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ライヒホルフ『進化の創造力』

最終更新日:2008年2月22日

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進化の創造力―DNA至上主義を超えて
ヨーゼフ・H. ライヒホルフ Josef H. Reichholf 長野 敬
青土社 1999-09

by G-Tools , 2008/02/22




原著は1992年。ドーキンスとグールドの進化論学説対立を眺めてきた私にとっては、非常に刺激的な本だった。

「利己的な遺伝子」の著者、ドーキンスは進化の原動力は遺伝子だという。生命体は遺伝子の乗り物に過ぎない。自然淘汰と遺伝子の突然変異によって、遺伝子は進化する。その結果、生命体も進化するように見えるという、遺伝子中心の学説である。著者はこれを「漸進論」と命名する。この説によれば、進化はゆっくりと起きているからだ。

ドーキンスの論敵、グールドは進化はある日突然偶然起きるという。隕石の衝突、寒冷化などによって生態系が激変すれば、対応できない生物は絶滅する。偶然にも激変後の環境に適応できる能力を持っていた生物が後々繁殖していく。遺伝子が全てを決めているわけでないし、常日頃の生存競争によって生命は進化しているわけでもない。進化と大量絶滅は断続的に起きるものだというグールドの説を、著者は「断続説」と命名する。

長年生物学ではドーキンス派とグールド派で対立していたが、著者は進化論に両者が見落としていた新しい考えを導入する。生命体の代謝こそ進化の原動力だというのだ。

著者の専門領域は鳥の研究である。鳥はある時期突然増えた。恐竜が絶滅したおかげだろうか。著者は、鳥のえさになる昆虫が増えたおかげで、鳥も繁栄したという説を述べる。食糧にありつける確率が増えれば、生命は増殖するし、進化も活性化する。生命体が進化する原動力は、食糧過剰にあるというのが、著者の考えである。

ドーキンスの漸進説には、遺伝子だけが進化の原動力ではないと著者は反論する。ドーキンスが遺伝子の乗り物と考えている生命体。確かに生命体と、遺伝子は全く違うものだ。遺伝子は単なる情報である。生命体は遺伝子をもとに形成されて、生命が生きている間食糧を摂取し、代謝を繰り返す。進化を推進するのは遺伝子ではなく、むしろ代謝する生命体の方であるというのが、著者の遺伝子中心説に対する反論だ。

グールドが言うように進化はある日突然勃発するものだろうか。著者は全ての生命体に流れている関連性を指摘する。グールドが研究対象としたカンブリア紀の生物は、それまでの生命歴史から外れて、突然大量発生し、大量絶滅したかのように考えられていたが、最近の研究では、エディンガラ紀の生物が進化してカンブリア紀の生物となっている事例が検証されたし、私たち現存の生命体に、カンブリア紀の生物と同じ機能、仕組みが働いている種がいることが調査された。進化および生命体は連続して起きている。

進化の原動力は食糧過剰、言ってみれば生態系の過剰、非平衡である。平衡、変化のない生態系では、生命の進化は起きない。食糧が不足状態にあるためである。生態系が乱れて、何らかの種が過剰に繁殖すると、それを食糧とする生命体も増えていく。生命の進化は、非平衡なシステムから生まれていく。

人間の介入によって生態系は改変されたというのが定説だが、著者によれば、生態系は常に非平衡なものなのだ。生態系に属する生命体自身が、生態系に変更を加えている。もちろん人間の介入は今までのどんな生命よりも甚大なものだろう。

何故人間がここまで大きな影響力を持ちえたかといえば、技術と知識を蓄積した結果である。人間は技術を利用して、生態系に大きな影響力を与えることができる。いってみれば、人間は進化を超えたところで進化に影響を与えることができる種である。脳の命令は、遺伝子の命令をも打ち破ることができる。人間は遺伝子の命令を超えた自由意志によって生態系に何をできるだろう。

自然は過剰と、過剰の後必ず訪れる不足、非平衡と平衡の永遠の交替を繰り返してきたという。人間はこうした現象について、思考と言葉で記録を残せる地球上唯一の生命体である。この能力に対する責任をどこまで果たせていけるのか。人間のこれからが問われる。

(このレビューは2008年2月11日にブログに発表した文章を転記しています)
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