リドレー『やわらかな遺伝子』
最終更新日:2008年1月27日
ヒトゲノム解析結果を含めて、最新遺伝子研究から遺伝子の働きを紹介する本です。議論は最終的に「生まれか育ちか」の対立に収束します。
学習や教育によって個人の能力が開花するという説は「育ち」の擁護派です。生まれながら持っている遺伝子によって個人の能力は決定されているという説は「生まれ」の擁護派です。著者は、どちらもある程度正しく、どちらもある程度間違っていると主張します。
育ちによっても人は変わっていくし、生まれによっても人生はある程度決まる。こう言われると、至極常識的な結論のようですが、著者の意見は今までわからなかった遺伝子の研究成果に基づいています。つまり、遺伝子は全て決定しているわけではありません。何らかの経験などきっかけさえあれば特定の形質を発現させる、雛形と呼べる遺伝子があります。この雛形となる遺伝子がなければ、特定の能力が伸びることもありません。遺伝子と経験及び環境、すなわち「生まれ」と「育ち」は相互に影響し合っており、どちらか一方が生命活動を決定しているわけではないのです。
遺伝子のよさ、生まれのよさを尊重すると、人種差別、性差別等が助長されるように思えますが、育ちのよさを尊重しすぎる社会もまた悲劇を起こします。旧社会主義国はパブロフの学習理論などを背景に、誰もが生まれながらにして平等であるから、国家による教育によって個人の能力は開花すると考えました。育ち重視は、学習と教育次第であらゆる個人が、国家の思い通りにコントロールできるという思想につながります。
能力主義、成果主義社会は生まれと育ちどちらを尊重しているのでしょうか。私は能力主義社会は生い立ちに関係なく、個人の能力で評価されるのだから、育ちのよさが評価される社会だと思いましたが、著者によれば、能力主義社会とは、生まれ持った遺伝子のよさを優遇する生まれ重視社会なのです。育ちのよさを重視する社会では、個人はどんな大学で勉強を積んだのかとか、個人の親の職業は何か、親の年収はいくらかといったこと、つまり個人の生育環境全体が、個人評価に利用されます。生まれのよさを重視する社会では、彼がどんな学校に通ったかとか、親の職業や年収は関係ありません。彼が生まれ持っている能力が評価されるのです。
もちろん彼は生まれ持ったハンディを越えて、自分の後天的努力で能力を伸ばしてきたのかもしれませんが、そうした彼を評価する社会は、育ちのよさ、生育環境に関係なく、遺伝子の基礎体力を評価している社会だといえます。
就職面接の例え話が印象的でした。ある面接官は、有名大学卒で、親の社会的ステータスも高い候補者をおします。女性面接官は、彼の受け答えには頭の悪さが垣間見られた、二番目の候補者の方が受け答えもしっかりしていたし、好印象だったと言います。するともう一人の面接官が、しかし二番目の彼は黒人だよと言います。この場合、最初の面接官は育ち重視派、後の二人は生まれ重視派なのです。私たちの社会は、女性面接官的な考えを支持する方向に向かっていますし、著者もそれを支持します。
遺伝子の解析によって、如何様にも人種、社会的差別の口実ができますが、わたしたちは倫理的責任感を持って、技術の利用にあたる必要があります。
COPYRIGHT (C) 2003 HAL HILL. All RIGHTS RESERVED