アディーチェ『アメリカにいる、きみ』
最終更新日:2008年2月22日
- アメリカにいる、きみ (Modern&Classic) (Modern&Classic)
- C・N・アディーチェ くぼた のぞみ
- 河出書房新社 2007-09-21
by G-Tools , 2008/02/22
ナイジェリア出身アメリカ在住の女性作家による短編集。ナイジェリア国内の内乱によって揺れ動く人々の描写、アメリカに移住したアフリカ人が体験する文化衝突の様子などきめ細やかに描かれている。ストーリーテリングが非常に巧い。昨今の世界文学では前衛的表現の技巧に走るブームが終わって、誰でも読める物語風小説に、国際政治問題、異文化衝突の要素を盛込んだ作品が評価されている。
そうした小説と、ニュースやドキュメンタリーは何が異なるのか。社会的、政治的問題を扱うなら小説ではなくてもいいのではないかとも考えられるが、小説はニュースやノンフィクションとは決定的に異なるものだ。ニュースは事件の表面だけを切り取って報告する。ドキュメンタリーは事件の深層を丁寧に報告しようとする。小説、映画を含めたフィクションは、ニュースやドキュメンタリーに扱えない領域まで掘り起こすことができる。第一に、フィクションは事件の当事者がリポーターにも、誰にも語ろうとしない心の内面を描写することできる。第二に、フィクションは当事者が過去体験した生々しい現実を回想場面として、さも今展開しているかのように再現することができる。第三に、これが一番決定的だが、フィクションは描写する物語が虚構でも全く構わないのだ。むしろ虚構の方が真実を映し出すことができる。フィクションだけが持つこうした特長はニュースやドキュメンタリーにおいては許されないし、できないことだ。アディーチェはフィクションが持つ三つの特長を全面的に活かしきっている。
たとえば、「アメリカ大使館」という作品。語り手はナイジェリアの民主化運動活動家と目される報道記者の妻だ。彼が政府を告発するレポートをなしたことを、大学の教授が評価したニュースが流れ、彼の国際的評価も高まる。語り手は、夫を評価した教授を憎む。英雄視されることで彼が政府からにらまれることは必然だからだ。好意の裏返し。夫は殺されそうになったため、アメリカに逃亡するといって姿を消した。ある日、兵士二人が夫を探しに家にやってくる。語り手は犯される恐怖を感じながら、兵士と対面する。帰り間際、兵士は軽い気持ちで彼女の息子に向けて銃を発砲する。息子が死ぬ。彼女は反政府活動家の妻としてナイジェリアにいては自分の命も危ないため、アメリカ大使館に向かい、移転の許可を請おうとする。大使館員を説得するには、なぜ自分がナイジェリアにいては危険なのか、今までの経緯を事細かに説明しなければならない。彼女は目の前にいる男に向かって体験したことを話すのが嫌で、途中で退席する。
……国際ニュースが現地の人にもたらす悲劇の描写、悲しい体験を報告するよう強要されることへの拒絶反応。「アメリカ大使館」には小説でしか表現できない要素がたっぷりあるし、ニュースやドキュメンタリーと鋭く対立している。
(このレビューは2008年2月19日にブログに発表した文章を転記しています)
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