デネット『自由は進化する』
最終更新日:2008年1月27日
(以下の書評は2008年1月16日にブログにて発表済です)
翻訳は、現在のベストセラー『その数学が戦略を決める』の翻訳者でもある山形浩生が担当しています。ダーウィン流進化論および自然科学の知識を支持している哲学者による、人間の自由意志を考察する哲学書です。
人間は自然淘汰によってゆっくり進化しています。文化とは何でしょう。著者は、文化及び科学技術は、自然の進化を加速させると主張します。人間は科学と文化を使うことで、自然に進むよりはるかに速いスピードで進化していけるのです。
ここからは著者の意見でなく私の読後感を書きます。ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」では、「神がいないのなら何をしても罪にならないのか?」というのがテーマとしてかかげられていました。ダーウィン的進化論の立場では、神がいないのは最早大前提です。現在の人間にとって問題となるのは、むしろ「神がいないのなら、人間が自由意志で勝手に進化を操作、加速化させていいのか」という問題です。
自然の進化も文化による自発的進化も、競争と淘汰を呼び起こします。生命は、環境により適応できたもの、すなわち強者と、環境に適応できなかったもの、弱者にわけられます。ここにナチス的優生学、経済の新自由主義、遺伝子組み換え技術が共通に抱える問題が浮上してきます。すなわち、人間が自由意志で決定した進化の加速は、本当に妥当なものなのかという問題です。進化は文化や科学技術によって、自由に加速できますが、本当にその意思決定でいいのかという検証が十分行われているのかと言うと、はなはだ疑問です。意思決定内容を十分チェックすること、間違っていれば見直すことは、自由に伴う責任です。哲学者、思想家、倫理学者、科学者は、人類の決定にもっともっと厳しく口出しをしなければいけない時代に来ています。
たとえば、優生学のあやまり。ドイツ民族、アーリア人は世界で一番優れているとし、ユダヤ人などナチスが勝手に規定した弱者は根絶しようとすることは、明らかに誤解です。優生学ではどの人種が優れているのかという定義づけ自体間違っていたのですが、そもそも任意に定義された弱者を根絶しては、生態系のバランスが崩れるのです。
生態系のバランスが崩れると、環境に適応できていた強者の生存自体危うくなります。生存競争の弱者の存在が、実は環境維持にとても重要になっている場合があります。弱者の根絶は生態系自体の破壊を招きます。また、弱者を根絶しようとすれば、当然弱者が反乱を起こしますし、ある特定の強者の暴挙を他のものが見逃す道理もないでしょう。彼の行為は自然のゆるやかな掟にそむく、理不尽なものに見えるためです。
新自由主義でも優生学同様の誤りが発生します。経済的強者は一人で強者にのぼりつめたわけではありません。先進国の豊かな生活は、発展途上国の労働と貧困によって成り立っています。この共生、経済的生態系は、簡単にバランスが崩れうる、もろいものです。新自由主義者はダーウィン流進化論にのっとって自由競争を加速させれば一番いいといいますが、彼らが言うダーウィン流進化論はダーウィンの教えの曲解です。生態系内に多様な生物がいればいるほど、生態系のバランスは保たれます。弱者を徹底的にしいたげる制度は間違いです。百獣の王であるライオンは草を食べませんし、バクテリアを痛めつけません。
遺伝子組み換え技術は、文化と科学技術が生み出した、進化の加速化の最たるものです。遺伝子を任意に組み替えることで、病気や不治の病を救うことは倫理的にみてもすばらしいことですが、遺伝子を操作して優秀な人を作り出すこと、優秀でない人が生まれないようにすることは、決定的に間違っています。何が優秀で何が優秀でないかは、その当時の環境、生態系によって決定されるに過ぎません。優秀さとは、その当時の環境に対する適応度でしかありません。環境が変われば当然優秀の基準も変更されます。自然環境はそんなに早くバランスを変えませんが、文化の加速度は絶望的です。時代によって優秀の尺度は簡単に変わります。そんな状態にあって人間の優劣を簡単に決定してしまっていいのか。よくよく考え、吟味することが必要となるでしょう。
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