沖縄の米軍、外出を自粛〜遊びに出る米兵の服装はヤンキー風私服なことを認識
最終更新日:2008年2月22日
(ブログ記事掲載日:2008年2月21日)
(ブログ記事掲載日:2008年2月21日)
日記文学はだいたいにして自分の経験を書くものだ。テレビを見て感想を書くなんて、日記文学と言えないんじゃないかと思ったけれど、よくよく考えると現代社会はメディア社会だ。自分が経験する実体験よりも、テレビやメディアが与える経験の方が量的に多い場合がある。だいたいにしてニュースはいつもテレビが伝えてくる。
ニュースばかり見ていると、世界と日本は問題だらけだと思えてくる。もしも一日もニュースを見ていなかったら、僕の周囲の世界は凶悪事件一つない平和な民主主義社会だろう。ニュースはまだまだ社会に改善すべき点があることを教えてくれる。現実には、僕の周りで凶悪事件が起きていない。この現実感覚を失わないようにしつつ、ニュースに映し出される世界の悲喜劇を今日も感じ取ろう。
在日米軍の不祥事があいついでいる。沖縄ではまた少女が米兵に暴行された。事件後も、酔っ払い運転があったりと、本当に沖縄の兵士は日本の官僚や企業戦士並みにたるんでいる。
沖縄の米軍では今日から外出禁止令が出たという。ニュース映像には派手な私服姿で夜の街に繰り出しているアメリカ人の姿が映し出された。ここで僕ははっとした。てっきり少女に暴行している米兵は、軍服姿で少女に乱暴を働いたのだろうとイメージしていた。実際はきっとヤンキー風の私服姿で夜の繁華街に繰り出し、少女を暴行したのだろう。
真面目に訓練している軍人が軍服姿のまま少女を暴行しているイメージは、テレビの中くらいでしか考えられない非日常的光景だが、派手な洋服を着て少女を無理矢理犯す男の姿なら、容易に想像できる。外国滞在中の兵士が現地の少女を襲うなんて考えられない、米軍の法規はどうなっているんだと憤っていたが、暴行中のイメージ映像が変わった途端、こんな事件は今後も容易に起こりうるだろうと思えてきた。遊ぶ時のための服だ。気がゆるんで当然だ。
日本でも、自衛隊の隊員が休暇で遊ぶ時は、普通の若者と何ら変わらない姿で享楽にふけることだろう。警察も、教師も、検察もそうだろう。ただ、公共的仕事に携わっている人には、公共心が求められて当然だ。あまり一般の人に注目されないひっそりとした場所で余暇をすごすなり、破目を外しすぎないよう注意したり、適度と規律の維持が必要だろう。日本中の非難を前にして沖縄の米軍も外出制限し始めたわけだが、どこまで規律が浸透するのか、たるみきった組織を改革するには、長い教育か、強いショックが必要だ。
(翌日ブログに掲載した記事「アメリカ兵の少女暴行と日本人変質者の少女暴行の差異 」も転記します)
昨日に引き続きアメリカ兵の少女暴行事件に関する考察。
私は今まで、米軍兵士は、制服姿で、少女を無理矢理犯していたと思っていた。しかし、昨日ニュースで、休暇中の米軍兵士が沖縄の繁華街でヤンキー風私服姿で遊んでいる姿を見て、暴行中の兵士は私服だったろうというふうに認識をあらためた。
暴行事件という言葉が私の頭を混乱させていた。今日も暴行事件のニュースがあった。病院で医師が、馬鹿馬鹿しいから看護婦か女性患者かどちらか忘れたけれど、麻酔をかけて暴行しようとしたか、暴行したそうだ。これまたあきれ返るニュースだ。医師の倫理という以前に、人としての倫理が決定的に欠けているように思われるけれど、こうした日本人変態のニュースイメージと、米軍兵士暴行のイメージが僕の頭の中で不幸にも重なっていた。
最近の日本人による暴行事件といえば、電車の中で周りに乗客がいるのに女性を暴行したり、マンションに無理矢理入りこんで刃物で殺すぞと脅しながら暴行したり、そういうのばかりだった。関連して先生が生徒たちを罰として全裸にしたり、女生徒の全裸写真を教師が撮影したりと、教師たちの変態的ニュースもあった。そういう不思議なニュースと、米兵の少女暴行暴行事件がリンクした。
アメリカ兵氏は軍服姿で、歩行中の女性を自動車に無理矢理押しこみ、刃物や銃で脅しながら、暴行したのだろうと勝手に想像していたが、実際は繁華街で、私腹姿で非同意の性行為でもしたのだろう。米軍の暴行がこういう形なら、今後も何回も起こりうるだろうと思えたし、相手が少女だったから事件化しただけで、成年女性に対する強制的性行為は頻発していただろうと想像される。
岩国で同様の事件が起きた時、夜繁華街で遊んでいる少女もどうかという政治家だったか官僚だったかの発言があり、顰蹙をかっていた。当然だ。女性は弱い立場にある。もしも日本の自衛隊が派遣先のイラクで、イラク人の少女に暴行を加えていたら、イラク及び国際社会からものすごい顰蹙をかっていただろう。相手国に派遣されているのだから、そんな犯罪をおかしては非難されて当然である。自国の少女が暴行されながら、繁華街で遊んでいる少女もどうかと思うと、イラク人が発言するだろうとはとても想像できない。
何故日本人はこんな発言をするのか。これには国際的、歴史的背景がある。アメリカに敗戦しているし、アメリカとは強い同盟関係にあるし、平和や経済秩序の大部分を日本はアメリカに負っている。こうした依存の意識が、被害者の少女を非難する無理解な発言につながったのだろう。もちろん普通の暴行事件でも、被害者の女性は、あなたにも油断があったのではないかと周囲の人に批判されることがあるだろう。こうした無理解はまだ解消されていない。
繁華街で私服姿で遊んでいる米兵が、遊びに興じて少女暴行に及ぶのは可能性としてありうる。本人は快楽を楽しみたいだけだ。こうした事件と日本人男性による変態的暴行事件はやはり微妙に異なると思うが、どちらも公共性なり倫理意識が決定的に欠けているという点が共通している。
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