ジャルダン『環境倫理学−環境哲学入門』
最終更新日:2008年9月23日
(以下の書評は2008年2月23日にブログにて発表済です)
アメリカの環境倫理学の標準的教科書としてよく読まれているというだけあって、アリストテレス、カントなどの古典倫理学から、現在最新の理論まで、環境倫理学、環境哲学の歴史がわかりやすく配置されている。医療や遺伝子の問題を扱う生命倫理の入門書と合わせて読めば、現代倫理学の大要をおさえられるだろう。
環境倫理学は当初古典的倫理学からの派生物として生まれた。近代まで倫理学は人間中心主義だったため、初期環境倫理学も、今生きている人間にとって有益な環境の保全が望ましいと考えた。これに対して、将来の世代に対する責任を説く倫理学や、人間以外の動物にも権利を認めようと主張する動物解放論があらわれた。
伝統的倫理学が何故人間を中心にすえていたかとういと、人間だけが道徳を考えることのできる存在だと思われていたためである。何がよいことなのか、考えることができる道徳的存在である人間にのみ価値と権利を認めると、動物は倫理学の対象外となる。動物解放論は、苦痛を感じる能力があれば、その生物は倫理学の対象になると説いた。人間の食用にされる羊は狭いところに閉じこめられ、脂肪がつくよう飼料を食べさせられ、ほとんど運動できないまま若くして殺される。
動物解放論には、植物、細菌など苦痛を感じない生命体は倫理学の対象ではないのかという批判が寄せられた。生命中心主義の倫理学は、命ある存在全てに価値と権利があると説く。人間と同じほどの価値を他の生命におく倫理学に対しては、他の生命を尊重するために人命を犠牲にしていいのか、産児制限など人間の活動をどこまで制限するのが妥当なのかという批判が寄せられる。
さらに生態系全体のバランスを考慮する学説では、生きているものだけでなく、生態系全体の包括的バランスを考慮した意志決定、社会政策が必要だという。こうした学説に対してはファシズムだという批判がすぐに寄せられる。生態系全体のバランスのために、個人の自由や活動が制限されるとして、規制はどこまでの範囲が妥当なのか、ファシズム国家のような圧制や支配につながらないのかという批判が寄せられる。
伝統的哲学および神秘主義は世界に対する認識を深めることで、自己を変容させ、人生の選択を変えることを説いてきた。ディープエコロジーは自然に対する認識を深めれば、エゴイスティックな欲望、感情が消え去り、自然と人間個人は一体だと感じることができると説く。深い自然認識に基づいた行動選択を促すディープ・エコロジーに対しては、世界中の精神世界思想の単なる寄せ集めで抽象的、一般に波及しない非現実的思想という批判が寄せられる。
エコ・フェミニズムは女性も自然も男性的価値観に支配されてきたと説く。双方の力の開放を説くわけだが、著者によれば、フェミニズムは3つの世代に分けられるという。第一のフェミニズムは、女性にも男性同様の権利を与えよと訴えた。これは暗に男性支配的価値観を肯定しているとして批判された。第二のフェミニズムは、社会で低く評価されてきた女性的価値観の素晴らしさを訴えた。第二世代のエコ・フェミニストは、権利、義務、法などを説いてまわる既成の環境倫理学に対して、ケア、愛情、信頼といった女性的と目される言葉で倫理を説いた。第二世代のフェミニズムは、文化的、社会的に構築されたステレオタイプでしかない「女性固有の価値観」という幻想を固定させるとして批判された。第三世代のフェミニズムは、女性的な価値、男性的な価値、自然の価値、人間社会の価値が対等に、かつ多元的に共存する社会の構築を目指している。こうした複数的、多元的な価値共存をプラグマティックに求めることは、理想論では到底片づけることができない、複数団体の利害が衝突する環境問題の解決にも有効だと著者は説く。
学説が整理されているし、倫理学の基本にも触れることができるので、読了後は環境問題に関するニュースの見方が確実に変わるだろう。地球を大切に、自然を大切にという言葉だけでは、反論してくる人を説得できない。多元的価値観を持つ人々の果てしない論争の果てに、妥協点が見出されるだろう。
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