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曽野綾子『貧困の光景』

最終更新日:2008年2月11日

(以下の書評は2007年6月20日にブログにて発表済です)

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貧困の光景
曽野 綾子
新潮社 2007-01-17

日本人が知らない世界の歩き方 (PHP新書) なぜ人は恐ろしいことをするのか (講談社文庫) 原点を見つめて―それでも人は生きる (祥伝社黄金文庫) 魂を養う教育 悪から学ぶ教育―私の体験的教育論215の提言 ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ

by G-Tools , 2008/02/11


曽野綾子といえば、差別用語と表現の自由との相克で、新聞社ともめている作家という程度の認識だったが、彼女の著作をはじめて読んでみて、その考えが改まった。

世界規模で進展している貧困の問題を前にしては、文学や小説は何もなすことができないのではないか、自分はもう小説を書くことはやめようとも一時思っていたけど、小説なり文学的な表現方法が持っている強さ、論文とは違う独自性を感じることができた。著者は伝統的小説家の視点で、すなわち大上段から社会を語るのでなく、アフリカの人々の日常から語っていく。近代文学のリアリズムの視点によって、きれいごとではない、生々しい貧困の現実が綴られていく。文学の強さ、現代社会における存在意義、必要性を実感することができる真剣な文章である。

例えばアフリカの人々に寄付金や物資を送っても、たいていは権力者にぴんはねされたり、途中で盗まれたり、違う目的で使われたりする。なぜ子どもたちにその場で食事を食べさせるのか。家に持ち帰るようにすると、食べずに他の人に売ったり、誰かにとられたり、自分で食べずに親や親戚に分け与える可能性があるためである。何故日本から持ってきた洋服を渡したら、その場で今着ている衣服をもらうかというと、そうしないと渡した衣服をすぐに売られてしまう可能性があるためである(極度の貧困に苦しんでいる人は一枚しか衣服を持っていない)。

警察は泥棒を捕まえる威力を持っていない。盗まれたものが返ってくるとは限らない。見つかっても、警察にお金、すなわち賄賂を渡さないと返ってこない場合もある(給料だけでは暮らしていけないため、汚職が当たり前となっている。著者は、物を盗むことは、社会への抵抗であるとも指摘している)。

日本は格差社会が進展したといたるところで文化人がほえているが、著者は、アフリカの壮絶な貧困を前にしては、日本は裕福だと指摘する。この件については、緒方貞子もつねづね指摘していた。かといって、日本社会に汚職や凶悪な事件や法違反が増大していることを野放しにすることもできないのだが、日本および「先進国」と呼ばれている地域のメディアから、世界の貧困が隠蔽および隔離されている現実は否めない。

こうした生活の視点から現実を描くことは有益だと思った。反グローバリゼーションで新自由主義に抵抗運動をしかけることも必要だが、貧困に苦しんでいる人たちのところでは、きれいごとではない様々な事件が慢性的に起こり続けていることを記憶したい。

自分は文章を書くことで、独立して生きていけるだけの金をためようと考えていたけど、本を買ってばかりいて、なかなか貯金ができなかった。この本を読んだら、何故か無駄な浪費は人生にとって無意味だと思った。今本棚にはたくさんの本があるし、アイポッドにはたくさんの音楽がつまっている。すべて精神的に消化していないのに、書店で消費ばかりしていても意味がないだろう。

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