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小説『エレクトリック・マルテ』

最終更新日:2008年1月28日

 風邪をひいた。頭が重い。足も背中も肩も痛い。全身の神経が病み、きしんでいる。本を読む気もしない。
 僕は行き帰りの通勤電車で毎日本を読んでいる。たいてい古本屋で買った文庫本を読んでいる。片道四十分の乗車時間、いつも決まった分量だけ読み進めるのが日課だが、今日は字を眺めるだけで目が疲れてくる。
 文庫本を閉じて、アイポッドで新約聖書の朗読を聞くことにした。男性ナレーターによる朗読を聞くだけなら、いくら体が疲れていても、耐えることができる。目を休めている限り、僕の脳神経は疲れを感じない。僕は人生に必要ないものを見つめすぎている。
 福音書の朗読。悪魔の誘いを断るイエス。僕は朗読の場面を頭の中に思い浮かべてみた。イエスの前に立つサタン、マーラー、夜叉。彼は釈迦の前にも現われたのだろうか。  頭の中に浮かぶ映像を見る仕事は、電車の外の景色を眺めるのと同じくらい楽だ。頭の中の映像は、電車の窓に覗く景色と同じように、始終躍動している。動き回っている生物を見ている限り、目は疲れない。目は留まっていると、疲れる。
  僕は昼間生活費を稼ぐために副業をしている。副業といっても、背広を着て、毎日会社に通う仕事だ。生活資金を得るために働いている限り、僕はどんなに風邪で苦しくても、会社に行くし、目が痛くても、気にせずパソコン画面を見つめる。
 体調が悪いとすぐに遅刻する人、欠勤する人はたくさんいる。僕は倒れない限り働き続ける。副業に対する僕の勤務態度は氷のように硬質だ。
 しかし、お金のためでなく、お金より大切なもののために、命の交流のために、本業の書く仕事をするとなると、僕は病気に対していすこぶるもろくなる。ちょっと風邪をひくだけでも、力強く書くことができなくなってしまう。
 電車を降りた。朗読を聴きながら、八分歩いて借り家に着いた。僕の住まいはアパートながら、普通の持ち家と同じ外見である。家の一階まるまるが僕の部屋だ。二階建てで、二階には別の人間が住んでいる。階段は屋外にあるから、同居人とは顔をあわせたこともない。
 ドアを開ける。いつもなら部屋に入ってすぐノートパソコンを立ち上げ、書く仕事を始めるのだが、今日はもう働く気分になれなかった。僕はスーツから部屋着に着替えると、すぐベッドの上に寝っ転がった。
 お金を稼ぐため、無理をして昼間の副業をこなした結果、僕の体は悲鳴をあげている。革靴に押しこめられたつま先から、日中ずっとパソコンを見つめていた視神経まで、隅々が痛んでいる。
 何が生活のためだ。お金なんて無理をしてまで稼ぐ必要はない。食べて眠ることさえできればそれで十分だ。後は大切な人たちと話して、お互いを慰め合うだけでいい。大切なのは、必死に働くことより、隣人たちと語り合うことだ。
 僕は二階に住んでいる人の性別さえはっきりわからない。心が抜けて、金ばかりがたまってゆく。
 風邪をひいた人は精妙な論理を追うことができなくなる。風邪をひいても、体の信号を無視して、働き続けている人たち。生活のためだから? お金をどこまで貯めたらいいかわからないため? 私もそうした人間の一人になるのか。そうならないために、夜、カフカのように書いている。何のためでもない、祈りの印を書いている。
 実用のためでなければ、書物を読むことがひどく苦痛に思えてしまう人間。そういう人間にはなりたくない。





 会社仕事の昼休み。僕はいつもコーヒーショップに行ってベーグルを注文する。食べ終わると、コーヒーを飲みながら、通勤電車で読んだ本の続きを読む。
 今日は時間があまったので、コンビニエンスストアに立ち寄った。会社でも働くようになってもう三年以上経つ。前は読む気もしなかったビジネス雑誌の特集記事が気になるようになった。たまたま手にとった雑誌に「報酬が得られなくても今の仕事を続けていますか」と書いてあった。
 昼の仕事は、報酬を得ることだけが目的であり、もし賃金を得られなければ、続けられない仕事である。昼の仕事が終わった後、自分が本当に望む仕事をしている。この仕事からは報酬が得られない。
「報酬が得られなくても今の仕事を続けていますか、それほど今の仕事が好きですか」と問われる以前に、そもそも僕が受け持っている真実の仕事からは、一切金銭が発生していない。
 欲する仕事をして、報酬が得られないことなど当たり前のことなのだ。本物の仕事をして、報酬を得ようとすること自体が間違っているのだ。
 嘘いつわりなく生きること。すると当然、仕事を通して賃金を得ることができなくなる。
 あるがままを全て書き記すこと。一切の虚飾を排して、出来事そのものに目を向けること。
 詩人の仕事は、金を生み出さない。金を拝む詩人など偽物の詩人だ。
 私はそこを勘違いしていた。大切なそこを忘れた詩人はいつまで経っても何も書けない。
 今までは、詩作することで、普通に働くよりも楽に金を稼ごうと考えていた。前提が間違っていた。詩を書くことで、お金を得ることなど不可能なのだ。というよりか、詩を書く仕事と、賃金労働とは、全く触れ得ない、別の世界に存在している出来事なのだ。
 大時代的な誤解だろうか。詩を書いて、印税をたくさん稼いでいる、天才と呼ばれる人たちがたくさんいる。かつて僕はそういう偶像に憧れていた。
 今、僕の心は澄み切っている。何を恐れることがあろうか。





 風邪を治療するため、近所の温泉に浸かった。この前、春風邪をひいた時も、体調をよくしようと何度も温泉に通ったが、まるで効果がなかったけれど、また温泉に浸かってきた。
 風呂上りに風邪薬を飲んだ途端、体が大きく和らいだ。温泉は、薬ほどには風邪の治療に役立たないかもしれない。それでも体は温泉を求めてしまう。
 温泉の休憩所で何冊かの雑誌をめくった。普段雑誌など購読しない分、時々温泉で読みたくなってしまう。雑誌を読んでいる限り、何も考えずにすむからだ。週刊誌に、サッカー選手の女性関係に関する記事が載っていた。スポーツ選手、とりわけサッカー選手は女性にもてる。サッカー選手は、二十代で人生の頂点を迎える故に、結婚も早い。モデルや売れないタレントとサッカー選手は結婚する。結婚すると、栄養バランスを考えた妻の料理が選手生活を支えたと書かれる。外で活躍するスポーツ選手を助ける、妻の手料理。
 これはきわめて古風な価値観の宣伝だ。男らしいスポーツ選手を助ける料理上手の妻。大学時代、フェミニズムをかじった私は、こんな記事にいちいち反感をおぼえてしまう。こんなちょっとしたことで怒る私は、スポーツ選手に比べたら、遥かに栄養不足だ。栄養不足な故に、風邪をひくし、風邪がなかなか治らない。スーパーの総菜、コンビニの弁当、外食中心で、いくら野菜ジュースを時折飲んでいても、体は栄養不足だろう。それでも、スポーツ選手を支える料理上手な妻の存在は、単なる嫉妬をこえて許せない。最近活躍著しい女性スポーツ選手の場合はどうなるのだろうか。
 私は運動が苦手だ。パソコンに向かって字をうちこんでいる方が好きだし、本を読むことが何より好きだ。私の友は偉大なる先人の作家たちだった。私は時代から離れて、どんどん過去に遡っていた。私は生きているのに死んでいる。
 みな、生きているのに死んでいる。
 僕の仕事は何かを志向する文章を書くことだ。ただ現在、インターネットで繰り広げているこの仕事からは、毎月五百円程度しか収入を得ることができない。故に僕は昼間、背広を着て働いている。
 書くことは天から与えられた仕事であり、お金を求めることもなければ、誰かにこびをうる必要もない。何故書くのか。生きているのか、生かされているのか。自分にとって本当に大切なことは何か。自分は何をするために生まれてきたのか。
 自分とは、自らを分け与えられた存在だ。私は何故、自らを分け与えられたのか。
 君と話すためだ。君と心から分かり合うためだ。君と深い心の交流をするためだ。それが肉体の交流を伴う場合もある。けれど、私たちはよくお互いを理解しあうためにこの世界に自らの持ち分を分け与えられてきた。私たちが使わされた理由は、お互いを理解しあうことだ。それはどんなビジネスや名誉や欲得にも勝って、きわめて明瞭に必要とされる行為だ。
 お互いをよく理解しあうことは人生の養分となる。私は君に向かって語りかける。何よりも大切なことに向かって、君が人生の一歩を踏み出すことを私は切に願っている。君の人生の助けになればいいと思っているが、誰も君を助けることなどできないこともまたわかっている。
 それでも深く君について知りたいと思う。知ろうとしてもたどりつけないものだ。たどりつけないなら、待つばかりだ。
 時間の経過は何故あるのか、待つためだ。私はいつまでも待っている。何を?
 時が満ちるのを。
 深い交わりを目的として、私は温和な文章を書き連ねる。新しいことを書き足すのが目的ではない。君の人生の芯が整うのを助けるために、私はこうして毎日書いている。毎日毎日整えている。いつも整理している。現実を。事象を。





 僕が目を覚ましたのは昼過ぎだった。今日は六日ぶりの休日だった。本当は朝早く起きて、有意義な休日を過ごしかったのだが、僕は惰眠をむさぼることで、今日が休みなんだということをとことん実感したかったのだろう。僕はセミダブルベッドからゆっくり体を起こして、トイレに向かった。
 子どもの頃は、昼まで寝ていることなどなかった。ただ一度だけ、親戚の家に泊まりにいった時、昼の十二時まで寝ていたことがあった。
 僕は前日の夜、父の運転するライトバンに乗って、山奥にある親戚の家に向かった。親戚一同でごちそうを食べて、何発も続く花火を見た後、父は翌朝早くから始まる仕事のため、僕を残して先に帰っていった。夏休みだった僕は、親戚の叔父さんに翌日送ってもらう予定だった。
 両親から解放された喜びからだったろうか、僕は夜遅くまでカルピスを飲みながら、親戚の叔父さんたちの酒話を聞いていた。いつになく夜更かししたし、誰も無理をして僕を起こそうとしなかったせいだろう、小学生の僕は人生で初めて、昼過ぎまで眠ってしまった。
 ただ、その時の僕は、本当に眠たかったから、昼まで眠り続けていたのだろう。今の僕は、本当は眠る必要もないのに、起きることが苦痛だから、浅い眠りをむさぼり続けている気がする。
 よく考えてみると、子どもの頃だって、僕は起きるのが楽しみで気持よく起きているわけじゃなかった。小学生の頃、僕は父と母と同じ二階の寝室で寝ていた。壁際に僕のシングルベッドがあり、隣に父と母が眠るダブルベッドが置いてあった。僕より七つ歳上の姉は、三階の個室で眠っていた。
 三階まであるといっても、僕の家は大きいわけではなかった。子供心にも狭く、細長く感じられた長屋風の家だった。
 眠っていると、「ご飯だよ、起きろ」と母か父が一階で叫ぶ声が聞こえてきた。両親のどちらかが、僕をいつも決まった時間に起こしてくれていた。学校のある平日は午前七時、日曜日は午前八時頃、大きな声で呼ばれると、僕はしぶしぶ立ち上がり、ゆっくり階段を降りた。
 階段の下には、大人一人しか立てない狭いキッチンがあり、母が食事を作っていた。階段の右手には洗面所があり、左手には小さな畳の居間があった。僕はまず、右手の洗面所に向かい、家の一番奥にあるトイレでおしっこをした。半分眠りながら、朝一番の放尿を終えると、僕はキッチンにある小さな冷蔵庫を開けて、スポロンを一つ手に取った。
 居間に入るとまず、僕は畳の上にスポロンをおいた。二つ折にしたざぶとんを枕がわりにして、畳の上に横になると、僕はテレビを見ながらスポロンをすすった。
 毎朝飲むのは必ずスポロンでなければならず、この習慣は中学生の頃まで続いた。その間にスポロンの容器の円錐形から四角形に変形したが、一日でもスポロンがないと、僕はひどく不機嫌になったものだった。
 朝七時に起きたのなら、きっちり七時五分に、僕は飲み終わったスポロンを畳の上においたまま、上半身を起こして朝食を取り始めるのだ。メニューは白いご飯に卵焼き、刺身、肉料理など。肉が好きな僕は、サラダが出てもほとんど食べなかったし、みそ汁も飲まなかった。両親は僕の偏食を無理してなおそうとはしなかった。
 僕はどちらかと言えば、子供時代の朝の様子と、会社員である現在の朝の様子を比較したいのだけれど、物語は僕の意図に反してどんどん進んでいく。ここは物語のドライブ感に体をまかせてみたいと思う。
 生真面目なまでにポイントのそれないビジネスライクな話が聞きたい人は、そうした人たちとつきあうのがいいだろう。人間には好みというものがある。僕は教科書通りの人生があまり好きではない。これは学校の作文ではないのだから、物語が連れて行ってくれるドライブにつきあって欲しい。そっちの方が絶対面白くて、どきどきして、自然なのだから。
 朝食を手早く食べ終えると、僕はまた体を畳の上に横にして、二十インチのテレビ画面を見始める。テレビはNHKの朝のニュースか、民放のニュース番組だった。だいたいはNHKなのだが、時々、民放のニュースを見るブームがやってくる。民放を見ていても、半年くらいするとこれがまたNHKに戻る。
 僕はひどく眠たいし、時折目をつむっているが、テレビ画面の上部に映る現在時刻にはいつも注意を払っていた。時計がきっちり七時二十分になると、僕は立ち上がり、着替えを始めた。
 学校に着ていく洋服はいつも母親が選んでくれていた。朝食後、気がつくと、畳の上に今日着る洋服が置かれていた。今にして思えば、センスあると言えるデザインではなかったが、貧乏臭いわけでもなく、派手なわけでもなく、至極一般的な洋服を僕は着ていた。小学生の僕はかっこいい服を着て、女の子の注目を集めようという意識もなく、服はただ簡単に着られればそれでよかった。何しろ着替えることさえめんどくさかったのだ、できたら着替える時間も床に横になって、テレビを見ていたかった。
 着替えを終えると、僕は洗面台に向かい、歯磨き後、顔を洗った。歯を注意深く磨くということもなく、顔を丁寧に洗うということもなく、単なる日課として二つともこなすだけだった。
 歯を磨く間、鏡に映る顔を見てみたいのだが、背の低い小学生の僕は、顔の上半分しか鏡に映っていなかった。
 七時三十五分頃、僕は再び居間に戻る。僕は再び床に横になると、出発しなければならない七時四十五分ぎりぎりまで、眠りと覚醒の間をさまよっていた。
 テレビに向かってテーブルの右側が僕の固定位置だ。テレビに向かって左側にはいつも姉が座っていた。テレビの真正面、僕の斜め向かいには、一家の主である父が座っていた。母は姉の隣におまけみたいにぽつんと座っていた。僕と姉が座っているサイドは、細長いテーブルの側面にあたり、二人くらい余裕で座れるのだが、末っ子の僕はいつも一人で大きなスペースを独占していた。
 今思えば、随分大切にされていたのだなと思うが、当時はそんなことを考えたこともなかった。大切にされていることそれ自体が当たり前のことだったのだ。僕は、僕に向かってくる優しさとか愛情というものを意識したことも、感謝したこともなかった。同時に、大切にされていることが実感できなければ、すぐにむっとする子供だった。





『マルテの手記』でリルケは、受験勉強にうちこむ医学生を批判している。正確に言うと、リルケは受験勉強にうちこむ医学生を批判してはいない。彼の生き方と、詩人である自分の生き方は決定的に異なるものだと記述しているだけだ。或る意味リルケの価値観を共有している僕も、大学に入学して以降は、受験とか資格とかいったもの全てに吐き気を覚えていた。賞を狙ったり、資格を得ようとする行い全てがばかばかしく思えた。
 そんな僕が、久かたぶりに受けたテストがTOEICである。何故試験嫌いの僕がTOEICを受験したのか。きっかけはネット上の広告だった。その広告は資格勉強そのものを奨励するものではなかった。それは「個人の粉飾決算のすすめ」という、当時話題になっていた粉飾決算という言葉を使って、読者の注意をひく自己啓発記事だった。
 記者は、どれだけよく自分を魅せるかが収入アップの鍵であり、資格をとることもまた個人業績の粉飾決算に役立つと挑発的に書いていた。その記事の最後に資格試験支援サイトへのリンクが張られていた。実に巧妙な広告だった。資格取得と生真面目に言われたら、僕は以前と同じように興味を持たなかったろうが、このように扇動的にすすめられた結果、僕はまるで興味を持っていなかったが、そのくせ取れたらいいなと憧れ続けていた資格に目を向けたのだった。
 いつもこうなのだ、本当なら自分が望む、世界が望む人生の実現に向けて、真っすぐに自分の生活を整えていくべきなのに、僕は広告や世人の言葉に流されて、ふらふらと必要ないことに手を出してしまう。
 最初は中小企業診断士の資格を取ろうかと思った。しかし、診断士の資格を取るのに1年近い勉強が必要とわかり、とりあえず手軽に挑戦できるし、つぶしがきく、TOEICに手を伸ばすことにした。
 いざTOEICの勉強をはじめてみたら、楽しかった。今まで資格の勉強をしてこなかったこと、ばかにして手を出していなかったことが、実にもったいないことだと思われた。
 TOEICの資格を持っていなければ、僕の英語の実力がどれくらいなのか客観的にはわからない。一度TOEICの試験結果を得れば、僕の英語力がどれくらいか、よきにしろあしきにしろ、或る程度客観的な証明がなされる。資格はばかにして持っていないよりも、持っていた方がいいと思えてきた。
 しかし、やはり勉強していると果たして僕が望んでいることはビジネスに役立つ英語力を磨くことなのかと反問してしまう。僕に必要なことはただひたすら真摯に書くことではなかったか。なぜ人生に必要ない英語の実力養成に励んでいるのかと悩んでしまう。
 英語の素養があれば、今後の人生におおいに役立つことは確かだ。英語の詩や小説が読めるし、日本語を使えない人々との交流の可能性も生まれる。しかし、それと、TOEICで高得点を取るために模擬試験を繰り返すのは、なんだか違う気がする。それでも、模擬試験を続けていると、今までは聴き取れなかった英語のスピーチも簡単に耳に入るようになったし、英語の長文も臆することなく読めるようになった。結局TOEICの受験勉強をしたことは、僕の人生の糧となったのだろうか。
 日曜日、受験会場の明治大学のキャンパスに向かった。受験生は男女ともみな真面目そうで、やぼったい格好をしており、渋谷や新宿を歩く若者たちとは著しく対照をなす人たちだった。もちろんそのやぼったい人たちの中に、僕も含まれている。
 久々の試験は、大学受験を思い起こさせた。試験終了後、人で溢れかえった電車に乗った時も、大学受験終了後、受験生で溢れた電車の様子を思い出した。
 試験から解放された僕は、続いてファイナンシャルプランナーの資格をとろうかと考えている。これまた、書くという本来の仕事とは全く関係ないものだ。
 僕は、書く仕事を自分の喜びのために使いたくはない。書く仕事はきわめて自己犠牲的な行為であり、金銭的栄光や名声を意図してなされるものではないからだ。書くことは、僕個人のためになされるのでなく、七世代後の子どもたちのためになされる大きな仕事だ。一切のエゴから離れて、高度な倫理精神を持って、奉仕として、書く仕事はある。書く仕事に欲望を混入させないために、僕はTOEICやファイナンシャルプランナーの資格を求めているとも考えられる。
 資格を求める僕と、書く僕は、全く正反対の存在だ。僕は人生を一つの大きな目的に向けて統一させる必要があるように感じている。僕の人生はインターネットのようにばらばらで骨折している。朝から晩まで一つの目的に向けて、書くというただ一つの与えられた仕事に向けて、集中できる環境が欲しい。


一部上場企業に勤める友人についての覚え書き


 彼は毎朝8時半には会社に出勤する。通勤に一時間以上かかるため、起床は毎日7時前である。8時半に仕事を始めるからといって、早く終わるというわけでもなく、仕事はいつも終電ぎりぎり、夜の11時すぎまで続く。終電を逃した場合は、新宿からバスで家まで帰る。この長時間労働が毎時間続く。これが一部上場企業ならどこにでもある、当たり前の労働形態である。
 もちろん中小企業でも人件費削減だ、利益産出だと長時間労働を当たり前にしているが、一部上場企業の場合は、その拘束がゆるくなるわけではなく、さらに厳しく、かつ合理的なものになるのだろう。
 企業で正社員として働き、安定した収入を確保したい場合、人は連日連夜続く長時間労働に耐えることができるのかと問われる。収入がよく、安定した生活の裏にある、月曜から金曜まで続く長時間労働。これが嫌なら最近流行の下流に甘んじろと言うかのように。
 人は真剣に働くなら、労働が神聖なものだと理解できるなら、長時間働くことを厭わない。はたして、企業経済活動の場において、人生の時間の大半をかけてまで働く意義を見出せるのか、企業での仕事に自分の人生の重点をおくことができるなかと問われれば、私は人生の価値を企業での仕事に見出せないと答える。
 私の居場所は、企業活動にない。
 もちろん人それぞれだ。企業活動以外に人生の価値と居場所を見出す人もたくさんいるだろう。企業の経済活動が世界の全てではない。
 私が自分の居場所を見出したのは、今私が立っているこの場所、書くスペースだ。
 ここ、この場所に私は自分の人生を毎日打ちつけている。後から振り返ってながめれば、支離滅裂な記述がたくさんある。人に気に入られたい、より多くの人に見てもらいたいというあさはかなエゴが、私の足取りをごちゃごちゃにしている。ただひたすらまっすぐに自分の仕事の道を歩むこと。
 書く仕事の道は収入を保証しないが、毎日の長時間労働を私に要求してる。詩人にとっては、考え、生き、感じること全てが仕事とな。人生の全てが仕事にかけられている。
 詩人の仕事は通常考えられている労働とは全く別物だ。この仕事は、私の個人的な人生に関する限り、何物も保証しない。そのかわりこの仕事は、私に絶対的な自己犠牲の精神を要求する。
 人生の全てをこの仕事のために投げ出すこと。私の人生における経験をこの仕事に完全に投入すること。私にとって、毎日あなたたちにむけて書き続けることが最上の喜びである。ただこのことだけが私の人生であり、労働なのだ。





 今日は休日だった。言葉の道を歩んでいる僕にとってみれば、休日も何もなく、毎日毎日書き続けることのみが仕事であり生きることなのだが、さすがに金銭を得るための労働をしなくてもよいと、心に安らぎが生まれ、書くことに心を集めることができる。
 今まで、週に一度の休日には、TOEICの勉強時間を取っていたため、休日でも心が安らぐことがなかった。慣れない英語の勉強にあたっていると、生活のための仕事をしている時よりも、心が緊張した。しかし、試験も終わり、今、僕は休日を休日として完全に享受できる。
 別に勉強することがそんなに大きな苦しみだったわけではないのだが、模擬試験をやらなくてもいいという解放感が、僕の心を大きく休ませてくれる。試験勉強をしなくていいから、書くこと、書物を読むことに集中できる。
 僕は書くこと、書き物を読むことが好きなのに、何故か書く仕事に就いていない。生活のために就いている仕事は、書くこととは全く無関係なものである。もちろん、出版という仕事が、書く仕事と全く異なったものなのは確かなことである。出版業は、所詮出版業であり、書く仕事ではないのだ。
 ライターと一般的に呼びなわされている仕事もまた、それはライターにすぎず、書く仕事ではないのだ。書く仕事は、一般的な社会活動から大きく隔てられたものだ。それは誰にも知られず、世界の夜のうちになされる仕事であり、一部の目を持っている人たちが、かろうじて触れることのできる秘められた仕事である。僕はその世界に足をおろそうと努力している。
 今まで、書くことで、人気を得ようとか、エゴの満足を満たそうとか、いろいろ極悪なことを考えていたが、こうした思いを全て捨てることによって、僕は書く仕事にひっそりと関わることができるのだろう。
 昼の仕事が休みだからこそ、ぐっと大量に書くわけではなかった。書く量は、いつもの労働している日と同じだった。僕は休みの日、もっと集中して、朝からただひたすら書くことに没頭する必要があるだろう。というか、昼間働いている日も、もっともっと、書くこと、すでに他の人によって書かれた作品を読むことが必要だろう。僕は自分に課した仕事を放棄して、生活のために働いているが、本当は、心をもっと書くことに向ける必要がある。
 何を書くのかとか、どんなテーマで書くのかとか、そういうことは関係ない。ただ黙って書き続けることが必要なのだ。かといって量をこなせばいいというわけでもなく、一言一言にこめられた人生の質が重要なのだ。
 僕はだらだらとした、闇雲な生活を続けているが、本当は毎日毎日試験に課けられているのだ。本当はいつも試験官に、審判に見つめられているのだ。
 審判は何も判決を下しはしないが、僕が隠し事から離れるたび、落胆しているのだ。僕が小さな楽しみのために、書くことから離れるたび、彼らは大きく落胆している。
 僕はもっと心を集める必要がある。何について書くのか。何故書くのか。誰に書くのか。
 一番親しい人のために。自分より等しいか、優れている人のために。よき読者を得て、よき読者の糧となるために。
 大人と呼ばれる人たちの多くが、実はとても幼い心を持っていることに気づいた。みなわがままを言う。みな人を傷つける。みな嫉妬深く、独占欲が強く、ちょっとしたことでいらつき、人の心を踏みにじる。こういう私もまた子どもだった。
 誰も私を惑わすことはできない。私が勝手に惑わされてきただけだった。私は愛憎に悩まされず生きていきたい。キリストは愛を説くが、ブッダは愛を執着として否定する。ブッダは冷徹な人なのか。そうではなく、彼は慈悲の人である。慈しみの心を持って生きること。欲望ではなく慈しみ。
 モナリザのようにゆったりした微笑みを口に保つこと。舌で人を傷つけないこと。友人の人生を大切に慈しむこと。自分自身をも慈しむこと。
 大人たちは愛されることを求めている。私は愛さず、慈しむ。





 通勤中見た電車の中づりは、結婚雑誌の広告だった。結婚式の平均費用は二百八十万円。そんな金は持っていない。後数年残業を重ねたら貯まるだろうが、そんなにもお金がかかるなら、僕は今結婚できない。
 相手もいないのにそんな話をしてもしょうがないだろうが、明らかに値段が高すぎる。男が全額出すのだろうか。親が負担するものだろうか。僕の両親はもう財産がなく、頼る年でもないし、僕が全額用意するのだろう。
 できちゃった結婚といって、20代始めで結婚する人たちは、二八〇万円も持っているのだろうか。
 結婚雑誌の広告の隣には、教育雑誌の広告がある。いい大学に入るためにはどうしたらいいか、学習部屋はどんな環境がいいのか、考えただけでお金がかかってくる。結婚して、子供を産んで、いい大学に入れて、お金のことを考えていたら、とてもでないが、結婚できない。
 お金ではない。安っぽい愛なのだろう。愛だからこそ安っぽいのだろう。安っぽいから、気軽だから、避妊せずにセックスできるのだろう。
 僕はかたくて動きが鈍い。彼女を幸せにできない。僕も不幸せを満喫している。
 今日、食事中、同僚に最低限のものしか買っていなさそうと言われた。僕は見た目、貯金をたっぷりしているように思われるようだ。確かに、必要最低限のものを功利的に買っているのに、何故お金が貯まらないのか。本や音楽を手当たり次第買いまくっているせいだ。
 生活品、余暇の品はほとんど買わない。というか買えない。全て本や趣味のお金に消えて行くためだ。なぜこんなにお金がかかるのか。気に入ったものをみな買うせいだ。いろいろなものを見境なく気に入ってしまうせいだ。しっかりと道が定まっていたら、人生に必要な書物しか買わないだろう。いろいろ欲深いから、あれもこれもと無駄遣いしてしまう。無駄遣いしているから結婚もできないし、文学もたたない。
 ああ、文学。この大時代的な言葉に何故こうもすがりつくのだろう。今日の夕方は彼女に連絡を取りたいと思った。どんな文面でメールを送ろうかと迷った。けれど、夜になれば、文章を書きたくなる。静謐な孤独の時間を持ちたくなる。本当は孤独でいる事が辛いのに、人と一緒にいると窮屈さを感じてしまう。結局どっちつかずなのだ。
 書こう。ただ書こう。寂しい寂しいと書いていたら、いつのまにか寂しくなくなる。


「数は関係なく」

数は関係なく、ただ自分の心が納得しているかどうか。

商業的成功よりも、精神的深みの獲得を目指すこと。

謙虚。

己の力を誇示するために書かぬこと。

人の力を引き出すために、自然の書力を引き出すために書くこと。

時間も関係ない。場所も関係ない。自由に書いていける。



(2006年頃連作)
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