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アクゼル『ブルバキとグロタンディーク』

最終更新日:2008年2月21日

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ブルバキとグロタンディーク
アミール・D・アクゼル 水谷 淳
日経BP社 2007-10-18

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by G-Tools , 2008/02/21



現代フランスの数学者集団ブルバキと、ブルバキに関わった天才数学者グロタンディークの伝記、業績を綴った作品である。

ブルバキはユークリッドの『幾何学原論』にかわりうる数学の原典的教科書を作ろうと野望を燃やし、『数学原論』を著した。ブルバキは厳密に定義された公理から出発して、抽象的な数学の定義を次々下していった。完璧な厳密性と一般性を元に数学を組み立てなおしたブルバキのスタイルは、後の数学界に大きな影響を与えた。本書の中心的人物、グロタンディークもブルバキの中で才気を発揮したが、ブルバキから次第に遠ざかることになる。ブルバキは集合論を基礎に数学を展開していたが、集合論にはラッセルのパラドックスや、カントールが考えた無限の問題など、大きな論理的矛盾点が含まれていた。矛盾を抱える集合を基礎に厳密な数学を組み立てようとするブルバキの手法は、当然パラドックスを抱え込むことになる。グロタンディークはそうしたブルバキから離れ、集合ではなく圏(カテゴリー)論に取り組んだ。一方ブルバキは受け入れてしまえば自身の数学体系を作り直さねばならない圏論を受け入れることができず、次第に現代数学における影響力をなくしていった。

ブルバキは数学において構造という概念を重要視した。構造の研究は、数の成り立ち、組み合わせ、形式、数全体のシステムが持つ性質等について厳密に取り扱う。構造の研究は数学だけでなく、文化人類学、文学、精神分析、経済学など諸学問における一大潮流となった。20世紀後半における構造主義の台頭には、ブルバキの数学が大きく影響している。レヴィ・ストロースはブルバキのメンバーから示唆をうけて、構造人類学を打ち立てたし、ラカンの精神分析、バルトの文学・文化に関する記号学的分析等も数学における構造研究の成果を取り入れている。

では、構造に対する圏論とはどういうものか。圏論は、構造を持った対象と、その構造の射影との関係性を考察する学問である。圏論は、構造を持つ対象の内部関係よりも、類似した構造を持つもの同士の対象関係の把握を重視する。構造内部を詳しく分析しない圏論は、ブルバキの数学と相容れなかった。しかし、圏論は次第に現代数学の隆盛に加わり、ブルバキの数学は無用となっていた。

なぜブルバキの数学は時代から忘れられていったのか。著者は、ブルバキ数学の使命が終わったからだという。数学に厳密さと一般性を求めたブルバキの数学は、現代数学の基礎となった。当時は斬新だったブルバキの考えも一般的になったが故に、重要視されなくなったという。例えば、数学は厳密に定義される抽象的な事象だけで成り立たないという考えは、一見ブルバキの考えを否定しているようだが、ブルバキ的手法の極度の延長上に、そうした結論が現れただけに過ぎない。ブルバキ以後カオス理論、フラクタル、カタストロフィー理論などが現代数学にあらわれた。名前を聞くだけで、秩序とは無縁のようだが、それらの理論は前近代的に混沌を混沌のまま受け入れて思考停止に陥っているわけではない。モダンなブルバキ数学の後にあらわれたポスト・モダンの現代数学たちは、厳密に厳密に事象を解析するうちに、事象が秩序だっていない、きわめて複雑だという結論にいたったのだ。故にそれらの数学はきわめて詳細にカオティックな事象を解析することはできる。これは数学的思考の放棄ではなく、厳密さの徹底と考えられる。

ブルバキの数学が廃れたように、諸学問であらわれた構造主義の潮流もすぐにポスト構造主義に変わった。ポスト構造主義は、流動性、変化、不確定性、周縁、無秩序をテーマにすえる。これは複雑系の現代数学と歩調を合わせた展開だ。現代数学同様、ポスト構造主義もまた、構造主義を否定するようでいて、その実構造主義的探索の極度の徹底にすぎないだろう。

それでも、ブルバキら構造主義が着眼する問題と、現代数学、圏論およびポスト構造主義が研究している問題は、異なっている。後者はより大きな変化量を扱うことができる。こうしてブルバキ数学は時代遅れのものとなった。

そうした歴史的推移よりも刺激を受けたのは、グロタンディークの哲学だった。厳密さの徹底、一般的問題への集中、他の人の思考結果にたよらず、自分自身の手で数学の問題にあたること、こうした姿勢はデカルトなど他の天才たちにも見られる学究的振る舞い方だ。グロタンディークのごとくありたい。

さて、現代数学は一時の優位性を失っているように見える。近代学問それ自体を否定したポストモダン以降、学問の影響力は下がっているように見える。もちろん学際的研究は盛んに行われているし、学問自体は進展を続けているが、数学なり哲学なりがかつて学問にしめていた影響力は後退しただろう。物理学や生物学が宇宙の仕組みについて強烈な勢いで解析を進めているし、人文科学の分野を見れば、人間社会の研究は経済学、心理学、社会学といった近代になって生まれた学問の方が活発である。哲学や数学といった古来よりある基礎的学問は、近代以降生まれた学問によって死を宣告されたのだろうか。そうではないように思える。人類の営みより知が次のパラダイムにいたるための大きな契機は、次代の哲学や数学から生まれるという希望を持ちたい。そのためには、他の諸学問が生み出している知的営為を積極的に取り組む姿勢が必要だろう。

(このレビューは2007年11月26日にブログに発表した文章を転記しています)
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