テレビ画面には、全身火傷を負って、頭髪もなく、眉毛も無く、特殊メイクを施したかのような皮膚をした少女が映っていた。
彼女は穏やかに微笑んでいた。私の人生とは一体何だったのだろう。異様な皮膚を持ちながらも微笑む彼女を見て、アトピーで苦しんできた私の身は軽くなった。
彼女は、生まれてまもなく、両親の不注意のため、大火傷を負ったという。生きているのが不思議なくらいの、全身の傷。それでも彼女は微笑んで生きている。彼女は心身に傷を持つ子どもたちを養子にしている親に引き取られた。
親に虐待を受けたりして苦しみ、傷ついていた子どもたちはみな、新しい家族のもとで微笑んで生きている。幸せのあるべき形。愛に包まれて生きている豊かな女性の顔だち。
私の人生はテレビ画面に現れた安堵感からかけ離れていた。社会の価値観などに従ってしまったら、幸福は遠のくのだ。美しい、醜いの境界線を作り出して峻別している人は、不幸だ。
一体何がすばらしいのか。優れていることか。劣っていることか。微笑んで生きられることがすばらしいのだ。他のあらゆるすばらしさ、価値判断は不要なのだ。
愛情や幸福は社会が強制してくる価値判断とは無縁だ。
火傷を負った少女、価値判断と多幸感覚
最終更新日:2008年2月3日
(ブログ記事掲載日:2007年11月1日)
(ブログ記事掲載日:2007年11月1日)
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