ウィルソン『知の挑戦−科学的知性と文化的知性の統合』
最終更新日:2008年9月23日
人文科学と自然科学の間にある大きな専門性の壁を切り崩し、全学問を統合しようとする意欲的な書。学際研究などは多いが、こうした学問統合を大上段で語る研究者はなかなかいない。
著者は最初に啓蒙思想、特にフランスのコンドルセとイギリスのフランシス・ベーコンの素晴らしさを説く。啓蒙思想は厳密な法則を探求する。また、発見した法則によって未来社会を作り上げていこうとする。こうした合理的、計画的思考法に対抗して、ドイツでは非合理を尊ぶロマン主義の思想がうねりをあげた。合理性、統一性、理性を否定するポストモダン哲学も起きた。その一方で、啓蒙主義の理想は自然科学に結実したが、自然科学は過度に専門分化しすぎたため、人間社会を統一的に説明する学問は成立しなくなった。著者はここから、自然科学の方法で人文科学を説明しようとする。
社会生物学は、遺伝子と文化は共進化しているという。生物学的な遺伝子の進化と社会的な文化の変容は、相互作用をなして人間活動を変容させている。
著者は、遺伝子は後生則を決定するという。後生則とは、ある生物が作り出していく文化の方向性を決める、生物的な感覚知覚、精神発達の原則である。
文化活動は、後生則を決める遺伝子のうちどれが生き残り、増えていくかの決定に関与する。
世代を超えて生き残り、増えていった遺伝子は、集団の後生則を部分的に変化させる。
変化した後生則は、今後作られていく文化の方向性を変化させる。
つまり、遺伝子は文化構築の方向性を決める、偏りを生み出す。作られた文化は、特定の遺伝子が繁殖するのを有利にする。増えた遺伝子は、以前あった遺伝子と別の文化を好むかもしれない。その場合、文化は変わっていくのである。著者は人間の本性とは、遺伝子でもなく、文化でもなく、こうした精神発達の遺伝的原則、後生則であると説く。
著者は後生則で倫理、道徳、宗教といった人間活動を説明する。道徳感情はなぜ生じたのか。著者は超越主義的説明をしりぞけ、経験主義的に以下のように説く。
「経験主義の一般原理は、次のような形式をとる。強い生得的感情と歴史的経験によって、一定の行為が選好されるようになる――私たちはその行為を経験し、結果を評価し、その行為をあらわす規準にしたがうことに同意している。規準を守ることを誓い、そこに個人の名誉をこめ、そむいたときは罰を受けることにしようではないか。」(p305)
なぜ人間は協力するのか。これは生物学、哲学、倫理学、心理学、社会学、政治学、経済学が様々な仮説をたてた重要で未解決の問題だった。著者はこう答えている。
「協同によって解決できるジレンマは、日常生活のあらゆる場面にさまざまなかたちで存在する。その見返りは、金銭、地位、権力、セックス、情報、安楽、健康とさまざまである。これらの見返りの大半は、遺伝的適応度の普遍的な最重要事項に転換される――すなわち長命と、家族の安全と繁栄である。」(p307)
宗教の存在理由もまた、経験主義的に考察される。宗教は不安と恐怖に満ちた世界に安らぎと秩序を与えてくれる。肉体、生命はいつか必ず死ぬが、神は永遠であり、不滅である。完璧の存在に守られていると思えば、人生に意義が生じるし、神とのつながりを感じれば、はかない自分の魂の中に永遠の平和を感じることができる。
(このレビューは2008年2月26日にブログに発表した文章を転記しています)
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