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ドーキンス『利己的な遺伝子第三の脳』

最終更新日:2008年2月22日

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利己的な遺伝子 <増補新装版>
リチャード・ドーキンス 日高 敏隆 岸 由二
紀伊國屋書店 2006-05-01

盲目の時計職人 ドーキンス VS グールド (ちくま学芸文庫) 神は妄想である―宗教との決別 虹の解体―いかにして科学は驚異への扉を開いたか 悪魔に仕える牧師

by G-Tools , 2008/02/22



遺伝子進化論者で知られるドーキンスの著書です。遺伝子の利己的競争が進化の源泉とするドーキンスは、利己的行動や競争を文化的に嫌う日本では人気がありません。日本では進化は偶然によるものだ、競争の結果ではないとするグールドの意見に人気があります。また、ドーキンスやダーウィンは、優生学や新自由主義や遺伝子組み換え反対論者によく批判されます。

僕も半ば否定的なステレオタイプを持ったまま、ドーキンスの著書をひもといたのですが、文章に触れた感想はダーウィンの著書に触れた時と同様のものでした。彼らは正真正銘の科学者です。社会ダーウィニズムの奇想天外な意見をぶち上げる変態思想家とは格が違います。彼らは自分たちの研究成果がそうした人々に曲解、利用されることを恐れるように、慎重に慎重に議論を進めています。異論反論、自然の実例を並べて、慎重に議論を進める文体には、非常な好感と信頼が持てます。

ドーキンスはこの本で主に群淘汰説に反論しています。群淘汰説は多くの生命体に見られる利他的行動の説明に、仲間主義を利用します。すなわち、たとえ自分の命が犠牲になっても、種として、群として自分たちの同胞が生き残ることができれば、生命は群として生き残る行動を選択する場合があると説明するのです。

対してドーキンスは、進化の生存競争、自然淘汰の単位を遺伝子だと主張します。何故人を含めた多くの動物が利他的行動をとるのか。自分の命まで犠牲にして、他の生命を助けるのか。一見博愛的自己犠牲と利他主義に見える行動は、遺伝子単位で見ると、全て遺伝子が生き残りたいがための行動だと言うのです。

母親が子どもを大切にするのは何故か。自分の利益よりも子どもの利益を優先させるのは何故か。群淘汰説によれば、種として、群として生き残る確率を増やすためです。遺伝子淘汰説によれば、遺伝子の生存確率を増やすためです。

受精後、カマキリのメスがカマキリのオスの首を刈り取り、食べてしまうのは何故か。なぜオスのカマキリは自分の命を犠牲にするのか。群淘汰説によれば、オスはメスに栄養を与えることで、自分たちの種、群、同族集団の生存確率を高めます。遺伝子淘汰説によれば、オスはメスが産む卵内にある遺伝子の生存確率を高めるため、自分を犠牲にします。もう遺伝子はメスの卵に伝わったのだから、メスに食べられてしまっても遺伝子の生存確率を高めると言う点では問題ないわけです。

こうした説を聞くと、多くの人は不快感を感じることでしょう。利他的行動や自己犠牲の美徳が、科学者の詩的でない説によって踏みにじられたと感じる人も多いでしょう。しかし、ドーキンスの進化の基本単位は遺伝子であると言う説は、その後の多くの研究に影響を与えました。また、ドーキンスの文体はここでは再現できませんが、とても詩的で魅力的なのです。科学者の文章でこんなに読ませるものはないというくらい、ドーキンスの文章には読者を魅了する香りが満ちています。

(このレビューは2008年1月17日にブログに発表した文章を転記しています)
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