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デンマークの社会生活から考える〜仕事で評価される社会から、生きていることで評価される社会へ

最終更新日:2008年2月22日
(ブログ記事掲載日:2008年2月10日)
NHKBS1「今日の世界」で、幸福な国ランキングの特集が組まれていた。経済力、生産力によって国の評価が決まるのが通例だったが、昨今では国民が感じている幸福度で国を評価する動きが経済学、社会学、心理学の分野で広がっている。「今日の世界」で紹介されていた調査で世界代1位に輝いたのは、ヨーロッパの小国デンマークだった。番組ではデンマークのどこが優れているのかまとめた海外ニュース番組の特集がそのまま放送されていた。

デンマークに世界で活躍するような有名人は少ない。だいたい人口は550万人と少ないが、この人口の少なさが国民的幸福度の高さにつながっている。デンマーク人のほとんどは同一民族で、ほぼキリスト教のルター派信仰。同一性の強さが、社会的信頼感の強さにつながっている。犯罪は少なく、駐輪の自転車に鍵はかけない。

デンマークは税率が高い。その分福祉と教育がしっかりしている。税金で収入の半分近く持って行かれるため、たくさん稼いでも損をする。逆に言うと、稼ぎが少ない仕事でも、社会福祉で保障されるから、満足いく生活を送ることができる。利益第一の企業活動では、従業員はこき使われて、疲労するが、デンマークでは税金の高さがうまく働いて、人々に安らぎをもたらしている。みな金のためでなく、好きな仕事を選ぶ。労働時間も当然短い。

街を歩く人々の姿は、地味だ。機能的で無駄のない衣服を着ている。逆に言うと、他の経済諸国では、意味もなく着飾った服装が流行ってはすたれている、消費されている。幸福度の研究によって、物欲を満たすやり方で幸福、満足度を上昇させようとする社会は、幸福度が低いことがわかったという。消費よりも大切なのは、人と人の絆、コミュニティの強さだそうだ。カリフォルニアのスラムとインドのスラムでは、カリフォルニアのスラムの方が物質的に豊かだが、インドのスラムの方が、人々の幸福度は高いという。暮らす人みんなが仲間で、助け合って生きているから笑顔もたえない。

個人主義、消費主義、物欲優先が行き過ぎた先進諸国では、幸福度が低い。これは競争の結果、貧しい人が多いからというだけでなく、お金持ちの人たちも幸福度が低い場合が多い。番組ではデンマークに比較して、シンガポールが紹介されていた。登場した成功した女性実業家は、部屋中に美術品やら高級品をそろえていたが、自分よりお金持ちと知り合うと、もっとお金が欲しいと思うそうだ。絶えずある飢餓感は、幸福とは疎遠である。

イタリアは警察、政治の不正が多く、公共機関に信頼がおけないし、裏切りが多いため幸福度が低い。社会と人々を信頼できないと、幸福が疎外される。日本は200近い国のうち、90位程度だった。まあこれくらいかという感じだ。



高税率国家、福祉社会国家では、ずば抜けた成功者、スーパースター、ヒーローがいなくなる。そのかわりに社会みんなの幸福度が上昇する。幸福度の上昇は職業差別、職業格差がなくなるおかげではないだろうか。

番組では、ゴミ収集のおじさんが幸せそうに仕事をしている姿が取り上げられた。彼は午前中仕事して、空いている時間はハンドボールのコーチをして過ごしている。ゴミ収集の仕事は好きでやっているという。笑顔で挨拶すれば、挨拶を返してくれる人がいるし、コーヒーを振舞ってくれる人もいるという。職業差別のない社会。

デンマークでは職業によって差別されることはないと思ったけれど、そういえば、日本のごみ収集に携わる人の収入も高かったことを思い出した。日本のごみ収集のおじさんも幸福なのだろうか。知り合いにいないけれど。

学校給食のおばさんやごみ収集のおじさんは一流企業の正社員並みの収入を得ている。これは問題だろうと経済誌でよく取り上げられていた。お金をやりすぎではないか、労働に見合う賃金ではないだろうというわけだ。こういった議論はデンマークでもあるかもしれないけれど、日本とは違うだろう。デンマークにあまりに理想を重ねすぎるのも困りすぎだろうが、ごみ収集でも医者でも店員でも先生でも弁護士でも、収入に大差が生じず、みなが公共福祉サービスを利用できれば、職業差別、エリート意識は生じにくくなる。いってみれば社会の構成員全員が地球社会のエリートとしての誇りを持てる。労働によって人が評価される社会はやはり貧しいだろう。人間は生きているだけですばらしい。どんな人でも、どんな生命体でも、生きているだけですばらしい。そう評価できる社会があるためには、社会制度が必要だ。

仕事の内容によって評価される社会は、仕事のない人、遊んで暮らしている人が差別される。ニート批判なども生まれる。生きているということ、それだけで人格の尊厳を尊重される社会では、職業差別がない。

社会に対する働きの大小が、その人の評価に直結することは、合理的な社会システムの基盤となる。より社会に貢献できる成員を教育によって育成することができれば、その社会は繁栄する。けれど、競争を強調しすぎる社会では、差別や息苦しさが生まれる。社会構成員の満足度はそのうち下がっていくだろう。適度なバランス。アリストテレス的な中庸の美徳。遊びすぎもいけないし、働きすぎもいけない。日本人は働きすぎている。仕事でしか評価されない人間はわびしい。生きていること、ただそれだけで、すばらしいということ。この事実をわきまえなくては、経済合理性で自然環境が破壊されることだろう。

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