シュローサー『おいしいハンバーガーのこわい話』
最終更新日:2008年2月11日
(以下の書評は2007年7月29日にブログにて発表済です)
前々から気になっていたけれど、今日は大雨ですることもないため近所の書店で購入。購入しなかったのは、なんとなく内容が想像できたし、読後感がどうなるかも想像できたから。
内容は若干違っていた。ハンバーガーの中に健康に有害な肉が使われているという内容で押し通すのかと思ったが、そういう消費者の不安をあおる話は全体の一部に過ぎず、予想よりもマクドナルド店内で働く人や、食品工場の内情を綴る描写が多かった。
テレビニュースの食品関係の話題では、食品が人体の健康に悪いことを綴るばかりだけれど、この本では牛や鶏や豚が狭い室内でストレスフルに飼育されていること、仲間の死体が飼料に混ぜられている場合もあること、残酷な方法で殺されていることまで記述されている。
こうした工場内の実態はかつてニュースになったし、マクドナルドなり大手企業は、事態の改善に努めているという広告を出して対応しているが、著者は労働者の環境、報酬の改善がされていないこと、報道でも労働問題に触れられる機会が少ないことを嘆いている。
たいていの企業は最低賃金以上の報酬を労働者に支払っているが、ファストフードチェーンは最低賃金を支払っていることが多い。熟練したコックは不要だ。ウォルト・ディズニーも、レイ・ロックも、会社を宗教的なまでに完全に支配することを求めた。労働者は創造性を発揮して仕事をすることは求められず、工場で1つの部品だけ作り続ける労働者のように、作業の一工程を任せられるだけだ。単純作業の繰り返し故に低賃金ですむし、首をきっても代替労働者がすぐに見つかる。食品工場でも当然のように店内同様の対応がとられる。コストをカットして、利益をあげることが至上命題だから、労働者の賃金は低く抑えられる。
ファストフードに脂肪分、糖分が多すぎる点も指摘される。読んでいたら、何故か無償に否定されているハンバーガーが食べたくなった。著者はハンバーガーそのものを否定しているのではない。家族経営で成されている、オーガニックなハンバーガーの販売店もある。マクドナルドなりケンタッキーなりバーガーキングなりは、宗教儀礼のごとくマニュアルどおりのハンバーガー作りを求める。極度の画一性の適用。科学の合理性は素晴らしいという確信。これによって地方に根ざした食文化なり農業、牧場は生計不安に陥る。
ちょうど今日選挙速報の合間にマクドナルドのCMが流れた。豚肉を使ったハンバーガーの発売が宣伝される。音楽にのって、やせた若者たちが、外でポークマックを食べる。健康的で明るく楽しげなイメージの流出。このCMだけ見ていれば、マクドナルドにポークマックを食べに行こうと思うけれど、裏を考えれば、ぎゅうぎゅうづめにされた工場で、鶏や牛よりも賢い脳を持つ豚が、食用にすることだけを目的に安全性に疑問がある脂肪だらけの飼料を与えられ、挙句の果ては工場でショック死させられているのだ。これは気持ち悪い。
チキンナゲット用の鶏がいかに飼育され、いかに殺されるのかの記述が一番印象深かった。飼育場から工場に運ばれてきたチキンたちは、足を鎖で縛られ、薬品で気絶させられてから、首を切断され、さらには熱湯に入れられる。しかし、100羽に1、2匹は薬品で気絶しない。生きようともがく鳥は、首のギロチンカットでも身をかわす可能性がある。彼らは最終的に生きたまま熱湯に入れられ、悶絶しながら湯で死ぬわけである。鎖に縛ることができなかった鳥は壁にたたきつけられ、それでももがいていると蹴り殺される場合もあったという記述もあった。もうチキンナゲットは買わないでおこうと思った。
ヨーロッパの食肉工場では、鳥は全員ガスで殺すから痛みは無いという記述もあった。ヨーロッパは優しいなと一瞬思ったけど、ガスで殺すって、これはアウシュビッツではないか。よく考えるともっとも合理的な殺戮方法である。もし自分が鶏になったらというSF的設定を思うとおぞましい。あまりに脂肪がつきすぎたため、鶏の足はいつも体をささえきれず痛いという。さらには脂肪によって血管が圧迫されて、突然死する鳥もいるという。こうした鳥は一部だけれど、牛を裁断するためのナイフで傷を負う工場労働者も多いというし、数年前の話で、意識が進んだ今は改善されたかもしれないのだけれど、やっぱりなんだか怖い。
マクドナルドは最近サラダを売ったり、オーガニックを強調しているけれど、売上ではサラダ系よりバーガー系の方が多いという。食べる個人の責任だと言われるかもしれないが、フィールグッドのマーケティング戦略にはあまりのりたくない。
子どもはCMとテレビ番組の区別がつかないという研究結果も書かれていた。テレビを見ずに本を読むこと、考える習慣を身につけること。本をよむと頭がよくなる、子どもに本を読ませなさいとよく叫ばれているけれど、周りが本を読んでいれば、自然と子どもは本を読むようになるだろう。書店には綺麗な字を書けるようになる本が散見されるけれど、あれも同じだ。周りが綺麗な字を書いていれば、子どもも自然に綺麗な字を書く。パソコンの文字は実に綺麗で整っているけれど、ああした文字を人が書くことは難しい。人間が書いた綺麗な文字をもっと見ていないと。
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