押井守『イノセンス』
最終更新日:2008年2月21日
小説は書き出しの1行、1ページが大事というけれど、たいして気にとめてはいなかった。しかし、この映画は最初のワンシーンからして他と全然違う。アニメとも実写ともCGとも違う異常な映像美。未来都市の摩天楼の後、オープニング映像がまたすごい。義体(広義のロボット、サイボーグ)の少女がどう創造されたのか、スタッフロールとともに描かれていく。これくらい他作品との違いを見せつけられれば、出だしの1行が大事という決まり文句にもうなづける。途中の映像もアニメでも実写でもない不思議な世界が垣間見れるし、しばらくこれよりすごいアニメ映像は現れないだろうと思わせる。押井守だけがこれより先の世界を開けるだろうと匂わせてくれる。
アンドロイドの人工脳を創るため、自分の脳を犠牲にされそうになった少女が、助かるためにいろいろな事件を起こした。やっと助かったと喜ぶ少女に男は「人形たちのことは考えなかったのか」と恫喝する。少女はだってロボットになりたくなかったんだもんと言う。それを見ていたサイボーグ女が、ロボットは人間になりたくないでしょうねと皮肉を言う。
人工生命と生命は対等に扱われる。自分の生命を助けるために、人工生命なり機械なり動植物を酷使、暴走させる人。人が人工生命や機械や動植物より地位が上なら、こうしたことも赦されるけれど、人と人以外の物身の立場が同等なら、権利侵害だ。動物や植物や自動車やコンピューターは人になりたいと想っているのだろうか。想ってはいないだろう。自分の種が大事だからだ。
大空を舞う鳥になりたいと想う少年がいるとする。彼が本当に鳥になれたら喜ぶだろう。しかし一生鳥のままだったら、おおかた人に戻りたいと想うだろう。また、自分は鳥になんかなりたくないのに、何か別のものの力で強制的に鳥にさせられたら、人に戻りたいと願い続けるだろう。本人の自由意志による選択なのか、自然なり他者なりの影響による強制的選択なのかによって、本人が感じる幸福度は大きく異なる。
人は自分が思っているほど幸福でも不幸でもないという台詞があったけれど、まさにその通り。人はそれほど優れた種ではない。今僕がキーボードを打っており、貴方が見つめているコンピューターは、人間になりたいとは想っていないだろう。
(このレビューは2007年12月10日にブログに発表した文章を転記しています)
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