのは、結婚してからだった。
夫が夜遅くまで正社員の仕事をしながら、小説家となることを夢見て文章を毎日書いているとは、恋人である私も知らなかった。他人に誇ることでもないから言わなかっただけだと結婚後告白されたが、いざ教えてもらったホームページの小説を読んだら、八割方、性表現の過激な成人向け小説だった。
「ちょっとお熱いね」と私がむくれながら指摘すると、「真面目な小説を書いても、誰も読んでくれないんだ。卑猥な言葉を並べると、検索エンジンによくひっかかって、読者が集まる。仕方なくそういう小説を書いていたんだ」と夫に弁明された。ただ単に、こういう小説を書いていると私に告白するのが恥ずかしかったから、小説を書いていることを言わなかったのだろうと思った。
夫が言うところの「真面目な小説」作品は、難しくて理解不能なものだった。妻としては嫌だったが、夫が理想を犠牲にして、仕方なく書いている成人向け小説の方が、すらすらと読めて面白いのは確かだった。それでも私は、子どももできるのだから、Hな小説は書くなと夫にさとした。
「その言い草は、性産業に従事している人に対する差別発言ともとれるよ」などと夫は反論したが、「私がマネージャーになるよ。人気取るために性欲ばかり刺激するのは、事務所の方針としてNGだからね」と言ってやった。その甲斐もあってか、結婚してから、夫は性描写の過激な小説を書くことも、前衛小説を書くこともなくなった。
夫はフリーターとかニートの身分で小説を書いているのでなく、正社員として働きながら、空いた時間で小説を書いているから、妻としても無謀な賭けを許してやることができたのだった。
「ママ、パパどこにもいないよ」
夫を探しあぐねたうぃが、私が座るソファーの側までやってきた。
「パパ、どっか内緒で遊びに出かけたんだね。すぐ戻ってくるよ。待ってよ」
私はうぃをソファーに招き入れた。うぃは私の隣に体をよせて、ソファーに座った。うぃに空爆のニュースを見せ続けるのも嫌だったので、私はテレビのリモコンを手にとって、民放のお笑い番組に切り替えた。
開きっぱなしのノートパソコン脇にあるマウスに手をかけると、省電力モードが終了し、パソコンが音を上げ始めた。真っ暗で鏡のようになっていた画面にインターネットブラウザのウインドウが現れた。
夫のブログの管理ページだった。書きかけだったのか、新しい記事のタイトルは未入力だった。記事の本文をスクロールさせて一通り読んでみた。昨日起きた新幹線の人身事故を話題にした時事評だった。夫はこの記事をブログにアップしないまま、鍵もかけずに外出したのだろうか。
「ママ、腹減ったよ」
「パパが帰ってくるまでもう少し待ってね」
「ええ? 死んじゃうよ」
今日は近所の住宅街にあるイタリア料理店で食事をする予定だった。予約をとっていなかったのでよかったが、待ち合わせ予定だった七時をもう三十分も過ぎていた。
「ママ、チャンネル替えていい?」
「いいよ。でも今、あんまり面白いのやってないかもね」
学生時代、レンタルビデオ店でアルバイトをしていた時、オーナーでもある店長さんは、「年末年始って特番多いけど、ビデオ借りてく人が多いのよね。みんなテレビ見てないみたいだよ」と言っていた。
当時は店長のまめ知識にうなずいてみせていたが、今にして思えば、年末家で過ごす人の数は普段よりも格段に上昇するはずだから、母集団が増えた結果、ビデオを借りる人と、テレビを見る人は、一緒に上昇すると考えられた。ビデオをレンタルする人が予想外に多くても、テレビを見て過ごす人が予想外に少ないと推量することは、間違った仮説のはずだ。それでも現実問題、年末年始の特番がたいして面白くないのは、事実なのだった。
そんな考えにふけっていたら、うぃの泣き声が聞こえてきた。
「どうしたの?」
横に座っているうぃの方を見ようとしたが、首が動かなかった。
「ママ! ママ!」
うぃは泣き叫んでいた。うぃの体を抱きしめて、安心させてあげようと思っても、体が動かない。腕も、首も、手も、動かそうと思っても、脳の中で意志がうごめくだけで、体が動き出すいつもの感覚が、脳の中に届いて来なかった。
「うぃ、大丈夫? ママの声聞こえる?」
「聞こえる、聞こえるよ」うぃが泣きながらか細い声で訴えた。
「ママ、体動かなくなっちゃった。うぃも、動かない?」
「うん。リモコンが取れないの」
うぃの声は小さかった。金縛りなのか、夢なのか。私は心霊現象など信じるたちではなかったが、娘のうぃも一緒に金縛りにあっているようなので、気が動転した。
娘を守るため、何とか心を落ち着けようと思うのだが、二人揃って金縛りにあう心霊話など聞いたことがなかったので、どうすればいいのか途方にくれた。
ソファーの後ろ、リビング入り口の方から、少女が喋る外国語が聞こえてきた。英語やヨーロッパの言葉なら聞き取れるのだが、彼女が話す言葉は、ヨーロッパでも、アジアの言語でもなかった。
ちょうどうぃと同じくらいの年齢の少女の声の後に、成人女性の話す外国語が聞こえてきた。どちらの言葉も聞いたことがなかったが、二人は会話をしており、意思疎通もとれているようだった。
「お母さん、誰かいるよ」
「うん、私も聞こえる。外国の人だね」
外国人の幽霊だろうか。うぃまで聞こえているということは、この部屋にやはり人がいて、声を出しているのだ。
「Hey! Hey!」
英語ならば聞こえるかもしれないと思って、かけ声をあげてみた。後ろにいる姿の見えない二人は、外国語で喋り続けていた。
ノートパソコンの画面が、スクリーンセイバーに切り替わった。背景が黒色になった液晶画面に、室内の様子が映し出された。リビングドアの前に、頭に白い布を巻き、ロングスカートをはいた若い女性と、同じように白い布を巻いて、ロングスカートをはいている小さな女の子がいた。二人は肩を寄せ合いながら、話を続けていた。彫りの深い顔立ちは、中野ブロードウェイの花屋にいた店員さんの顔を思い出させた。
私とうぃが座っているはずのソファーには、私たちの姿形がなかった。代わりに、今日買ってきた二つの小鉢が、ソファーの上におかれていた。
「うぃ、パソコンの画面見てみて。ママとうぃ、映ってないよ」
「どうしたの? ママとうぃ、消えちゃったの?」
「見て見て。代わりに今日花屋さんで買ってきた植物が映ってる」
「何で? 何で?」
私とうぃが話をしているうちに、外国人の女性二人はソファーの方に歩み寄ってきた。
「ちょっと二人。私の声、聞こえますか?」
一音一音はっきりと、大きな声で発音してみたが、二人とも私の声が聞こえない様子だった。
三 十二月三十一日 村上市←→XYZ市
大晦日の夜、両親と一緒にテレビを見ながら、食事をした。兄夫婦が今日帰ってきて一緒に食事する予定だったのに、まだ帰っていなかった。兄の携帯や家に電話しても留守番電話になるし、何度かメールしたが返信はなかった。
兄夫婦と三歳か四歳になる孫のために母が手料理をたくさん作った分、食べ残しがないよう、僕がたくさん食べるはめになった。母と父は天候のせいで電車が遅れているんじゃないかと、半ば期待をこめながら思っていたが、僕は今日、兄夫婦が帰ってこないだろうと思っていた。
野菜の煮物を食いこみながら、テレビを見ていたら、六本木ヒルズに刃物を持って現れた男のニュースが流れてきた。
「まだ若いのにの。こいつも派遣社員で、首きられたんじゃねえか? お兄ちゃんも会社辞めさせられんだろうか。おら心配だわ」母がため息をもらした。
「兄ちゃんは大丈夫だろが」
僕は特に根拠もないのに、母を慰めるために言った。
「んじゃ俺、もう二階あがるから」
僕はこたつから出て、スリッパをはいた。父は、兄と日本酒を飲めることを楽しみにしていたが、今日はビールの缶だけ開けて、だまって不満そうに飲んでいた。
「兄ちゃんからおめの携帯に連絡着たら、すぐ教えろな」
と母が言った。
「わかった」僕はドアを開けて廊下に出た。
玄関のすりガラスのドア越しに人影が見えた。僕は最初、兄夫婦がやってきたのかと思ったが、玄関の扉が開けられる様子はなかった。奇妙に思ったので、玄関の扉を閉めたまま、「どちら様ですか」と声をかけてみた。
「夜分遅くにすみません。お届けものです」
落ち着いた女性の声がした。配達員なら、もっと大きく声を張った方がいいのにと思いながら、玄関のドアを開けた。
長い髪をした外国人の女性が、黒い紙袋を片手に持って立っていた。宅配便の配達員の服装をしているが、身につけている服と、彼女の持つ大人びた雰囲気が、全然かみ合っていなかった。だいたいここらへんの田舎で、外国人女性が宅配便の配達員の仕事をしているなんて、聞いたこともなかった。
「こんばんは。印鑑かサインをお願いします」
女性が僕の胸元に黒い紙袋を差し出したので、受け取った。紙袋にはガムテープでとめられた後もなく、セロテープで口が開かないよう、軽くとめられているだけだった。
「伝票、どこですか?」
紙袋だけ渡されても困ったので、女性に聞いてみた。
「ごめんなさい、忘れていました」
彼女が胸元から伝票とペンを取り出した。差出人の名前を見ると、兄の名前が書かれてあった。荷物か貴重品でも宅配便で送ったのかと思ったら、品物名欄には、観葉植物と書かれている。配達した女性の様子を不信に思いながらも、伝票にサインして、お客様用の伝票を受け取った。
「ありがとうございました。どうぞよいお年を」
彼女は一礼して、玄関から外に出て行った。普通、配達員は誰もが走って移動しているが、彼女はゆっくりと優雅な足取りで帰っていた。気になって道路の方を覗いてみたが、配送車らしき車も見当たらなかった。
「お母さん、兄ちゃんから荷物届いたよ」
僕は居間に戻り、黒い紙袋を母に渡した。
「何だやこれ?」
「観葉植物だって」
母が紙袋を開けると、小さな鉢に入った植物が三個出てきた。緑の少ない都会でなら喜ばれるのかもしれないが、田んぼと山の多い田舎では、そんな小さな植物、売れないだろうと思えた。
「こんなん送ってきて。あいつ何のつもりだろ」
母が首をかしげた。
「とりあえずおいとけっしゃ」
父が言ったので、母はキッチンのカウンターテーブルに観葉植物の小鉢三個を並べた。
僕は改めて、伝票の筆跡を見てみた。はっきり記憶にないが、兄の字だとは思えなかった。兄の嫁さんがどんな字を書くのか知らないが、きっと嫁さんが伝票を書いたのだろうと推測した。
僕は二段跳びで階段をのぼり、自分の部屋に入った。かつて兄が使っていた隣部屋は、今は来客用にベッドが2台おかれていた。今晩は兄夫婦が、子どものうぃちゃんと一緒に隣で眠る予定だった。父がふとんや暖房器具の用意を入念にしていたのだが、それも無為に終わりそうだった。
兄の嫁さんは今日、夫の実家に帰りたくなかったのではないかと僕はふいに思った。けれど、彼女は兄に不似合いなくらいしっかりした大人の女性だ。感情的には嫌でも、年一回の義理として、夫の実家にやってくるだろう。やはり兄夫婦は、事件か事故に巻きこまれたのではないかと僕は想像した。
僕はソファーに腰かけると、テレビの電源を入れて、コタツの上においてあるパソコンのスイッチを入れた。
僕はテレビのリモコンを操作して、人気お笑い芸人が出ている年末特番にチャンネルを合わせた。番組をしばらく見てから、マウスを操作して、インターネットブラウザのウインドウを開いた。ブログの管理ページに移って、お笑い番組について、ブログの記事を書くことにした。
番組では、芸人たちがロケ収録中に笑ったら、罰ゲームとして、頭を柔らかい棒で叩かれるゲームが行われていた。芸人たちは笑わないようにこらえていたが、セットのいたる所に失笑を誘う仕掛けが用意されていた。面白い仕掛けが出てくれば、番組に出ている芸人と、視聴者が一緒に笑う。その後、笑ってしまった芸人たちは、突然現れた全身白タイツの男たちに棒で頭を叩かれるのだった。
芸人たちは棒で打たれる度「痛い!」と大きな声を出していたが、本当はたいして痛くないだろうと思えた。お約束、演出というやつだ。テレビ画面を真正直に信じれば、笑うたびに棒で打たれて可愛そうなことこのうえないのだが、罰を与えるスタッフと芸人の間には信頼関係が成り立っているし、芸人たちはこの年末特番の出演で、高額のギャランティーをもらっているのだろうと推測できた。
年末にこんなにもふざけた、暴力的な番組を放送して、不謹慎ではないかと、真面目な視聴者から苦情の電話が入っているのではなかろうかと心配されたが、実際テレビ局は、視聴率が取れる=スポンサー企業がたくさんついて儲かるから、こうしたお笑い番組を放送しているのだろうと思えた。
子どもたちのいじめを助長するような暴力的な番組は放送するなという「道徳」的な視聴者からの苦情に対して、お笑いをやっている人間ならば、「暴力じゃないのに、お笑いなのに」と反論することだろう。実際日本のお笑い番組で漫才が放送される場合、ツッコミ担当が、ボケ担当の頭を叩く場面がよく見受けられるが、海外では暴力的としてNGになる場合が多いという。海外の認識と日本の認識の違いは、どこから生じるのか。日本のお笑いは暴力的で、いじめを助長しているのかという問題を頭の隅におきつつ、お笑い番組における罰ゲームの構造を考えてみよう。
「笑ったら駄目だ」という禁止のルールと、「禁止のルールを破ったら棒で頭を叩くぞ」という処罰のルールが、番組の最初に、製作者から提示される。禁止と処罰のルールが、お笑い番組放送中、組織における絶対的なルールとなる。
社会組織の構成者たる芸人たちは、禁止のルールに違反しないよう注意を払い続けるが、ルールを定めた製作者側は、芸人たちが禁止のルールを破るよう、いたるところに罠をしかけている。
禁止のルールが破られて、特定の芸人が笑うと、すぐに処罰が与えられる。製作者も視聴者も、芸人たちが処罰される様子を見て笑う。
これは、子どもたちのいじめを助長する暴力的な、「非道徳」的お笑い番組などではない。子どもたちに、社会における法と処罰の仕組みを教える、極めて「道徳」的なホラー番組ではないか。
禁止の法を定めた者たちは、社会構成員に、禁止したはずの行為を促す仕掛けをいたるところに用意している。法を定めた者たちは、全員が禁止のルールを遵守することを望んでいるのでなく、多くの人が、ルールを破ることを望んでいるのだ。
禁止のルールを破った者がいれば、処罰のルールにより罰が与えられる。製作者たちは、処罰の様子を見て、笑って楽しんでいる。
芸人たちがルールを守れず、処罰を受け続ける様子が放送される。番組視聴者は、禁止のルールを破ったがために、処罰されている芸人たちを見ながら、ルールを守れないものは、処罰されるし、笑いの対象になるということを学ぶ。この様子を見て、暴力的だ、いじめを助長するなどと批判する道徳家は、実は、社会組織のルールから逸脱している存在なのだ。過酷な罰ゲームは、道徳を乱すためでなく、道徳を守るために放送される。芸人たちが処罰されている様子を見て、大笑いする者こそが、社会のモラル、正常性を維持する、立派な社会構成員になることができる。
お笑い番組における罰ゲームは、視聴者に社会のモラルを提示する装置となっている。皮肉にもお笑い番組は、社会を不道徳にする低俗な番組などではなく、きわめて道徳的で勤勉な、既存社会の維持装置なのだ。
僕はお笑い番組に関するアイロニーに満ちた評論のタイトルを「お笑いにおける禁止と処罰のルール」とし、ブログにアップした。僕のブログは兄のブログとリンクを張っているし、よくトラックバックやコメントもつけあっていたが、僕と兄が兄弟だということは、ネット上に情報公開していなかった。僕と兄がブログをやっていることも、兄が作家を目指していることも、兄の意向で両親には知らせていなかった。
僕は風呂に入るため、テレビと暖房を消して、一階におりた。まだ兄夫婦の到着を待ち望んでいるのか、料理がテーブルに並べられたままだった。兄から送られてきた枯れかけた植物の小鉢は、テレビとファックスの間に置かれていた。テレビでは年末の報道特番なのか、今年初めに起きた通り魔誘拐・監禁殺人事件の被害者遺族が映し出されていた。
「風呂か?」と母が言った。僕は無言でうなずいた。
「はよ入れ」と父が言った。
「兄ちゃんもう来ないだろうから、とりあえず料理下げたら?」
僕が言うと、「もうちょっと待てえ。ほんね、連絡もよこさねで……」と母が言った。
「お母さん、冷蔵庫入れとけ。来たらまた出せばいいろ!」
と父が言った。
「いっこらしょ」と母が言って、脚をふらつかせながら立ちあがり、料理をキッチンに下げ始めた。大皿を運ぶのを手伝った後、僕は風呂に入った。
体を洗った後、湯船につかりながら、僕は先程居間のテレビで見た、通り魔誘拐・監禁殺人事件のことを思い出していた。
インターネットの掲示板で、とある男が誘拐殺人計画の仲間を募集した。人を殺したこともない男二人が、募集の呼びかけにのってきた。誘拐当日に初めて知り合ったという三人は、夜道を一人で歩いていた女子高生をワゴン車に連れこみ、誘拐した。
犯人たちは、彼女に私怨があったわけではなかったし、彼女が前々から狙われていたわけでもなかった。偶然、その日その時その場所に一人で通りかかったから、彼女は見知らぬ男に誘拐されてしまったのだ。
さらわれた女子高生は、掲示板で仲間を集めた主犯男の自宅マンション一室に監禁された。のべ三ヶ月に渡り、誘拐犯らの友人も含めた複数の男性に、彼女は暴力と虐待を受けた。誘拐から四ヵ月後に発見された時、彼女は既にこの世の人ではなくなっていた。発見時、彼女は全身に大小の傷を負い、皮膚は変色し、脚は骨折していた。ストレスで頭には、白髪が何本か残っているだけだったという。
思い出すだけで気持ちが落ちこむニュースだが、犯人逮捕後の一週間、大々的に報道されただけで、僕自身、この事件のことを思い出したのは、ニュースになった時以来だった。
事件が話題になった当時、兄は、自作小説サイトのアクセス数を稼ぐため、虐待監禁事件を扱う小説を書き、ネット上で発表していた。「表現は過激でも、読者の自慰行為を助ける官能小説ではなく、性欲を抱いてしまうことを批判的に描写する反官能小説だ」と兄は弁解していたが、兄自身、現実に起きる事件を前にして、功名心のため、監禁をテーマにした小説を書いたことを後悔していた。犯人逮捕後しばらくして、兄は小説のページを自作サイトから削除していた。
被害者の女性は、何のルールに違反したわけでもなく、偶然に虐待され、殺された。「人通りのない夜道を女性一人で歩くのは危険だ」という教訓をこの事件から引き出すことができるのかもしれないが、「夜道を一人で歩くのは不用意だ」と被害者の女性を批判することは、死人に鞭打つ行為となるだろう。被害者側の落ち度は皆無に等しく、犯人の側に非があるのは当然だった。
被害者には過失が見当たらないのに、突然現れた見知らぬ男たちに命を奪われてしまう。こうした事件が日本であったことを知った後に、僕は社会に向けて、どう関与していけばいいのか。
「おい、入っていいか?」
風呂場のドアを母がノックした。声が上ずっており、母が焦っている様子が感じられた。
「何?」
「お父さんが消えて、若い女の子が出てきた」
「は?」
「とりあえず、はよあがってくれ」
そう言い残して、母が脱衣室から出て行った。
状況が理解できなかったが、風呂からあがり、脱衣場に出た。
体をバスタオルで拭いていたら、玄関のドアを開け閉めする音が聞こえた。
「どこ行くんだ?」という母の大きな声が聞こえた。
僕は急いで下着だけ着て、居間に向かった。
居間には母の姿しかなかった。父が座っていた座布団の上には、兄が送ってきた観葉植物の小鉢が置かれていた。
「お父さんどうしたん?」
「気づいたらいのなってたよ。知らね高校の制服着た女の子がいてさ、ほんねびっくりしたわ」
「その女の子どうしたん?」
「たった今、怯えた顔して出てったけど。『ごめんなさい、ごめんなさい』って何遍も謝ってたぜ」
「俺、女の子追ってみっから、お母さんここで待ってて」
僕は脱衣場に戻り、急いでジーパンとセーターを着こんだ後、玄関に向かった。
「外寒いぞ、上に着てけよ」
僕は母からダウンジャケットを受け取った。
「髪濡れてる。風邪ひかねようにな」
「んじゃ、ちょっと言ってくるわ」
僕は玄関前の庭を走り抜け、通りに出た。
「ちょっと待って」
車庫の前で呼び止められた。
兄からの宅配便を届けに来た配達員の女性が、腕を組んで、電信柱の脇に立っていた。彼女は黒いカシミアのコートを着て、ロングブーツを履いていた。
「あの子は追わないで」
僕は父が座っていた座布団の上に、女が届けた植物の小鉢がのっていたのを思い出した。
「あなたが関係してるんですか?」
「私がやったことではない。あなたたちのおかげで、あの子は戻って来れたの」
「僕の家に出てきた女性は誰ですか? あなたは誰ですか?」
「あなたたちが、哀しい事実を伝える情報を受け取ってくれたから、あの子が情報の中から戻ってくることができた。ありがとう」
女が微笑んだ。長い髪の毛が風に吹かれて揺れた。
「私の名前はリリス。知恵の実を授ける女よ」
「父を何処にやったんですか?」
「心配しないで。お父さんは生きている。家に戻って休んでちょうだい」
リリスと名乗った女が僕に歩み寄ってきた。
リリスの唇が僕の唇に触れた。
僕の全身から力が抜けた。
四 一月一日 さいたま市←→南オセチア自治州
「好き、嫌い、好き、嫌い……」と言いながら、花びらを一枚ずつちぎってゆく恋占いがあったが、今の時代、花びらをちぎる際口にする言葉は、「好き、キモい、好き、キモい…」になるのではないか。そう言いながら占う以前に、植物の花を恋占いのためにちぎるのは、不必要な自然破壊だし、子どもの教育によくないと批判されるかもしれないが。
現代日本を表現するのに最も的確な言葉は何か。お笑い番組でよく口に上る言葉を観察していれば、答えのようなものが見えてくる。「空気読めない」だろうか、「上から目線」だろうか。私が推したいのは「キモい」という感情表現の言葉だ。
「キモい」は「気持ち悪い」とは異なる。生理的不快感を表すのはどちらも一緒だが、人から「気持ち悪い」と言われるのと、「キモい」と言われるのでは、ニュアンスが異なる。「気持ち悪い」の略語である「キモい」の方が、言葉が持っている否定的な意味が、柔らかくなっている。
友達に向けて「キモい」と言うことは、「気持ち悪い」と言うよりも日常的に、ジョークのように気軽に行われている。しかし、「キモい」が生理的不快を表す言葉にかわりはない。日常生活における違和感の表明として、「キモい」と発言される。自分の価値観、正確には、コミュニケーションを共有している仲間組織内の価値観に沿わない行動、存在が、「キモい」と批判される。
「キモい」とは、仲間組織の価値観に沿わない行為や存在を排除し、仲間組織の結束を維持するために用いられる、排他制御の言葉だ。「空気読めない」、「上から目線」も、「キモい」という価値観表明の言葉に包括される。仲間同士の会話で作られる物語の流れに反した発言や行動をする人は、「あいつ空気読めない」と批判される。同質かつ均等であるべき仲間組織の階層を切り崩すような、自己の権威を誇示する発言をする者は「上から目線かよ」と批判される。「空気読めない」奴も、「上から目線」の奴も、ようするに「キモい」のだ。仲間組織の価値観にそぐわない逸脱者なのだ。
何故「キモい」という生理的不快感を表す言葉が、「嫌い」よりも頻繁に利用されるようになったのか。何故恋愛の場において、告白を断る理由に「嫌い」が使われなくなったのか。
告白された時、「嫌いじゃないけどごめんなさい」という断り文句が、よく使われるようになった。「好きか嫌いかと聞かれれば、嫌いではない。好きと聞かれれば好きだけれど、恋愛関係になることはできない」このような微妙な気持ちを表現するため、「嫌い」という強い言葉は、恋愛の場面において使われなくなった。
では、何故「嫌い」よりも相手を傷つけそうな「キモい」が、日常語として使われるようになったのか。告白された時、今後の二人の関係を考えると、はっきり断るのがはばかられる相手には、「嫌いじゃないけどごめんなさい」という繊細な言葉が返されるのだが、相手が恋慕う気持ちを強く拒否しても問題ない場合は、「キモい」という否定表現が使われる。
「嫌いじゃないけどごめんなさい」、「嫌い」、「キモい」と、本来はこの三者の感情表現があるはずが、中間にある「嫌い」が抜けてしまったのだ。自分を中心とした仲間組織の価値観に沿う相手には、「嫌いじゃないけどごめんなさい」と言われる。仲間組織の価値観から見ても、明らかに恋愛関係から除外される対象には、「キモい」と強く言われる。これが今の社会なのだ。
「キモい」は社会の恒常性を維持する機能を持つ。伝統的な共同体の絆が希薄になり、誰もが他人になった。孤独に暮らす個人主義者が多くなったからこそ、逆に価値観を共有する仲間同士の間では、「空気読めない」、「上から目線」の「キモい」人は排除される。自分が身をおく小さな社会の安全性を守るため、多用される「キモい」という言葉は、テレビ番組でも頻発語句となっている。
日常のコミュニケーションの場において、キモい行動、キモい人は排除されるが、テレビ番組において、キモい人は重宝される。
面白さとは何から生じるのか。コミュニケーションのコードから外れた発言、行動は、面白いと認識される。「普通」のコミュニケーションから逸脱した行動は、新鮮であり、奇妙であり、特殊だから、ついつい笑ってしまう。キモいと、面白いは、紙一重なのだ。
風変わりで「独創的」な行動を取る芸人に人気が集まる。身近にいたらキモいかもしれないが、テレビの液晶画面という窓を通して、安全が確保されたリビングルームから一方的に観察する限りにおいて、キモい行動を取る人は、魅力的な人物に映る。
一方、日常生活においても、かっこいい人より、面白い人、お笑いが分かる人の方が喜ばれるようになっている。一億総おバカ化ならぬ、一億総お笑い芸人化は、テレビの演出手法の変化とともに、数年前から始まっている。キモい人は排除されるが、面白い人は歓迎される。
キモい人は、自分が他人にキモいと思われる行動を取っていることを自覚できない。コミュニケーションのコードから外れた独りよがりの恋愛行動が、女性に最もキモいと批判される。一方、面白い人は、意図的にコミュニケーションのコードを外すことができる。規範としてあるものを認識した上で、そこからほんの少し行動をずらすのだ。面白い人は、「普通」がわかっているからこそ、安全な範囲内で逸脱することができる。キモい人は、「普通」がわからなくて、困惑している。
本人が意図せずにとった面白い行動は、天然ボケと呼ばれる。キモいと面白いと以上に、キモいと天然ボケの境界は曖昧だ。それこそ、その日その時その場所に集まった仲間うちの空気によって、逸脱行動が天然ボケとして歓迎されるか、キモいとして罵倒されるのかが決まる。
お笑い芸人は本当に、暗いニュースが溢れている中、みんなを幸せにするため、笑いを提供しているのだろうか。暗いニュースを伝えるニュース番組同様、お笑い番組は社会のルールからはみ出す存在を告知、かつ排除するために、放送されているのではないか。それは言いすぎだとして、お笑い番組は、「こういう行動をとると、みんなにキモいって思われるよ、笑いの対象になるよ」という事例を視聴者に提供している。これは意外におそろしい番組ジャンルだ。
お笑い関連のブログ記事を検索していたら、「お笑いにおける禁止と処罰のルール」というタイトルのブログ記事を発見した。リンクをクリックして、記事を読んでみたら、私が先程書き終わった記事「好き、キモい、好き、キモい……」と同様硬派な記事だったので、トラックバックをつけることにした。
記事末尾のトラックバック用URLをコピーして、私の記事のトラックバック欄に貼り付けた。記事本文に誤字脱字がないか内容を確認した後、記事保存ボタンをクリックした。
「お母さん、ご飯まだ?」
今年中学三年生になる息子が一階におりてきた。
「今から作るからさ、ちょっと待ってよ」
「最近パソコンやり過ぎだよ」
トラックバックをつけたブログの作者が私の記事を読んでくれるかもしれないので、一応相手のページをブラウザの「お気に入り」に登録した。
インターネットブラウザのウインドウを開きっぱなしにして、キッチンに向かう。餅の入った雑煮鍋を温めている間、リビングで息子が見ているニュース番組を見た。
息子はニュースなど見ずにお笑い番組ばかり見ていたが、三月の高校受験を控えてか、最近ニュース番組を見るようになった。
息子はさいたま市内にある私立の進学校を狙っていた。近所の成績優秀な生徒は、東京都内にある有名校を受験するのだが、息子はさいたま市内にある私立校を第一志望としていた。一月末に推薦の面接試験があるため、時事問題を息子なりに吸収しようとしていたのだった。
イスラエルによる空爆が続くパレスチナのガザ地区で、日本人の親子が発見されたというニュースが伝えられていた。
若い母親と幼稚園児くらいの娘が、イスラエルの空爆によって破壊されたアパートの瓦礫の中から見つかった。アパートの住人はみな死亡したか重軽傷を負っていたが、その二人だけは無傷でいたという。二人が日本語を話すこと以外、素性など詳細は不明とのことだった。イスラエル政府は地上戦を企んでいるというし、彼女たちの身の安全が心配された。
軍事目的の空爆によって民間人が殺されているのだから、本来なら全ての犠牲者の死を悼まねばならないのだが、何故か海外の紛争の地に日本人がいたとわかると、突然戦いが身近なものに感じられるのだった。こうした身内びいきは、道義的には慎まなければならないが、海外のテロ事件で日本人が犠牲になったというと、国内ニュースでもトップ記事になるので、身内びいきは日本人の習性なのだろうと思えた。
鍋が温まったので、餅が二つ入った雑煮を食卓に出した。
「はい、今日のご飯」
「また餅かよ。朝からずっとじゃん」
「わがまま言ってないで食べなよ。合格したら好きなもの、何でも食べていいから」
息子が不満げな顔をしながら、父親の使っていた箸に手をつけた。
私は今年四十一歳になる。夫は二年前、繊維筋痛症という全身の筋肉や神経が慢性的に痛む原因不明の病気にかかり、商社の仕事を休んでいた。
専業主婦をしていた私は大学時代の恩師のコネで、卒業した大学で事務のパート職についた。高校受験を控えた息子も家の家計が苦しいことは、子どもながらにわかっていたが、時々こうして甘えてくるのだった。
「明後日にはうぃちゃんたち来るんだからさ、部屋きれいにしといてよ」
うぃちゃんとは妹の娘の名だ。正月に旦那の実家がある新潟に向かった妹は、旦那だけを新潟の田舎に残して、三日からうぃちゃんと一緒に、家に泊まりに来る予定だった。
「何で? うぃちゃんたち俺の部屋来ねえじゃん」
「来なくても一応掃除しとくの。そういうもんでしょうが」
冷蔵庫を開けて、ほうれん草のおひたしを取り出した。
家のインターフォンを2回鳴らす音が聞こえた。
ほうれん草のおひたしを食卓に運んでから、「どちら様ですか?」とリビングにあるインターフォン越しに尋ねた。
「宅配便です」と女性の声が聞こえた。
私はレターボックスを開けて、シャチハタの印鑑を取り出した。
「誰来たの?」
「宅配便だって」
「気をつけなよ。年金テロかもしれない」
「女の人だから大丈夫だよ」
宅配便の配達員に女性はいなかったなと思いながら、印鑑を持って玄関に向かった。重い荷物もあるから男性の配達員ばかりなのだろうが、建設現場やトラックの運転手に女性が進出しているし、配達員に女性がいてもおかしくないのにと思った。
「お待ちどおさま」
玄関のドアを開けると、制服姿の綺麗な外国人女性が、小さな黒の紙袋を持って立っていた。
「サインか印鑑をお願いします」
彼女が伝票を出してきたので、送り主の名前も見ずに印鑑を押して、荷物を受け取った。
玄関のドアを閉めて、鍵をかけてから荷物を確認した。送り主は妹だった。品名は「観葉植物」と書かれている。
廊下を歩きながら、紙袋の中を確認した。セロテープで塞がれた紙袋の口を開くと、植物の小鉢が二つ、梱包もされずに入っていた。こんなことを息子に言うと、「誰かが仕組んだ罠だ」などと言い出しかねないので、リビングに戻ってすぐ、紙袋と伝票をゴミ箱に捨てた。
私は植物の小鉢二つを、夫の蔵書が並んでいる本棚の上においた。
「何? その不気味なの」息子が小鉢をちらっと見て言った。
「おばちゃんからの届け物だよ」
「悪趣味じゃね? 絡まってるよそれ?」
「文句言わないの。本人来て言ったらぶっとばすよ」
観葉植物の茎と葉は絡まりあっていた。一方の背丈が大きく、もう片方の方は、親に抱かれている子どものように見えた。
珍しいものだから送ってきたのだろうか。妹から宅配便で荷物が届くのなんてこれが初めてだったし、妹の想いを汲み取ることはできなかった。
テレビ画面には、衛星放送の海外ドキュメンタリー番組が映し出されていた。2011年までに地上波デジタル放送を受信可能なテレビに買い替えねばならないのだが、家のテレビはまだブラウン管だった。
「お正月で特番たくさんやってるのに、こんな真面目な番組見るんだ」
「正月の番組なんてつまんないじゃん。三日過ぎくらいから面白くなるんだけどね」
こうした息子の趣向の変化が、志望校合格のためという刹那的なものだったとしたら、哀しかったが、親バカの私としてはとにかく嬉しかった。
番組は、昨年世界で起きた主要な時事問題について、識者と大学生が協議するという内容だった。番組冒頭、サブプライムローンの破綻から始まった、世界金融危機のニュース映像が、年初から順番に並べられた。
原油高騰、食糧価格の高騰、サブプライムローンの破綻、リーマン・ブラザーズ証券の破綻、世界同時株安の様子が、当時のニュース映像とともに回想された。途中、飢餓と貧困で苦しむ人々の映像も挿入された。
石油に代わる代替燃料として、トウモロコシを原料とするエタノールが注目されたため、トウモロコシの価格が高騰した。アメリカの農家は、大農場でシステマチックにトウモロコシを栽培していた。トウモロコシに投資することで莫大な収入を得た彼らは、村に今年できたというカジノでギャンブル遊びをしていた。
一方、「発展途上国」と呼びなわされている国の人々は、トウモロコシをはじめとした食糧の価格が急騰したため、日々の食事も買えずに苦しんでいた。国家から支給される食料は、大人数の家族を養うには、不十分だった。砂や土を食べて飢えをしのいでいる人々の映像が痛々しかった。
このような異国の出来事を、テレビから眺めているだけでよいのだろうかと思った。衣食住の安全が確保された場所で暮らす私たちは、お笑い番組を見て過ごしている。もちろんテレビの視聴率や影響力は、インターネットなど対抗メディアの発達によって下がっているが、それでも娯楽化したテレビで一番よく見かけるなのは、お笑い情報番組であった。もちろん日本でも、衣食住に困る人が昨年あたりから急増したが、格差を「自己責任」という言葉で表現してよいのだろうか。テレビの向こうにある世界から自分を切り離してよいのだろうか。
私自身、両親は他界しており、夫も繊維筋痛症で働けない状況なのだから、他人の心配をしている場合ではないのかもしれないが、少なくとも、メディアを通して伝えられた情報に接した後、自分の生活をどうするのか、考える必要があると思った。
斜め前に座る息子はみかんの皮をむきながら、黙ってテレビを見ていた。世界の情報を前にして、息子の顔が真剣でいるのが、母親としてはせめてもの慰めと希望だった。
テレビ画面に「世界の紛争」というテロップが現れ、グルジア紛争の様子が映し出された。北京五輪開会式の日、グルジア政府軍の戦車が親ロシアの南オセチアに奇襲攻撃をしかけた。翌日、ロシア軍が南オセチアに侵攻し、グルジアとロシアの間で紛争が起きた。
テレビには、民家が並ぶ村の中で、兵隊同士の銃撃が飛び交う様子が映し出された。リポーターがマイクを握ってテレビカメラを回していたが、すぐ側で銃撃戦が始まり、テレビスタッフが慌てて逃げる様子も映った。難民キャンプで暮らす人、爆撃によって燃え盛る民家も映し出された。
「怖いねえ、すぐ側で銃弾飛んだら」と息子に話しかけてみた。
私の脳裏には、銃撃戦の中、一緒になって逃げ惑う私と息子のイメージが浮かんできたが、すぐにかき消した。
「これさ、イスラエルのガザ地区侵攻とつながってるよね」
息子が得意げな顔をして答えた。
「どういうこと?」
「グルジアには、イスラエルが大量に武器を売ってたんだよ。グルジアと敵対しているロシアは、イスラエルが敵対してるイランを応援している。ロシアの仮想敵のアメリカは、イスラエルを応援してる。結局世界ってさ、僕と母さんも含めて、全部つながってるんだよね」
息子がさも、みんな知らないことを知っているかのように自慢しているのが気になった。
「そういうの、面接の時言っちゃ駄目だよ」
「何で?」
「戦争の被害者の視点に立ってないじゃん。陰謀と利権考えている、偉い人の視点じゃんそれ」
「そうだとしてもさ、面接の時言っちゃ駄目って、意味わかんねえよ」
私は答えに窮して、視線をテレビ画面から息子の方に移した。
息子は席にいなかった。
「あれ? どこ行ったの?」
息子が座っていたテーブルには、空になった雑煮の器と、食べかけのみかんの皮が置かれていた。
「お母さんこそ、どこいんの?」
息子の声は、息子が座っていた斜め前のあたりから聞こえてきた。
「何言ってんの」
「うわ! 誰だよ、あそこに立ってんの」
息子が大きな声を上げた。体を動かしてあたりを確認してみようと思ったが、金縛りにあったように、体が一切動かなかった。
「何? どうしたの?」
「白人のおばさんと子どもがいる。どっから来たんだあいつら」
知らない外国の言葉が聞こえてきた。年輩の女性の声と、声変わりしたばかりくらいの男の子の声がした。
「二人、どんな様子? 教えて」
外国人二人が家に押し入って、犯罪をする気なのではないか。息子の体が見えなかったり、私の体が動かないのは、何か化学物質をまかれたせいではないかと思い、二人が見えている息子に質問してみた。
「さっきまで驚いてたけど、男の子の方は、とても嬉しそうな顔してる」
「犯罪者っぽい?」
「全然」
私の目に、走る二人の姿が一瞬映った。二人は、廊下に出て行った。玄関を開ける音も聞こえた。
黒い髪をしたヨーロッパ人風の二人は、母親と息子のように見えた。
五 一月二日 熱海
僕は線路の上に立っていた。三本ある線路のうち、真ん中の線路にいた。線路の両側には駅のホームがあった。ホームで電車を待つ人と目があった。
僕の視界に僕自身の腕、胴体、足が見えた。僕は部屋ではいていた服を身につけていた。靴ははいていなかった。
「ちょっとあなた、危ないですよ」
ホームに立つ駅員が僕に声をかけた。駅員は緊急通報ボタンを押した。ホームに立つ客の大勢が僕を注視した。
一分待たないうちに、駅員二人が線路に現れて、僕を担ぎ上げた。
「すいません、ここ、もしかして新幹線のホームですか」
「そうだよ。あんた正月に何する気だったの? 大人しくしててよ」
駅員に両肩を預けたまま、駅員控え室に連れていかれた。
運ばれながら、線路の上に立つ前のことを思い出した。僕は自分の部屋にいた。新幹線自殺のニュース記事をブログにアップしようとしていたら、突然体が動かなくなった。気づけば、僕の体は、観葉植物の小鉢になっていた。
パソコンの液晶画面に、見知らぬ女性の姿が映った。幽霊かと思った彼女が、僕の部屋から外に出てすぐ、妻と娘のうぃが帰ってきた。妻は観葉植物になった僕をスピーカーの上においた。僕の隣に。茎と葉が絡まりあった二つの観葉植物がおかれた。同じ店から買ってきたのだろう、鉢にはアンティーク調の彫刻が施してあった。
妻とうぃはパソコンの電源を入れたまま、テレビを見始めた。イスラエルのガザ地区空爆のニュースを見た後、妻とうぃの体は、二人が買ってきたばかりの観葉植物に変わった。僕の隣にあった、茎と葉が絡まりあった二つの観葉植物はなくなっていた。
直後、リビングの入り口に、パレスチナの人らしき女性と小さな娘が現れた。僕は妻とうぃに向けて必至に声をかけ続けた。観葉植物となった後も、二人に僕の声は聞こえなかったようだ。
そして僕は新幹線の線路の上に移動した。こうしたことの経緯を駅員に説明しても、話がややこしくなるだけだ。駅員室に通された僕は、線路に下りた理由を聞かれても、ひたすら謝り続けた。
「もし新幹線が止まったりしていたら、大変な金額請求したとこだよ」と最後に嫌味を言われて、僕は解放された。
駅員からもらった忘れ物の紳士靴をはいて、僕は駅の外に出た。駅前にはタクシーがたくさん停まり、土産物屋も賑わっていた。何駅だろうかと駅名の看板を確かめてみたら、熱海駅だった。
ポケットに財布はなかったが、部屋の合鍵と携帯電話が入っていた。携帯に電子マネーのチャージがあったので、それを利用して帰ろうかとも思ったが、まず誰かに連絡を取ることにした。
妻の携帯に連絡しようと思って、携帯を開いたら、日付が一月二日になっていた。先程まで十二月三十日だったはずが、気づかないうちに三日分時が進んだのだ。
携帯には電話の着信、メール、留守電の録音メッセージやらが何件も溜まっていた。着信履歴を見てみたら、新潟の村上にある実家の電話番号ばかりが並んでいた。
僕は電話帳で妻の携帯の番号を検索し、電話をかけてみた。妻の携帯はつながらなかった。呼び出し音も、留守電の自動応答メッセージも流れなかった。続いて、実家に電話をしてみた。間延びした母親の声が聞こえた。
「俺だ、お母さん、いけなくて悪かったね」
「何処いるんだ今?」
「熱海だよ」
「熱海だ? 何の連絡もなしにさ。ほんね大変だったんだぞ」
実家に行く約束を破って、だまって熱海に家族旅行に行ったと勘違いされたように感じたが、説明するのもややこしかったので、そのままにした。
「そっちで何かあった? お父さん倒れたとか」
「倒れたどころじゃねえさ。お父さん昨日行方不明になってな、まだ帰ってこねわ」
「お父さんいなくなる時、お母さんも一緒にいたの?」
「ああ、いたども、気づいたらいなくなってたんよ」
「その時さ、何かテレビ見てた?」
「事件報道の特番か何か見てたかもしれねえな。それがどうしたん?」
僕の脳裏に嫌な予感が走った。
「何の事件か覚えてない? 殺人事件だろ、それ」
「はっきり覚えてねえわ。お父さんいなくなった時、制服来た女の子が突然出てきてさ、本当びっくりしたさ」
「また連絡するわ」
携帯の通話を切ってから、電子マネーのアプリケーション画面を開いた。電子マネーの残高が三千円しかなかったので、新幹線に乗るため、銀行口座から二万円分チャージした。引き続き、新幹線のチケット購入画面を開いて、熱海から東京までの自由席特急券と乗車券を電子マネーで購入した。
駅で時刻表を確認した。上りの新幹線が来るまで、三十分ほどあった。液晶テレビがおいてある待合室に行って、最前列に座り、時間を潰すことにした。
人気クイズ番組の特番が放送されていた。小中学生レベルの簡単な問題に答えられない芸能人の様子を見て、待合室の人みんなが笑っていた。見た目のよい芸能人たちは、正解からかけ離れた珍回答を連発していた。
数年前、クイズ番組では、どんな問題にも解答できる、知識量の膨大な教養人がもてはやされていた。インターネットの発達によって、誰でも簡単に大量の情報を手に入れることができるようになった現在、知識の価値は下落した。情報量が増えると同時に、何が正しいのかもわからなくなってきた。
そうした時代状況を反映してか、正解を即答する教養人的回答者は、クイズ番組のメインから外れた。教養人の代わりに、既知の正解とは全く異なる、誰も想いつかないような発想をする回答者が、国民的人気を得るようになった。
彼らは数年前なら、社会システムから排除されていた存在だ。基本的な知識教養もない回答者が人気者になる状況を、一億総おバカ化を狙う陰謀かと批判する教養人も多いだろうが、彼らの人気は、過剰な情報を抱えてパンクしそうになった、社会システムが要請したものだろうと思えた。
かといって、テレビをつければ、不可解なニュースと、奇をてらった発言ばかりする芸能人のどちらかが出ている状況は、無批判に歓迎すべきものでもない。笑いとは本来、社会の正しさを笑い飛ばすためにあったものだ。
自分たちの社会が正しいと思っていることの正当性など、永遠不変のものではない。おかしなことはおかしいと指摘するために、社会の正しさを疑うために、笑いがあったのに、お笑いの評価があがり、価値観の転倒が成された結果、今度はお笑いが、社会の中で最も正しいもの、正しさの根源に成り果ててしまった。
正しいことは、本当に正しいことなのかと疑い、揺さぶり、混乱を呼びこむこと。お笑いが天下をとった結果、大切な笑いの力が、忘却されたのではないだろうか。
クイズ番組の放送が終了した。液晶テレビの上にある時計を見たら、発車時刻間際になっていた。僕は待合室を出て新幹線の改札に向かった。改札にある読み取り機に携帯電話をかざすと、電子マネーで購入した切符を読み取り機が確認した。
熱海駅のホームには正月休みの観光客がたくさんいた。僕は上り新幹線の自由席車両に乗った。席は空いており、余裕で座れそうだった。
どこに座ろうかと迷いながら進んだ。窓側の席に座っている外国人女性が僕に向けて手招きしていた。
「こんにちは。あなた、奥さんと、うぃちゃんを探しているんでしょ」
僕に声をかけてきた彼女は美形で、日本語の発音は完璧だった。体にぴったりフィットした黒のセーターに黒のミニスカートをはいて、ブーツをはいた脚を組んでいる。窓についている洋服がけには、黒光りするコートがかけられていた。
僕は彼女の隣に腰かけた。僕らの前後左右の席は、空席だった。
「何故うぃの名前を知ってるんだ?」
「弟さんにもよく似てらっしゃるのね」
「弟にも会ったのか? それじゃ俺の父親をどっかやったのもあんたの仕業か?」
「ええ、ごめんなさいね。弟さんには一昨日からずっと眠ってもらっているの」
「妻とうぃはどこに飛ばした? パレスチナに飛ばしたわけじゃ……」
「その通り。彼女たちが国際ニュースを見ていたおかげで、空爆の犠牲者が二人助かったわ」
「家に現れた人たちは、あの後どうするんだよ。身寄りがないかもしれないし、本人たちだって混乱してただろう。遺族や生前の知り合いだって、死んだはずの人に会ったら、びっくりするじゃないか」
「元々死んでいなかったのよ。生きていることと、死んでいることの境界なんて曖昧なものよ」
彼女が脚を組みかえた。
「君がどんな存在なのか僕は知り得ないし、知りたくもないが、死者を復活させるなんてことはやめてくれ。これはおとぎ話じゃない、現実なんだ。どんなに奇跡が許されても、復活はやり過ぎだ」
「不慮の事故で亡くなっている人はたくさんいるし、復活している人もたくさんいるの。あなたたちはその事実を知らないだけ」
「もう復活させなくていい。介入してこないでくれ。俺たちに全部任せてくれ」
「こんなにも死者がいるのに? 傍観していろと言うの? あなたたちはただ遠くから見つめているだけで、何もしないじゃない。遠い世界で起きている殺戮は対岸の火事。自分たちは安全で、笑いに溢れているじゃない」
彼女の眼には涙がたまっていた。
「それは悲観しすぎだ。全てつながっているんだ。安全に、笑って暮らしている僕たちは、世界の悲劇と完全につながっている。傍観者のようにして過ごす生活には、必ずしっぺ返しが来るんだ」
「今のあなたが入りこんだ状況みたいに?」
「そうかもね」
彼女が微笑んだ。僕も笑みを浮かべた。
「とりあえず、時間を転倒させてくれ。君にならできるんだろ?」
「亡くなった人たちの命は、もう戻ってこなくなるけど、いいの?」
僕は目を閉じてうなずいた。
「祈ることしかできない」
「それじゃあ戻せない。一つ約束して」彼女が人差し指を立てた。
「いなくなった人たちのこと、忘れないでいること。たくさんの人が犠牲になった場所に、自分たちの生活が構築されていること、忘れないで生きていくこと」
「わかったよ。今の社会は正しくなんかない。何が正しいことなのか、ずっと問い続けることにする。社会のおかしさを笑い飛ばすことにする。あやまって、亡くなった人たちのために」
彼女がまた微笑んだ。
「その言葉覚えておくわ。私の名前はリリス。この名は残念だけど、今まであったことと一緒に忘れて」
リリスと名乗った彼女が、僕に顔を近づけてきた。
「あなたが忘れていいのは今日、ここまでよ」
彼女が目を閉じたので、僕も目を閉じた。
唇が熱くなった。何故かわからないが、涙が溢れてきた。
六 十二月三十日 中野
中野サンモール商店街にある「裏々主」という花屋に行ったら、店のシャッターがしまっていた。「十二月三十日に閉店しました。長い間ご愛顧いただきありがとうございました」とシャッターに張り紙があった。
ちょうど今日閉店したのだ。他によい花屋も知らなかったので、観葉植物を買い足すのは諦めることにした。このままスーパーに寄って食材を買って帰るだけでは癪なので、夫の実家に持っていくおみやげを買うことにした。中野ブロードウェイ内にあるケーキ屋で、日持ちのよさそうなお菓子をうぃと一緒に眺めていたら、「こんにちは」と声をかけられた。
うぃの横に「裏々主」で働いていた外国人の店員さんがいた。
店員さんは微笑んで会釈をしてくれた。ブロードウェイに来る度、うぃと一緒に店に顔を出していたから、私たちの顔を覚えていてくれたのだろう。
「お店、閉まっちゃったんですね」
「そうなんです。今日は最後の後片付けに来ていたの。ケーキのお買い物ですか?」
「ええ、夫の実家にお土産でもと思って」
「お母さんご自身の実家には行かれないんですか?」
「三日の日に娘と二人で行きます」
実家の両親は、私が大学生の頃亡くなっていた。さいたま市内にある家には姉と中学生くらいになる男の子が暮らしていた。姉の夫は数年前から全身が痛くなる原因不明の病気にかかり、ここ最近はずっと入院していた。
「そちらにもお土産を買って行かれたら?」
「そうですね。埼玉なんで別にいいかなと思ってたけど、買ってきましょっか。うぃちゃん、何がいいと思う?」
「これ、これ、絶対これ」うぃが、大好きなチーズケーキを指差した。
「うぃ、空気読まなきゃ。自分の好きなのが、相手も好きって限らないでしょ。キモいよ、そういうの」
うぃは何を注意されているのかわからない様子だった。
日持ちのよいクッキーの詰め合わせを二セット買った。夫の両親がクッキーを好きかはあやしいが、大学を卒業後、ニートをしている夫の弟は、きっとおいしく食べてくれるだろうと思った。
花屋の店員さんとはケーキ屋の前で別れた。中野ブロードウェイ地下のスーパーで食料品を買ってから、バスに乗ってマンションまで帰った。
「ただいま」
「おかえり」リビングの方から夫の声がかすかに聞こえてきた。
リビングに入ると、夫がソファーに座って、パソコンを操作しながらテレビを見ていた。
「さ、イタめし食べにいこ」
「ちょっと待ってよ。今ブログ更新してっから」
夫は部屋着姿で、髪に寝癖もついていた。
「うぃもお腹すいたよね?」
「腹減った。死ぬー」
「ちょっと待ってね。今終わるから」
冷蔵庫にスーパーの食材を入れた後、パソコンの脇にクッキーの詰め合わせをおいてみた。
「これ、新潟におみやげ。ついでにお姉ちゃんちのおみやげも買ってきたよ」
「洋菓子か。和菓子の方が喜ぶんじゃねえの?」
「大丈夫だよ。お母さんがクッキー食べてるとこ、見た時あるもん」
「お母さんはいいけどさ、オヤジはどうかなあ」
買いもしないのに文句ばかり言う夫にかなりいらついたが、それ以上言い返さないことにした。
テレビではイスラエルのガザ地区空爆を伝えるニュースが流れていた。
「まだやってるんだこれ。長引きそうだね」
きっと夫は、空爆に対する批判記事でもブログにアップしたのだろうと思った。
「日本じゃ自殺や事件が多いし、海外ニュースを見れば、紛争ばかりだし、書いて問う必要のあることだらけだよ、これじゃ」と夫が答えた。
テレビの脇にあるスピーカーを見たら、おいてあったはずの枯れかけの観葉植物がなくなっていた。
「スピーカーの上においてた植物、どっかやった?」
「何それ?」
「え? 何? 知らないの?」
「うん」
「本当に? 結構前からおいてたよ」
「は? つうか記憶にないし」
私は植物を愛する心のない夫にあきれた。
知らないうちにゴミ箱に捨てていたのかもしれない。枯れかけだったので、まあよかったが、鉢のアンティーク細工が好きだったので、鉢までなくすのはもったいない気がした。
ブログの更新が終わったのか、夫がノートパソコンを閉じて、外出用の服装に着替え始めた。
「今日観葉植物買おうと思ってお花屋さん行ったらね、潰れてた」
「まあ百年に一度の世界同時不況だからね。そりゃ花屋も潰れるさ」
「せっかく生命感、増やそうと思ったのにさ。うぃも植物に水遣りとかしたかったよねえ?」
夫が花屋に興味のない様子だったので、うぃに同意を求めてみた。
「クッキー食べたい」うぃが甘えた声で言う。
「クッキーはおじいちゃんおばあちゃんちと、おばちゃんちのお土産でしょ」
「うぃも食べたいもん」
うぃがクッキーの詰め合わせを見ながら、声のトーンを上げた。
「今からおいしいデザートの出るお店行くから、我慢しようね」
うぃの髪型を調えてあげた。夫はコートを羽織った。
「俺たちにはさ、どんな花より綺麗で慈しむべき花があるじゃん」と夫が言った。
しばらく間があいた。
「うぃだよ」
「キモいよ」
「ダンナに向けてキモいって言うなよ」
「パパキモーい」うぃも私の真似をして言う。
「うぃにキモいって言われると、へこむな」
「私にキモいって言われても平気なの?」
「平気だよ。俺たちみんながつながっていること、俺、ずっと覚えておくから」
夫が照れくさそうに微笑んだ。私の夫ながらキモいと思った。
「寝癖なおしてってね」
夫が手鏡を見ながら、はねた髪の毛をブラシで撫で始めた。
私はうぃの手をつないで玄関に行き、靴を履きながら歌を歌った。(了)
(この小説はフィクションです。実在の人物、団体、事件とは一切関係がありません。)
事件、事故、紛争によって亡くなられた人たちのご冥福をお祈りします。
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