シーブルック『世界の貧困 1日1ドルで暮らす人びと』
最終更新日:2008年2月11日
(以下の書評は2007年6月21日にブログにて発表済です)
グローバル経済の影にある貧困の進展について書かれた啓発書。
「食糧不足が問題なのではなく、栄養不足の人たちに市場で食糧を入手する購買力がないことが問題なのである」(p49)
なぜ食べるのにやっとなのに、たくさんの子どもが生まれるのか。自己抑制がないから?教育がないから?産児制限がないから? 著者は、「安全」だという。歳をとったときに面倒を見てもらえる人がいるかどうか。「安全こそ人々が欲しているものであり、避妊薬や避妊技術、性的禁欲に関する助言ではない」(p52)と著者は書く。
日本や福祉国家では老人一人でも生きている制度が整っている。年金問題なり介護問題なり老人自殺なり様々な問題が浮上しているが、社会や国家がお金を給付することもない国や社会が世界にはたくさんあることを忘れずにいたい(だからといってもらえているだけで幸せだろうと開き直ったり、傲慢になることなく)。
世界の現実を考慮して、日本に生まれることは、宝くじあたったようなものだという言葉がある。毎日食事にありつけるかわからない人からすれば、日本で暮らすことは天国のように思えるともいう。しかし、日本人がこれだけ辛そうで、不満そうなのはどうしたものか。宝くじに当たった人がお金をすぐ浪費してしまうのと同じ病状だろう。努力せずに与えられた境遇・恩恵に、人はなかなか気づけずにいる。
また、仕事とは、自分よりも困っている人たちの生活向上のためになされるのだという基本的意義を忘れていることも問題だ。自分たちの利益をあげるために成された仕事からは、利益第一義の仕事からは、仕事を通した社会的つながりは生まれない。消費を通してはじめて、社会的連帯が生まれるのだ。
商店街を歩いていると、安売り洋服屋の店先で外国からの人が商品を手に取り、驚いているのをたまに見かける。私にとっては、安売りの洋服屋は、センスも質も悪く、着用するに値しないものに映るけれど、ただたんに着るという生活の必要だけからそれらの洋服を眺めれば、それらはきわめて安くてよい品物だということになる。先進国と呼ばれる国々は、商品にセンスなりブランド的価値を与えることで、必要以上の商品を作り出すことで、消費を促し、経済戦争に勝利してきた。こうした大量消費の創出によって、資本主義国家が共産主義国家との冷戦に勝利したことは歴史的事実である。消費が進展する中、生活必需品さえなく死んでいく人たちがたくさんいる国もある。この二極化。私たちの仕事や富はどこに向かうべきか。何に人生は向かうべきか。悩んでいる場合ではないような時代。
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