村上龍『希望の国のエクソダス』
最終更新日:2008年2月11日
(以下の書評は2007年9月30日にブログにて発表済です)
『希望の国のエクソダス』が刊行されたのは2000年である。作品内で予想された日本の未来は、現在の日本の経済状況に比べると、いささか悲観的だった。格差は拡大しているが、不況は脱した。2000年当時はボロクソに言われていた商社、銀行など大企業がのき並み復活した。なぜか。多分中東で起きた戦争が遠い要因としてあるだろう。不況になると、戦争が起きる。遠い海の向こうで同盟国のアメリカが戦争を始めると、日本の景気はいつもよくなる。レーニンの帝国主義論(資本主義国家は不況になると戦争を始める)は、消費社会の進展によって打破されたようであったが、多様な価値を生産することで、消費の終焉がなくなった社会であっても、不況は必ずやってくる。
経済的に持ち直した格差社会の日本では、不登校ブームも去ったというか固定化し、かつては批判された受験競争がさらに過激化した。全体として過激化したわけではない。全体で見れば競争は緩和している。多くの生徒の受験競争からの逃走と、一部の生徒のエリート枠獲得競争の過激化、高額化という二極化が、日本社会の縮図である学校社会でも進展している。
日本は国力を衰えさせているのだろうか。世界経済の不況によって深刻化するテロ攻撃に巻きこまれていくのだろうか。今後の日本社会で暮らす人には、自由民主党一党独裁国家での生活では不要とされた知識と行動力が必要となる。ナノテクノロジーを通して情報が大量に持ち込まれてくる。どうしても世界の人々と自分を比較せざるを得なくなる。世界中の生活レベルを観れば、日本の豊かさが突出したものだということがわかってくる。それでも不幸な人、精神と身体を病みながら仕事を続けている人、仕事無く暮らす成人がたくさんいる。石油と水が希少となり、資源の争奪戦が始まり、殺し合いが当たり前となる地球を避けるためにはどんな情報と行動を選び取っていったらいいのか。考える必要のあることはたくさんあるけれど、みんなわがままだ。
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