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インドネシアの鳥インフルエンザ対策不足の背後にある経済的、文化的構造要因

最終更新日:2008年2月22日
(ブログ記事掲載日:2008年2月19日)
昨日2月18日放送NHKBS1「今日の世界」で、インドネシアの鳥インフルエンザ対策の様子が放送された。圧倒的に対策が不足している。政府は鳥の放し飼いを禁止しているのだが、多くの人はいまだに伝統的な放し飼いを続けている。そこで政府の調査隊が農村に派遣される。かごに入れられていない鶏が見つかれば、その場でかごに入れるよう指導される。あひるはその場で小屋ごと焼却される。調査隊は、鳥の命より人命が大切なのだからしょうがないという。

この様子を見ていて、環境倫理学的に問題だと感じた。人間が鳥インフルエンザに対するワクチンを開発できていないという理由で、あひるが簡単に燃やされていいのだろうか。鶏がかごに入っている様子も悲惨だった。小さなかごの中に何羽もの鶏がつめこまれていた。彼らは窮屈そうだった。放し飼いならある程度自由に歩きまわることができるが、あんな狭いかごに入れられては生きる喜びも何もあったものではないだろう。伝統的な放し飼いの方が鳥にとってはよっぽど快適だ。

農家の人たちは、調査隊がいなくなると、隠していた鳥を元に戻すし、かごから鶏を放すという。これは彼らが別に生命倫理的にみて優れていて、動物を愛し慈しんでいるからというわけでもない。番組は、農村部に暮らす人たちにとって、市場で鳥を売ることは大きな収入源であることを伝えていた。政府は鳥の放し飼いを禁止するし、違反者を見つけたら小屋ごと焼き払うが、補償金を支払わないという。農村部の人にとってみれば貴重な収入源を政府に簒奪されていると考えても当然だ。

なぜ現地の人たちは鳥インフルエンザ対策に真剣に取り組まないのだろう。危機がよく認識されていないせいだろうか。金の問題だろうか。番組では、インドネシアでどんなに鳥インフルエンザによる死者が続発するといっても、結核やデング熱など他の病気でなくなる人の方が圧倒的に多く、鳥インフルエンザをそれほど大きな問題だとは認識していないのだという。インタビューに答えたインドネシア政府の人間も、鳥インフルエンザは外国メディアが伝えるほど深刻な状況になっていないと答えていた。

結核などは西洋医学が解決方法を知っているが、鳥インフルエンザの脅威にはいまだ対応できていない。ただ、インドネシアには医学が充分に行き渡っておらず、結核治療も充分にできないのだろう。住民も経済的、医療的補填がなければ、世界中の見ず知らずの人類のために、貴重な収入源である鳥の扱いを代えようとはしないだろう。インドネシアには経済的、医療的、福祉的国際援助が必要だ。なぜ諸外国はインドネシアの対策不足を指摘するばかりで、援助を増やそうとしないのか。インドネシア以外でも同様の問題で困窮している国がたくさんあるせいだろうか。

ニュース映像を見ていて、アフリカでエイズが流行する現象にも、同様の問題構造があるのではないかと感じた。避妊具のない不特定多数とのセックスはいけないといくら教えられても、経済的、医療的豊かさがなければ、人々はエイズに向かう行動に走るだろう。エイズ以外の要因で死んで行く人が多ければ、社会にエイズの他に解決すべき問題が山積みなら、エイズは蔓延するだろう。

エイズ、鳥インフルエンザはおそろしいものだという宣伝だけでは何も解決しない。文化的慣習を変えることは容易ではない。金で全てが解決するわけではない。資金援助をしても、教育、医療、社会制度の構築が根づかなければ、資金は無駄になるだろう。長いスパンでの対応が必要だ。自分たちにも広がったら嫌だからしっかり対策をとれというエゴイスティックな要請では、国は動かないだろう。

こうした認識を世界に広めたいと思うけれど、ブログの場で発表したところで、対策を変えるところまでの力が私の言葉にあるだろうか。もっと多くの人に言葉を届けたい。現実を変えていきたい。小さな言葉の積み重ねが大きな変化を生むことができるよう願っている。

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