ブログで、新約聖書の文章を進化論的に解釈するインターネット講座を持とうかと考えていた。聖書ばかりだと問題があるだろうから、ネイティブ・アメリカンに伝わる教えも同時に進化論的文脈で解釈し、聖書の教えとネイティブ・アメリカンの教えのすばらしさは、現代に照らしてみてもすばらしいと伝える講座にしようかと考えたりもした。
書店に行くと、聖書、ネイティブ・アメリカン以外にもたくさん、古代からの教えを伝える本がある。もちろん日本にも古くから伝わるすばらしい話がたくさんある。特にこだわり無く全てを受け入れようと思った。
現代社会ではそうした価値観は忘れられている、だから犯罪や事件が続出すると思ったりしていた。しかし、デンマークのあり方を見ていたら、自由民主主義はすばらしいと思えた。民主主義は近代になって人間が見出した新しい価値観だ。民主主義がない時代では、現代同様に、それ以上に殺し合いや不当な人権侵害があったことだろう。何より、人権と言う概念さえ古代にはなかっただろうけど。古代を理想化するのはやめようかとも考えた。今には、自由民主主義がある。
昨今では民主主義を否定する言説が多い。自由民主主義は制度疲労を起こしているのだろうか。民主主義は多数決の原理だといわれる。マイノリティーは民主主義社会で差別されるという。デンマークの本を読んでいた時、民主主義とは多数決で全て語れるものではないと思った。民主主義の本質とは、万人の万人に対する自由、平等、博愛の精神だ。現代はその権利を生命体全体に拡大してもいいだろう。社会全体の自由と平等を尊重すれば、多数決によってマイノリティーの権利を拡大することができる。だいたいにして、マイノリティーと多数派に区別はない。みな社会の構成員であり、民主主義の参加者なのだから、民主主義は全ての人に自由と権利と博愛を送り届けようとするだろう。
日本に民主主義の原理は根づいているのだろうか。世界は民主主義でうまくまわっているのだろうか。問題は山積みだろう。しかし、民主主義はみんなの協議によって問題を解決していくことができる。みんなが知恵と意見を出し合えば、解決策を検討し、実行することができる。人類の営みに限界はない。私たちは自由に意見を交換して、社会改革に取り組むことができる。こうした発言の自由も民主主義の成果の一つだ。
では、資本主義をみてみよう。資本主義とは、現代風にいえば自由主義経済だ。民主主義と自由主義経済はセットである。自由主義経済は富めるものに富を集中するものだろうか。自由主義経済の本質とは、職業選択、経済活動の自由、平等性、博愛の精神である。自由主義経済が不幸を生み出しているとすれば、経済活動の参加者が自由、平等、博愛を実感できていないからだろう。本来誰もが自分の望む仕事を自由に選択し、博愛の精神を持って働くことができるのに、多くの日本人はみんなが就職するからと言う理由で、何気なく企業に入って愚痴を言いながら働いている。こうした状況は民主主義がもたらしたものではない。民主主義は本来人々を自由にし、自己実現を支援するものだ。
民主主義の本質とは、ケアの精神かもしれない。一時の、お金を得るためのサービスではなく、相手の人格の成長と自己実現を願う心からのケア。こうしたケアが経済活動の中心になってくれば、自由民主主義と自由主義経済は、地球環境にも適切なケアを配ることだろう。基本理念を忘れていると、制度が疲労する。基本理念を再現していけば、幸福は持続する。
自由民主主義とは、自由と平等と博愛の精神を万人にもたらすもの
最終更新日:2008年2月22日
(ブログ記事掲載日:2008年2月11日)
(ブログ記事掲載日:2008年2月11日)
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